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労働新聞 2018年6月25日号 投稿・通信

君は観たか、Nスペ「沖縄と核」 
核に踏みにじられた
裏歴史をスクープ


米戦略で核の拠点にされた沖縄

神奈川県・市川 孝太郎

 先日、「核に踏みにじられる沖縄 フィルム上映とトークイベント」という催しのチラシもらったので、これは何をおいても行かねばと駆け付けました。
 というのも、昨年九月十日に報道されたNHKスペシャル「スクープドキュメント 沖縄と核」に大変な衝撃を受けていたからです。番組ではこれまで「軍事機密」として国民にはひた隠しにされていた世界最大級の米軍の核基地拠点としての沖縄、核戦争による破滅の瀬戸際に立たされた沖縄の実相が、元米兵の証言を含む生々しい映像で暴き出されています。
 これは一大スクープで、一人でも多くの国民が見るべき、国会でも追及してしかるべきだと思っていました。しかし、その後はドタバタの総選挙、次々と暴露されるモリカケスキャンダル、朝鮮半島情勢の激変などにかき消されてしまうのではないか、そう危惧していた矢先に、担当ディレクターから直接話を聞けるというのです。
 駆けつけた会場には、友人である工場労働者のMさんも来ていました。
 冒頭部分十五分間の上映を含んで二時間半ほどのトークイベントでしたが、あらめて沖縄が置かれてきた歴史と現状、そして辺野古新基地建設の意味を、より深刻に捉え直さなければと思う機会になりました。
 私自身、一九七二年の沖縄返還が「核抜き・本土並み」と言われながら、緊急時には米軍が核兵器を持ち込める「核密約」の存在も含め、沖縄に核兵器があったことはそれなりに知っていました。しかし「最高の軍事機密」としてひた隠しにされてきた核兵器の存在に焦点を当てて、沖縄の米軍基地の歴史を具体的に徹底して調査し、暴露し、告発したという点で画期的で、まさにスクープと呼ぶにふさわしいと思います。
 こんにち、米国のトランプ政権が中国、ロシアを「挑戦勢力」として規定した国家安全保障戦略の下で「核体制の見直し」を発表、使える戦術核の開発に力を注ごうとしている時、この問題は過去の話ではありません。強行されている辺野古新基地建設予定地に隣接する辺野古弾薬庫にも嘉手納や那覇などと共に核兵器が貯蔵されていた事実には考えさせられました。

最高機密文書から新事実
 番組のディレクターは今理織さんという人で、二〇一三年から昨年九月までNHK沖縄放送局にいた人です。催しでこの番組を制作するようになった動機について話していました。それによると「沖縄には米軍基地の七割が集中しているが、なぜそうなったかについては必ずしも十分に検証されていないと思い、その解明に問題意識を持っていた」そうです。
 その作業の第一歩として、毎日のように勤務時間外に琉球王国時代から戦前、戦中、戦後歴史を沖縄、本土、アジア、世界の項目別に年表づくりを続けていたと言います。
 そして一五年夏、米国防総省は情報を解禁、復帰前の沖縄に核兵器を配備していたことを公式に認めました。そこで最高機密文書を含む千五百点の資料を読み込み、元米兵や政府高官の証言を取り、二年がかりで番組を制作したそうです。
 そこから見えてきたのは「沖縄への米軍基地の集中は米国の核戦略の変遷と密接に関係している」との結論でした。その成果の一部をA4一枚の「沖縄と核」の年表として配布し、経過を説明してくれました。
 年表には、一九四八年に米極東軍の計画『ガンパウダー』に「日本の再軍備に反対しつつ沖縄からの戦術核攻撃による対ソ戦略を検討」から始まり、五〇年の朝鮮戦争を受け、「陸軍省、統合参謀本部が沖縄配備を主張」、そして五三〜五四年に「沖縄に核兵器が配備されたとみられる」と記されています。
 その契機となったのは、ソ連の水爆実験への対応として五三年にアイゼンハワー大統領が決めた、通常軍を削減し核戦略を重視する「ニュールック戦略」への転換でした。最高機密文書には「極東の空軍能力を強化せよ。緊急時の使用に備えて核兵器を沖縄に配備」との決定的な発言が記されています。なお、年表には神奈川県民として見過ごせない事実も記されていました。台湾海峡危機に際し「統合参謀本部が中国の核攻撃を主張。核を搭載した空母オリスカニが横須賀入港」などとありました。

高まる反核運動の裏で
 五四年ビキニ水爆実験で第五福竜丸が被ばくして本土の反核世論が高まる中、国防総省は本土に核兵器を配備するとしていた当初計画を変更し、以降急速に沖縄の核基地化が本格化します。「国防長官が第三海兵師団の沖縄移転を決定」「嘉手納基地に戦術核爆撃機を配備」。五五年になると、伊江島真謝集落を「銃剣とブルdドーザー」で接収し、本土の各務原・北富士演習場に駐留していた第三海兵師団の沖縄移転が始まりました。ナレーションでは、この時期にこんにちに至る沖縄の原型が形成されたと語られています。
 このような経過をたどり、朝鮮戦争のさなかにサンフランシスコ条約が結ばれ日本が「独立」したことになる一方、沖縄は切り離され、米軍の直接統治下に置かれ、海兵隊が主力を占める世界最大級の核基地拠点化の苦難の道を強いられていくのです。五六年のプライス調査団の議会報告では「沖縄では核兵器を貯蔵する権利についても、核兵器を使う権利についても、外国政府による制限はいっさい加えられない」とし、五八年に統合参謀本部は「沖縄はソ連、中国らに対し、核兵器を含む攻撃を要する世界大戦や極度に敵対する事態に、米軍はなんら拘束を受けずに出撃できる。IRBM(中距離弾道ミサイル)配備予定」などとと、沖縄県民の島ぐるみの抵抗闘争にもかかわらず核基地化を強引に推し進めていきました。
 映像では、伊江島の土地強制収用による爆撃場建設のさまと、それが海兵隊によるLABS(低高度爆撃法)の核爆弾Mark7の模擬弾投下訓練だったことが、当時の米兵の証言を含め初めて明るみに出されています。「沖縄住民にはまったく知らされていない極秘」だったと。模擬爆弾投下で命を奪われた伊江島の元住民の子供が、今回初めて真相を知り、怒りにうち震えている姿も写されていました。
 さらに明るみに出された衝撃的な映像として、五九年六月に核弾頭を搭載した迎撃用ミサイル「ナイキ・ハーキュリーズ」が、那覇に隣接する基地で誤発射され、海に落下する事故が発生していた事実を伝えていました。那覇が吹き飛んでしまいかねない重大事故にもかかわらず、核兵器の事故であることには厳重なかん口令がひかれたと元米兵が証言しています。
 六〇年代に入ると、米国はさらに強力な核兵器を配備していきます。広島型原爆の七十倍の威力をもつ核弾頭を搭載し、射程二千四百キロのミサイル・メースBです。これらを含め沖縄の核兵器数は増え続け、六七年には千三百発に達したそうです。まさに沖縄は、米国の世界最大級の核攻撃拠点となったのです。
 この時期の映像として、六二年十月のキューバ危機の際、デフコン2(戦争への準備態勢を五段階に分けた米国防総省の規定で「最高度に準じる防衛準備状態」)が発令され、沖縄の核基地も臨戦態勢に入った時にいた元米兵の証言を紹介しています。メースBの状態は、すべて発射準備完了の「HOT」に変わり、「本当に核戦争が始まると思った。そうなれば、沖縄は消滅するだろう。別次元の緊張だった」と。
 要するに、住民には何も知らされないまま、沖縄は核戦争による破滅の瀬戸際に立たされていたのです。トランプ政権による中国をにらんだ「核体制の見直し」のなかで、沖縄が再び核基地の拠点とされ、破滅の危機に直面させられかねない事態を想像せざるを得ませんでした。

歴代日本政府の所業
 もう一つ、この番組が告発しているテーマがあります。沖縄を核基地拠点化する米国と表裏一体となったわが国の歴代自民党(およびその亜流)政権の、骨の髄までの追従ぶりと、それと裏腹の沖縄差別です。
 五一年のサンフランシスコ条約で日本は「独立」したとする一方、沖縄を切り離し、長く米国の軍事植民地として放置したこと、本土の基地の削減分を沖縄にツケ回ししたことは、前に述べました。
 番組では、それを構造化したものとして、六〇年の岸政権による日米安保条約改定を告発しています。「対等な関係に」をうたい、核持ち込みについては「事前協議を必要とする」と言いながら(これも欺まん的なものですが)、この対象から「沖縄は除く」と明記し、「日本は沖縄への核配備には関与しない」と密約を交わしていた事実が暴露されていました。
 さらに、メースBの配備の際の日本政府の態度です。県民の怒りを受け、琉球政府は配備中止に向け日本政府に協力を求めましたが、当時の小坂外相は「事前に発表されると、なぜ止めないかといって日本政府が止められる。事後発表してもらいたい」とラスク国務長官に懇願した事実が暴露されています。沖縄の人たちをだますやり口に、いったいどの国の外相なのかかと怒り心頭です。
 年表の最後は、六九年の沖縄返還協定をめぐる「核密約」です。ここでも当時のレアード国防長官の電話インタビューが紹介されています。「核を沖縄に持ち込まないのなら、他の場所を探さなければならない。結局、日本は沖縄を選んだ。それが日本政府の立場だったよ。公にはできないだろうがね」と。
 このような、時々に欺まん的な言葉で国民をだまし、何一つ独立国家として振る舞おうとしない日本政府の許しがたい対米追随の姿勢は、安倍政権になって頂点に達しています。二〇一四年四月二十七日、安倍政権はサンフランシスコ条約の発効日を「主権回復の日」と定めて記念式典をやりましたが、それはまさに沖縄県民にとっての「屈辱の日」をごまかし、逆なでする最たる「売国的国事行為」でした。
 「琉球新報」は、トランプ政権が掲げた新核戦略の中で「米国の核兵器を沖縄に保管できるように両国が合意した可能性がある」と報じています。辺野古弾薬庫に隣接する新基地建設阻止の闘いの意義がますます高まっていると思うようになりました。


情勢が人を育てる
 通信の最後に、どうしても書いておきたいことがあります。このようなスクープドキュメントを制作して私たちに提供してくれたディレクターの方の並々ならぬ努力です。
 前のところで触れましたが、今さんは一三年NHK放送局に赴任して以来、沖縄の現実と正面から向き合い、その解明に向けて勤務時間外にこつこつと年表づくりを始めました。沖縄の大学の先生に五〇年代の海兵隊の日誌が国会図書館にあること聞き、数千ページのを読み込んだといいます。取材は、もう一人のディレクター松岡哲平さんと米国の調査員二人の計四人です。
 ドキュメンタリー制作にあたって披露してくれた「哲学」に感銘を受けました。「ドキュメンタリーは見えないものをビジュアル化する」のだが、羅列すればよいものではない。「歴史と構造」を明らかにしなければならない。今回は、そうした観点で、手探りで「沖縄と核」のビジュアル化に取り組んだと言います。まさにジャーナリスト魂を感じさせられました。
 最後に今さんが発したメッセージは重いものでした。「このドキュメンタリーは本土の人たちにこそ見てほしい」。
 さらに紹介しておきたいのは、二人のディレクターは三十六歳と四十一歳という若手です。返還前の沖縄を知らない世代です。敵の支配は一見強まってきているように思われますが、激動する情勢と闘いはこうした若者を成長させていると希望を持ちました。
 後日、参加していた友人のMさんに感想を聞きました。「初めて見聞きする沖縄の現実にびっくり。では、自分たちに何ができるんだろう」「やっぱり日米地位協定の抜本改定の闘いを盛り上げることかな」。
 このスクープドキュメントは、確実に参加者の気持ちを揺さぶりました。


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