ホーム労働新聞最新号党の主張(社説など)/党の姿サイトマップ

労働新聞 2018年4月15日号 投稿・通信

熊本地震から2年 
益城町を回って思うこと

  復興はまだまだこれから

福田 真一

 四月十四日と十六日の二度の大地震から、早くも二年が経ちました。
 私の生活は表面的には日常に戻りましたが、まだまだ日常にも戻れない人がたくさんいます。先日、実家のある益城町を回ってみたので、今の状況や感じたことなどを伝えたいと思います。
 車で道路を走ると、つぶれたり傾いたりしていた家は解体され、更地になり、ちらほらと新築の家も見えるようになっています。ただ、住宅の再建は業者が手いっぱいで工事が遅れ遅れになっていると聞きます。
 実家近くでは、スーパーが二月にやっと開店し、不便さも少しはなくなりました。でも、道路沿線の商店街はまだまだ復活してはいません。県道四車線化の拡張計画があるので見通しがたたず、建て直した店はわずかです。
 町全体としては、個人の住宅の解体工事が進んだので、今は町立体育館の解体、町役場の解体、河川の復旧などに取りかかっていて、あちこちで通行止めがあったり、大型の重機が動いたりしています。
 復興に向けてがんばっている明るい話題もたくさんありますが、いまなお二千世帯以上が仮設で暮らしており、県道拡張や町の中心の木山地区の区画整理が十年はかかるといわれていて、まだまだこれからという状況です。

借金して家を建てるAさん
 益城町を回る途中、熊本空港近くの五百戸という県下でも最大の「テクノ仮設団地」のAさんを訪ねて話を聞きました。Aさんとは昨年、熊本大学の復興支援拠点としてつくられた「ましきラボ」で知り合いました。
 Aさんは益城町の中心部に住んでいて自宅は全壊、命からがら車中泊で避難生活をした後「テクノ仮設団地」に入ったそうです。仮設住宅で話をしましたが、夫婦二人で四畳半二間と台所でした。中は布団や家財道具など荷物がいっぱいで、三人が座るとほとんど空間はありません。そこにお茶やお菓子も出してもらい、話を聞かせてくれました。
 Aさんは農業をしていて、最近の暑さでカリフラワーが育ちすぎで半分ダメになったことや、冬の寒いときには気温がマイナス八度にもなって、仮設の玄関が凍り付いて戸があかなかったこと。地震の体験、恐怖はとても忘れられず、二度目の地震では車の中にいて、車ごとめちゃくちゃに揺さぶられた体験をし、活断層がある同じ場所にはもう二度と住みたくないということなどを話してくれました。
 これから先のことを聞いたら、熊本市に土地を買って小さな家を建てるということでした。資金をどうやってつくったかというと、自分は歳で借金もできないので、息子にローンを組んでもらって捻出したとのこと。息子さんは二重ローンになったそうです。
 また、借金してでも家を建てられる自分はまだいいほうだ。仮設の住人はだんだん減っていて、百人ぐらいは出て行ったが、年寄りや年金生活の人はどうなるのか、生活保護に追い込まれる人も増えるのではと心配していました。

取り残される人が増える
 Aさんも言っていましたが、住宅の再建が住民の最大の問題です。「西日本新聞」によると、町内で仮設に入らずに壊れた自宅の倉庫や軒先で暮らして、修理や再建のメドが立っていない人が五百四十八世帯も残っているというのです。また、仮設の入居延長希望者は七割に上っていて、生活再建はまだまだです。
 蒲島県知事は、住宅問題はめどがついたといっていますが、そんなことはありません。逆に生活再建の途上で格差がますます開き、取り残される人が増えているのが実際です。
 復興住宅の整備予定は六百八十戸ですが、まだ半分の用地確保しかできていないそうです。加えて、町の職員の不足は深刻で、県に支援要請をしたが半数しか応援できないらしく、町は事業をこなすのが精一杯で、町民の要望を聞いたり、細かな世話まではとても手が回らないそうです。
 人手不足とともに町の財政も深刻で、将来が不安です。復興事業で町の予算は三倍以上になり、借金も年間予算の三倍になっています。
 また、県道四車線化や中心部の区画整理は長期にわたりますが、すでに計画実施が待てずに町外に移転する病院なども出てきています。広い道路はできても、その時に活気ある住民の生活が残っているのかということも心配です。

多数の人が幸せになれる復興を
 四月二日に、県の「益城復興事務所」が開設されました。この事務所は、県道四車線化事業(現在十メートル二車線の道路を、四車線二十七メートルに拡張)と木山地区土地区画整理事業(役場のある中心地区二十八ヘクタール)を担当します。
 この開所式で、副知事は「益城町だけでなく、熊本都市圏東部の百年先のまちづくりを見据えた大事業。県の発展につながる利点を住民に説明しながら進めてほしい」と述べました。
 どちらの事業にも、住民の反対の声があることを念頭に置いたからでしょうが、県が復興のシンボルとして掲げる「熊本空港民営化」ともからめて、いかにもバラ色の夢を描いて進めようとしています。
 「県の発展につながる」とは何を指しているのでしょうか。そこには、大多数の県民の生活の向上が含まれているのでしょうか。
 先日発表された将来推計人口では、二〇四五年の益城町の人口はマイナス一八%です。現在の人口は三万三千人ですから、約六千人減ります。高齢者の割合も今の四分の一から三分の一に増えます。
 人口減少のほかにも、復興需要が終わった後で町内の企業はどうなるのか、環太平洋経済連携協定(TPP )などで農産物自由化が進むと農業がどうなるのか、物価が上がったり国民健康保険料の引き上げなど町民の生活はどうなるのかなど、多くの切実な問題があります。
 こうしたことを考えるとき、地震からの復興は一部の人が儲かる大型事業中心ではなく、生活に困っている本当に必要なところにお金を使い、多くの町民が安心して暮らせる町づくりでなければならないと感じています。


Copyright(C) Japan Labor Party 1996-2018