日本労働党政府綱領(案)

(二)新しい日本の外交、安全保障政策
−−独立・自主、アジアの一員として生きる平和日本

(1)完全な独立を達成し、自主的外交を実現する


 新しい政府は、国の完全な独立・自主の達成を何よりも重視します。
 完全な独立をはたした日本は、国際関係が真の平和と国際民主主義が原則となるように、これをわが国外交の目的とし、自ら覇権を求めず、また覇権を確立しようとするいかなる試みにも反対します。経済規模世界第2のわが国の、こうした選択は、世界の平和と発展に大きな貢献となるでしょう。覇権主義、大国による抑圧が横行し、貧困と戦争がつづく世界で、日本が国際民主主義の実現をめざす国になることはまことに意義深いと考えます。
 地域紛争にPKOなど自衛隊を派遣し、アメリカなど大国中心の秩序を南側の国々、中小国、社会制度を異にする国に押しつける「国際貢献」では、世界の平和と安定、すべての国々の繁栄のための努力を支援することにはなりません。また、経済援助にしても、大国主義的な外交戦略の一環として自国の理念を押しつけたり、はたまた自国企業の利益優先のようなものでは、南側諸国の発展と貧困問題の解決を支援するものとならないことは明白です。
 世界の紛争の真の原因は、アメリカなど大国の中小国・社会体制を異にする国々への干渉・介入であり、経済的な貧困・国際的な不平等にあります。新政権は国の大小、経済発展の段階、規模、また社会制度・体制のいかんを問わず、すべての国の国家主権が尊重され、内政への干渉を許さず、国家間の政治的平等を実現し、それぞれの国家が国民の力を基礎に自主的に発展できる国際環境を保障し、また、貧困をなくし貧富の格差を解消する経済面での努力を支持します。発展途上国の経済発展と地球環境問題などでの努力を支持し、貢献する日本をめざします。とくにアジアの近隣諸国とともに平和的に生きる日本をめざします。


1、日米安保条約の破棄と対等平等な日米関係樹立

 日米安保条約とそれに付随する諸協定を破棄し、在日米軍基地を一掃します。
 真に独立した国家の実現は、党派を超えた国民の要求です。
 第2次世界大戦から50年、日米安保条約に基づいて、いまなお、沖縄を中心に全国138カ所に米軍が居座りつづけ、アメリカの世界戦略実現のための最大の海外出撃拠点となっています。とくに、横田、横須賀、厚木をはじめ首都周辺には強大な米軍基地がいくつも配置され、首都東京をにらみ、国家の自主と尊厳を傷つけています。しかもその米軍のために、「思いやり予算」などと称して数千億円の国民の血税が毎年つぎ込まれています。このようなことは冷戦時代にも世界に例を見ません。こうした米軍の即時の撤退、基地の撤去は国民の悲願です。
 しかし、新政権は、日米関係を敵対関係に代えようとするものではありません。不平等条約である日米安保条約とそれに付随する諸協定を破棄した後に、あらためて対等平等な日米友好関係を築くための友好条約・協定を締結します。
 このように日米安保条約の破棄、「独立の日本」を提唱すると、経済は大丈夫だろうかとか、日本とアジアの安全保障は、といった疑問の声が起こります。
 こうした考えは自主性がないだけでなく、まったく時代遅れの考えです。
 これからの世界は、各国が自主的発展を求めている時代であり、とくにアジアの時代です。フィリピンは、米軍基地を追いだしました。マレーシアなどアジア諸国は、アメリカなどの大国主導のアジアに反対し、自主外交を強め、日本にも、日米安保条約に縛られ、アジア諸国の問題に介入してきた戦後の生き方を反省した、独立自主の生き方を望んでいます。あらゆる覇権主義に反対し、積極的に国際民主主義をめざす日本こそ、アジアの望む日本です。
 一方、アメリカ自身が、これからのアジアの時代に立ち遅れないようにと、クリントン大統領のもとでアジア・シフトを強めている今日です。
 日米安保条約を破棄し、このアジアの信頼を得ることのできる日本にならなかったら、アジアとの結びつきが強まったわが国の今後の経済発展も、アジアの平和と安定も望めません。わが国経済の対外関係は急速に変化の兆しを見せています。すでに、対米貿易依存度はしだいに低下し(輸出でみると最高は86年で全輸出の38・4%でしたが、93年は29・2%)、逆に中国・NIES・ASEANの東アジア向けが91年以降、対米輸出を上回り、93年には全輸出の36・1%占めるまでになっています。こうした傾向はさらに発展するものと見られます。
 日米の貿易関係など経済関係がなくなるのではないかとの疑問もあります。しかし今日、日米貿易の内容が急速に変化しています。わが国の対米輸出の内容は、一時期の自動車や家電製品などの消費財が大幅に減少し、「人工資源」と呼ばれる工作機械、精密・電子部品、その他製造業の材料など、それなしには米国企業の生産が成り立たない資本材中心の輸出に代わってきています。アメリカ製造業が日本からの輸入なしには成立しなくなっているのです。
 これからもわが国は、技術を磨き、すぐれた製品を世界に送りつづける限り、そして日米友好関係を維持しようとする限り、日米の貿易関係が途絶えることは、わが国の民主的政治変革へのアメリカの政策次第でごく短期はいろいろあるかもしれませんが、長期にはありえないことです。


2、完全な独立国として、領土主権を回復する

 吉田茂首相とそれを引き継いだ自民党政府は、主権放棄の日米安保体制(サンフランシスコ講和条約と日米安保条約の体制)を結ぶに際して、わが国の領土主権も放棄しました。その結果、奄美大島、小笠原諸島、それに沖縄は長い間米軍の直接占領下におかれました。
 奄美大島の日本復帰は53年12月、小笠原諸島は68年6月、沖縄の復帰は、実に27年ぶりの72年5月のことでした。それも、沖縄は、行政権だけの形式的なもので、膨大な米軍基地はそのままですし、核兵器の持ち込み、貯蔵もつづけられるなど国家主権は大幅に制限され、まったく中途半端なものです。
 また、吉田首相はサンフランシスコ条約で、わが国固有の領土である千島の領有権を放棄してしまいました。その結果、歯舞、色丹両島と全千島は、ソ連(その崩壊後はロシア)によって不当にも占領されたままです。
 その他、竹島が韓国軍に占領され、また尖閣列島については中国との間で係争がありますが、いずれもわが国固有の領土です。
 領土問題の解決では、尖閣列島については、中国政府が旧自民党政権との間で合意した「長期棚上げ」で時間をかけて解決するという処理方式を支持・継承します。
 竹島については、韓国軍の不法占領を認めず、即時の撤退を求めます。この最終的解決は、統一された朝鮮新政府との間の平和的・友好的外交交渉に委ねます。
 歯舞、色丹および全千島については、ロシア政府による日本の領有権の承認と返還の国際公約を前提に、20年ないし30年間での段階的解決について合意をはかります。その場合重要なことは、旧島民の権利の即座回復と戦後居住し始めた人びとの生活の保障です。日ロ両国が共同して、経済発展と居住民の生活向上に努めます。


3、独立自主の外交の推進

 安保条約を破棄し、国の完全な独立を達成してはじめて、わが国は真の主権国家として国民の望む内外政治を進めることができるようになります。
 日米安保体制下でわが国の内外政治、とりわけ外交と安全保障政策は大幅に主権が制限された関係がつづいています。古くは、日米安保条約締結と引き換えに、米国から吉田首相は日台条約締結を押しつけられ、以降わが国の対中国政策は、米国に縛られまったく自由がなく、中国敵視の国際包囲網形成の重要な一角を担わせられました。日中国交回復までこうした状況はつづき、その後も、わが国政府に一定の試みはあったものの、大枠として米国の対中国政策の枠を出るものではありませんでした。今日の、台湾の「独立」、「1つの中国、1つの台湾」策動へのわが国政府の対応にも、米国の政策に縛られた側面が出ています。
 朝鮮政策も同様です。朝鮮戦争で米国に従い後方兵站基地となって以来、南北分断固定化・朝鮮民主主義人民共和国絞め殺しの米国策動に縛られまったく自主的外交政策がとれず、今日もって共和国との国交は実現できていない状況です。最近は、米国の決めた朝鮮民主主義人民共和国側との取り決めにそって、わが国はなんら決定に参与していないにもかかわらず、「北朝鮮の軽水炉転換支援」ということで、米国に10数億ドルを負担するよう押しつけられています。こうしたことは今回がはじめてでなく、例の湾岸戦争の時には130億ドル余を米国にむしり取られました。こうした日本を、諸外国は、米国の財布、キャッシュ・ディスペンサー(自動現金支払機)などといって馬鹿にしています。
 わが国の戦後外交は、いくらかは自主外交への努力はあったものの、基本的に米国の世界政策に縛られ、その範囲内のものにとどまって、わが国の真の国益、アジアと世界平和の実現など、国民が望んだ方向とはなっていません。
 わが国の米国からの完全な独立の達成なしに、自主外交は不可能です。新政権の第1の任務は、こうした独立の達成、自主的な外交の実現です。


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