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労働新聞 2018年3月5日号 8面

現実的な「核の恐怖」と
隣り合わせの朝鮮 
日本は「脅威与えている側」との
自覚必要

朝鮮語翻訳家・米津篤八さん

 韓国で行われた冬季五輪を機に、南北朝鮮では融和機運が高まっている。一方、米国や日本政府は南北融和に横槍を入れることに終始、また朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)への経済制裁や軍事的威嚇を強める姿勢を続けている。こうした状況を私たちはどうみるべきか、南北朝鮮にかかわりの深い朝鮮語翻訳家の米津篤八さんに聞いた。(文責編集部)


ーー米津さんは朝鮮語翻訳家であると同時に朝鮮への人道支援などの活動にも携わっていますが、南北朝鮮と関わるようになったきっかけや翻訳家になった動機などについて教えていただけますか。

米津 私が大学生の時、一九八〇年に韓国で光州民衆抗争がありました。すぐ隣の国の同じ年頃の若者が、銃を手にして闘い、殺されました。どうしてそういうことが起こったのか。大きな衝撃を受け、金大中救援運動などにかかわるようになりました。その延長線上で朝鮮民族の歴史や文化、言語に対しても興味を持って学ぶようになりました。
 勉強を続けるうち、一度は現地に行ってみたいと思うようになり、八二年に初めて韓国に旅行しました。当時の韓国は、「漢江の奇跡」といわれる経済成長を経ていましたが、夜はソウルでも暗く、少し田舎に行くと真っ暗という感じでした。日本からはいわゆる「キーセン観光」という風俗旅行が多く、ホテルのロビーではチマチョゴリを着た韓国女性をはべらせる日本人男性がいる…そんな頃でした。八八年のソウル五輪前後からかなり様子は変わりましたが。
 韓国に留学したいという思いはあったのですが、新聞社に就職が決まっていたこともあり、働き始めました。出版局の内勤として勤務しつつ、個人的に勉強を続けました。
 また同時に、八〇年代半ばから始まった指紋押捺(おうなつ)拒否運動に参加したり、戦後補償問題で訴訟のために韓国から来た人や、韓国に進出した日本企業の賃金不払い問題などで訪日した人をお世話したりもしました。
 そして二〇〇四年に会社を辞め、翻訳の仕事を始めました。運よくこの頃に韓流ブームが始まり、仕事も順調に増えました。一一年には韓国の大学院に留学、家族で韓国に引っ越しました。一度は旅行ではない韓国での生活を送ってみたかったので。「まあ翻訳の仕事ならどこでもできるだろう」と考えていたのですが、この頃に日韓の摩擦などが原因で韓流ブームが下火となり、朝鮮語翻訳の仕事が激減しました(笑)。そんなこともあり、現在は英語の翻訳も苦労しながらやっています。

──さまざまな運動にかかわってこられたのですね。現在は朝鮮への人道支援を行っている「ハンクネット(朝鮮人道支援ネットワーク・ジャパン)」の活動に携わっているとお聞きしていますが、その経過などもお聞かせください。

米津 ハンクネットが活動を始めたのは一九九九年です。朝鮮では洪水被害などで九五〜九六年から大変な食糧難に見舞われ、日本でも多くの個人・団体が支援活動をしていたのですが、九八年に朝鮮の人工衛星発射(光明星一号)に伴う、いわゆるテポドン騒動があり、皆こぞって引いてしまいました。「それならば」というか、「だからこそ」というか、入れ替わるように人道支援として寄付を募って日本製の粉ミルクを購入し、万景峰92号で運んで朝鮮の育児院に届けるなどの活動を始めました。
 ハンクネットの支援活動は私が言い出したのではなく、在日朝鮮人の知人からの提案を受けた竹本昇さんが呼びかけたものです。竹本さんは三重県上野市(現・伊賀市)の職員でしたが、業務として指紋押捺を強いる側にいたこのこと。在日の人や南北朝鮮に対し複雑な思いがあったのでしょう。
 このハンクネットの活動の一環として、二〇〇三年に初めて朝鮮を訪れました。それまでずっと行ってみたいと思っていたので、うれしかったですね。その後これまでに六回朝鮮を訪問しました。

南北統一に長期的には楽観
──支援活動を通じて二十年近く朝鮮の人たちとお付き合いされているということですが、韓国の人との違いなどは感じますか。また、この二十年の間に朝鮮の人たちとの関係に変化などはありましたか。

米津 韓国とは、もちろん違いはいろいろあるのですが、それよりも南北間に国境線はあってもやはり同じ民族だと感じますね。しばらくいるとどちらの国にいるのか分からなくなる。もちろん言葉は同じですし、人と人との距離感だとかに根底にある共通の性格を感じます。
 今回の五輪で南北の合同行事などが実現しましたが、やると決まればこういうことがとんとん拍子で進むのは、やはり同じ民族同士で気脈が通じるところがあるからだと思います。
 韓国にいる時に小規模な武力衝突が起きるなど南北間の緊張が高まったことがありますが、日本にいる時ほど大きな騒ぎになっていません。それを「慣れ」という人もいますが、私には「同じ民族同士だし、大規模な戦争にはならない」との安心感があるように思えます。あるいは米国の介入で起こった朝鮮戦争の悲劇の再現はないと思っているのかもしれません。
 南北の分断が固定化されて七十年が経ち、分断前を知る人は少なくなっています。「分断したままでいい」「統一は無理」という声もあります。しかし、いざ統一してみれば、実際には融和は早いのではと感じています。結構すんなりといくのではないでしょうか。
 思えば、分断の問題を、在日の人を含めた南北朝鮮の人がどのように乗り越えるのか、またそこに自分がどのようにかかわれるか、考え続けてきました。結論は出ていませんが、長いスパンでみれば、最終的には落ち着くところに落ち着くと思っています。特に悲観はしていません。

人道支援から民間交流へ
米津 またこの二十年の間に朝鮮の経済が大きく発展していることも強く実感しています。
 〇三年に朝鮮東海(日本海)に面したウォンサン市を訪問した時、雨の中にもかかわらず、ふ頭で老若男女がびっしりと並んで手製の道具で釣りをしているのを見ました。その日の食物となる魚を得ようとする必死さを感じました。
 しかし〇七年に同じ場所に行くと、天気は良いのに釣り人はぽつぽつといった具合。おじいさんと孫が真新しいリール付きの竿を手に釣りを楽しんでいました。〇三年にはそんな物を持っている人はいませんでした。わずか四年ほどの間に趣味・レジャーとしての釣りとなっていました。
 こうした発展に伴い、ハンクネットの活動も目的が変わりました。一五年に朝鮮側の受け入れ団体から「もう粉ミルクは自国内で生産できます。他の形で交流をしましょう」と提案されました。緊急人道支援団体としてのハンクネットは役割を見直すべき時期に来ています。
 それでも双方とも関係を維持しようと考えているのは、国交がなく両国が対立する中、民間交流が大事だと思っているからです。当初はこれほど長くこの活動をやることになるとは思っていませんでしたが、現在でも携わっているのは日本で反朝鮮的な風潮が強まっていることも理由の一つです。今後、民間交流としての活動をどのように発展させるか、模索しているところです。

■朝鮮の核を非難できるのか
──安倍政権が「朝鮮の脅威」をあおって緊張を高める中、交流や対話を求める声も高まっているように感じます。しかし、そういう人の中にも「核開発」を理由に二の足を踏む人もいます。これについて、どのようにお考えでしょうか。

米津 朝鮮が〇六年に最初の核実験を実施した時、私はたまたまピョンヤンにいました。「核実験成功」の報道を、市井の人は特に喜ぶでもなく淡々と受け止めていました。ただ、どことなく安心した雰囲気が生じていたのは感じました。「米国に対してある程度の抑止力は確保した、これで国づくりに専念できる」という共通の思いです。実際、その後の朝鮮の経済成長の一因に、予算を軍事から生産に回せたことや、兵士をインフラ整備などに回せたことなどがあるといいます。
 考えてみると、朝鮮ほど現実的な核の恐怖におびえ続けてきた国はないかもしれません。朝鮮戦争の際には米国は何度も核投下を検討し、かなりギリギリの段階まで行きました。実際、ピョンヤンに投下されると聞いて国境の南側に避難し、その後戻れなくなった人たちもいます。休戦協定後も、韓国や日本の米軍基地には公然の秘密として核兵器が配備され、米韓軍事演習では模擬核爆弾の投下も行われています。
 また朝鮮には広島や長崎で被爆した被害者もいます。国交がないため本来受けられるべき日本の援護法の外に置かれていますが、朝鮮にも核の恐怖を体験した人が少なからずいるということです。
 よく言われる「唯一の被爆国」という言葉には違和感もあります。二度と被爆者を生まないよう悲惨な被爆経験を世に伝えたいという日本の側の気持ちは分かりますが、時に「核兵器のことをよく知らない人たちに教えてやれ」という見下した態度を感じることがあります。しかし、日本とは違った意味で、朝鮮の人たちは核の怖さをよく知っています。
 米国の核の傘の下にいるにもかかわらず、日本には自分たちが朝鮮に核の脅威を与えているという意識があまりにもなさ過ぎるのではないでしょうか。日米安保条約で在日米軍基地を置き、米国の核の脅威を取り除くこともせず、朝鮮の核だけを非難するのは一方的です。自分たちは変わらず、相手にだけ変われというのは、まさに戦争の論理です。
 「戦争反対」を掲げて安倍政権に抵抗している勢力が、朝鮮敵視に加わることで政権の思惑を後押ししている、このことは自覚するべきではないでしょうか。

よねづ・とくや
 朝鮮・英語語翻訳家。早稲田大学政治経済学部卒。朝日新聞社勤務を経て、ソウル大学大学院国史学科(朝鮮現代史専攻)修了。訳書は『夫・金大中とともに』(朝日新聞出版)、『チャングム』(早川書房)、『チェ・ゲバラ名言集』(原書房)、『地球星の旅人』(NHK出版)など多数。

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