日本労働党政府綱領(案)

(一)21世紀にめざす新しい日本の目標

(3)支配層の新たな国家目標の実現めざす「改革」路線批判


 歴史的にも、また21世紀の展望という角度からも、わが国政治の転換、新しい進路の選択は避けられません。
 この点で、ひとにぎりの大企業・財界の側の、自らの利益を貫くかたちでの「改革」への問題意識は、個々の企業は別に財界の総意としては非常に鮮明で、一貫したものです。民間政治臨調(政治改革推進協議会)はそのための1つの中心的組織でした。
 その発足に際して、会長に納まった亀井正夫氏は、「民間政治臨調は何をめざすか」と自問して3点述べています。第1は、これからは農業とか許認可とかの「改革」をやらなければならないが、政治を変えておかないと「何も実行できない」。第2は、政治腐敗で「民主主義の危機」が忍び寄っている。第3に、「激変する国際情勢に対応できるか」といった点です(日経連機関誌「経営者」92年8月号)。
 小沢一郎氏は、こうした支配層の意図を熟知し、1つの明確なプランを持って連携して行動しはじめました。「普通の国」をめざすという「日本改造計画」がそれです。
 その1つのポイントは、「国際貢献」について支配層の意図を体現した明確な方向です。小沢氏は、「日本は、国内の経済的発展と財の配分しか考えてこなかった『片肺国家』から、国際社会で通用する一人前の『普通の国』に脱皮する」ことを強力に主張しています。引き続きアメリカに従いながら政治・軍事大国の道を歩き、アメリカの要求にそって経済力に見合って軍事力を海外に派兵することで、「新時代の創業者」として日本が世界政治の中で大きな役割を果たすべきだというものです。
 わたしたちはすでに、この小沢氏の見解は改革を唱えながら、戦後政治の根本的問題である対米関係に手を触れない、真の「守旧派」であり、日本国民とアジア諸国・人民への重大な挑戦だと批判しました。
 冷戦後の世界情勢を冷静に見通せば見通すほど、小沢氏の唱える「守旧」的な日米関係を堅持する路線は、世界の趨勢に合致せず、わが国の自主的な発展の大きな可能性の芽を自ら摘むものだ、といわざるをえません。中小国も含めて自主的に自国の運命を決定しようとする動きが活発化しているのにもかかわらず、世界第2の「経済大国」の日本が、なに故にアメリカに国の運命を委ねる道を選択しなければならないのか。グローバルな不平等の拡大という「21世紀の難問」を抱える世界で、もはや独力では世界支配の力をなくしたアメリカの支配を維持するために、「グローバル・パートナー」として、敢えてなに故「火中のクリ」を拾う役回りを演じなければならないのか。
 アジアで国の規模でいえば「中小国家」ですが、シンガポールやマレーシア、また時に韓国でさえも、冷戦後の世界の中で自主的な外交を活発に展開しています。日本にとっても本来、従属的な日米関係から脱するチャンスが到来しているのです。今日ほど自主的に国の進路を決定できる、国内外の条件が整った時はありません。このチャンスを生かしてこそ、世界の中でユニークな生き方ができ、世界の尊敬を得ることも可能です。小沢氏の「普通の国」路線は、その点で日本を対米従属の制約のある「半人前の国」にとどめておこうとする、時代遅れで「国益」に反する選択といわなければなりません。
 また、小沢氏の「国際貢献」は、決して国民大多数のねがうアジアと世界の平和をめざす、また、貧困と飢餓をなくす各国の努力を支援するための「国際貢献」ではありません。地域紛争、民族的、宗教的紛争の根源にある、グローバルな不平等の拡大は、どんな軍事力をもってしても排除できません。小沢氏の唱える「力の政治」は、いわば19世紀型の古い権力政治で、すでに歴史的に破産が証明済みです。21世紀の新しい世界にはとても通用するものではありません。小沢路線は、世界から孤立の道、日本の破綻の道です。
 第2に、(農業とか許認可の)国内の「改革」では、小沢氏だけでなく、ほぼ与野党の合意となって、細川政権以来、推進・具体化され始めています。とくに、細川政権のもとで設置され、答申をみた「平岩研究会」(経済改革研究会)の報告が、国際社会の変化に対応し、多国籍化した大企業を中心とする財界・支配層のめざす方向を全面的に示しています。その中心は、公的規制の原則撤廃で、市場を内外に開放するという「経済改革」です。平岩レポートでは規制緩和について「自己責任原則と市場原理に立つ自由な経済社会の建設のために不可避なもの」といって、豊かになろうが貧しくなろうが、それは自己責任という「自由競争社会」をめざすことを明確にしています。小沢一郎氏も「日本改造計画」で、「自己責任の考え方の成立する余地がない」日本型の民主主義では内外の変化に対応できないと、規制緩和・分権などの「改革」を実現し、「真に自由な社会」を形成すると述べています。
 もちろんわたしたちも、規制緩和も分権も全面的に否定するものではありません。時代遅れの規制、官僚の特権、官民癒着の温床となっているような規制など、廃止が望まれるものもたくさんあります。しかし、安全・衛生基準、環境基準などの社会的な規制を始め、民族独立の基礎としての食料の生産と管理など、また中小商工業者、零細な個人業者を守ったり、あるいは伝統、文化を守ったりする参入規制など、これからも必要な規制は多く存在します。これらを「原則撤廃」で、競争社会・弱肉強食の論理の支配にまかせたらどうなるでしょうか。
 日経連の試算では、規制緩和で2千万も労働力が余剰になるといい、「平岩レポート」でも、「短期的には経済社会の一部に苦痛を与える」と述べています。他人に苦痛を与えて、豊かになるごく一部の人びとはこれでよいのでしょう。しかし、苦痛を与えられる国民のことを考えなくて、政治とはいえません。こうした「改革」の行き着く先は、アメリカのような「先進国社会」でしょう。豊かなものは限りなく豊かになるが、黒人奴隷労働から出発し今もその弊害を引き継ぎ、失業者とホームレスがあふれる先進社会です。
 わたしたちは、こうした「先進社会」を望みません。国民みなが、豊かになるバランスある経済発展を追求しなくてはなりません。
 第3は、政治改革です。民間政治臨調も、小沢氏も、こうした内外の問題に機敏に対処し、解決を保証するのために「リーダーシップの政治」の実現をめざすと明確に述べています。腐敗政治への国民の怒りをとらえて「政治改革」と称して与野党を巻き込み、国民の民主主義をさらに大幅に制限し、議会制度を空洞化させる2大政党制への小選挙区制度を導入しました。
 −−財界、支配層が進める3方面での「改革路線」は、危険で、国民に新たな苦難を強いる亡国の道です。


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