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労働新聞 2018年5月15日号 投稿・通信

産休代教員を経験し思う 
人件費削減ありきの
教育行政に異議

  生徒との関係重視すべき

埼玉県・柳川 和孝

 私は一昨年に六十歳となり教員の仕事を退職していましたが、昨年十一月からA市のB中学校に産休代員として勤務することになりました。その学校は新任の時に勤務した学校で、十年間勤務しました。特に記憶に残っているのは五年目に担任していた生徒のC君が部活動中に亡くなったことで、強い思い入れのある学校です。
 久しぶりの勤務初日。校長の面接があったのですが、その前に亡くなった生徒の墓に寄ってから出勤しました。私は「二年生の副担任で、女子テニス部の顧問、さらに生徒会本部担当」であると言われました。退職時もテニス部の顧問で三年学年主任だったので、すんなりと勤務に就くことができました。
 職員室に入ると何人かの先生に「先生が来てくれて本当に助かります」と言われました。なぜお礼を言われたのか。後で分かったのですが、学年内の職員の人間関係がうまくいっておらず、また副担任の仕事ができていなかったことが理由だったようです。学校現場は一時に比べると表面は平穏でも、立ち入ってみるといろんな矛盾・摩擦をかかえているようです。
 穏やかで素直な生徒が多く、授業もやりやすかったです。清掃なども本当に一生懸命に行い、こちらが感動しました。私もジャージに着替えていっしょに床の水拭きなどをしました。ただ教員の中には、生徒の穏やかさをいいことに、スーツ姿で「上から目線」で監督をしているだけという人もいました。生徒は清掃のために昼休みに着替えているのです。おかげで生徒からは「先生らしくなく良い先生」の評価をいただきました。
 授業では「本職」数学だけでなく道徳の授業も行いました。その中で部活中に亡くなった生徒の話をしました。野球部の部室の脇の沙羅双樹の木は亡くなった生徒の保護者が植えたことや、亡くなった当時の両親の姿を話しました。そして「命は自分だけのものではない」とを伝えました。
 生徒の中には泣きながら聞いてくれた者もいました。また感想で「先生が来たのは奇跡だ」「先生の言葉は、一生忘れません」「先生も苦しいのに私たちのために話してくれて感謝しています」「C君が亡くなったことは悲しいけれど私たちが生きていくために大切なことを教えてくれたと思います」などと書いてくれました。
 そして一月、校長に呼ばれて四月からも勤務をお願いされました。一日考え、了承しました 。ところが一週間後、教育事務所の方から断りの返事があったことを告げられました。
 理由は二点。一つは給料が高いこと。大学出すぐの若い人を雇えばかなり安く雇えることです。ただ、自分でいうのも変ですが、これだけ生徒とうまくやっていて、企業で言えばお客の評価が高いわけです。それをクビにし、現場の意見を無視して、給料がいくらか安いというだけで雇う人を選択するというのは、かなり問題を感じます。
 そもそもB中学校は人事面が異常で、二十四人の授業に出ている教員のうち十人が臨時採用の教員です。臨時採用ということは、人柄がどうのこうのではなく、一年で異動してしまうわけです。ですから、その時の三年生では、一人も三年間担当した教員はいませんでした。経験から言って、そのようなやり方は学校がいちばん荒れる原因となりがちです。結局、三月には十二人の教員が異動となりました。それでも私を残さないのです。
 もう一つは、再任用との関係です。私は再任用を断りました。それなのに再任用の人よりも高い給料で働いていることを問題だと感じたようです。着任が遅れたのもそれが原因だったようです。
 再任用制はとても問題のある制度です。仕事内容はまったく変わらないのに、給料は三分の二以下に引き下げるというシステムです。「年金が払えないから、それまで働かせてやる」と言わんばかりです。
 「同一労働、同一賃金」が求められている中で、これは許されないことです。日本は世界的に見ても教育予算の割合が少ないと悪名高いのが現状です。これが放置されている「働き方改革」とはいったい何なのでしょうか。
 せっかく生徒のためにがんばったつもりなのに、嫌な思い出になってしまったと思っていたところ、修了式の日にあるクラスから全員の寄せ書きをもらいました。また昇降口で手紙をくれた生徒もいました。その中には、先生が来年の担任になってくださいと書いてありました。短い間でしたが、教壇に立って良かったと心から思いました。


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