日本労働党政府綱領(案)

(三)新しい日本の経済、社会、国土政策
−−国民生活水準の大幅な引き上げ。自然と調和し、
先端技術で花開く、バランスよい国土

(1)国民生活水準の大幅引き上げ、バランスある経済で貿易摩擦の解消へ


 世界史の転換点で、日本の国際社会のあり方とともに、国内の経済、社会も対応と変化を迫られています。
 とくに貿易不均衡の解決が迫られ、また、国内市場の開放と円高、企業の海外移転が進んでいます。一方、マルチメディアなど技術革新と経済の情報化・グローバル化へも対応が求められています。
 なかでも国際不均衡の是正、国際協調は緊急の課題です。
 新政権は、国民生活水準の大幅引き上げと住宅など社会資本整備を大規模に進め、真に大規模に内需を拡大して、国際社会と協調する道を進みます。
 この国際不均衡の是正、国際協調でも、2つの道が争われています。 
 多国籍企業となって世界市場で争おうとするひとにぎりの巨大企業を中心とする財界は、規制緩和を柱にする市場開放・内需拡大で、貿易黒字問題も解決し、この新しい世界状況に対処できる日本をつくろうとしています。93年の「平岩レポート」はそうしたものです。これは、レポートも認めるように、大失業など、国民に痛みをともなって、日本を欧米のような弱肉強食の社会に変えようというものです。
 新政権は、国民大多数の利益を守り、発展させながら世界の変化に対応します。それは同時に、戦後50年間の対米依存と大企業優遇の経済の結果もたらされた、日本経済・社会のひずみ、アンバランスを解決する道です。国民大多数は貧しく大企業だけが豊かな日本。農業も林業も水産業も廃れて、製造業では自動車や電機大企業だけが発展するような産業構造。大都市は超過密、地方は超過疎化のアンバランスな国土構造。大企業・大銀行は栄えて政府には莫大な借金、累積債務。GNP至上主義の大量生産・大量消費・大量廃棄の自然・環境破壊経済は限界です。
 94年夏の、全国を襲った「水不足」はこうした日本への自然からの警告です。
 各方面に調和のとれた経済構造への転換は差し迫った課題です。日本の経済力をもってすれば、国際社会の転換に対応し、また国内のひずみを打開・解決し、国民生活を世界で例を見ないほどの水準に引き上げることはまったく可能です。また、アジアの発展にも大きく貢献できます。
 今は、それを実現する、歴史上まれに見るチャンスです。


1、国民の生活水準を大幅に引き上げる

 国民の生活水準を各方面で引き上げる必要がありますが、まず第1に、国民の所得を大幅に増やす、その中心は、給与所得者の全体の水準を引き上げることです。とくに年収500万円以下の給与所得者を中心にを即座におおむね倍増するようにします。
 強制力をもった全国一率の最低賃金制度を確立します。その場合、経営上困難が予想される中小零細企業へは特別な税制優遇措置、技術的高度化のための支援と資金的援助・金融・その他の支援措置をとります。また、下請け関係にある企業については、親企業の責任も制度化します。
 あわせて、労働時間の大幅短縮を進め、即座にドイツなみの年間1600時間、さらに1000時間をめざします。
 農家が、農業で生活できるように、農業収入を大幅に増やす施策を各方面で講じます。
 商業と各種のサービス産業の発展、そこに従事する国民の生活安定を実現します。
 医療、福祉、教育などを全体として「先進国」にふさわしくレベルアップします。住宅問題の解決につとめ、自然環境に恵まれたゆとりある住宅を保障します。通勤・交通問題、都市環境問題などの社会資本整備も緊急の課題です。また、「高齢化社会」に対処し、特に乳幼児と18歳未満、妊産婦、および老人、障害者などにたいして健康の保護、物質的安定、休息及び余暇を保障、等しく医療を受ける権利を保障し、健康保険制度と年金制度を充実させます。教育費への公的支出を増やし、学校・社会教育を充実させます。
 新政権は、こうした国民生活水準の大幅引き上げを最大の使命とします。


2、バランスある国民経済・産業を実現する

 新政府は、第1次産業も、第2次産業も、第3次産業もいずれも、国民経済の重要な一部として位置づけ重視します。製造業でも自動車や電機の輸出産業だけでなく、生活活性化部門を中心に、また、大企業だけでなく中小企業も地場産業も、いずれの部門もバランスよく発展する日本経済を実現します。
 国民の食料を供給し、豊かで潤いのある安全な国土をつくるため、農業や林業、漁業再建を支援し、従事する人びとの生活向上を支持し、あわせて国の独立と安全保障のために食料自給をめざします。
 エネルギーの外国、とりわけ米国依存を打破し、国の独立の基礎を強固にするため、国内炭鉱、鉱山その他エネルギー資源の調査・再建につとめます。
 「輸出立国」の名の下に、自動車や電機産業に特化した産業構造を是正します。製造業でも、日本にしかできないような先端的技術製品、創造的製品などを中心とする高付加価値型の製造業も必要ですし、何よりも国民生活の向上のための製造業として、安全で質の良い衣食住の提供など、全体としてバランスよい産業構成が必要です。とくに医療・福祉、環境、教育、文化・芸術、情報、各種サービスなど国民の生活水準を高度化する生活関連(活性化)産業などはこれからの日本が特に重視すべき分野です。
 政府は、こうした産業構造を実現するため、研究開発、工場立地、融資、市場確保、税制などで全面的に支援します。政府の政策シフトを大企業の輸出中心から国民生活向上に移すとともに、政府の保護のもとで莫大な利益をあげたひとにぎりの輸出大企業に社会的責任をとらせ、こうした転換を支援させます。
 また、自然環境と調和し、省資源、省エネルギーで、「持続的発展」を考慮した経済実現をめざします。
 これからの日本は、また、大企業だけでなく労働者も、農民も、商人も、国民いずれもが豊かになる経済を実現しなくてはなりません。
 日本は戦後、まれにみる経済成長を実現したわけですが、国民の各方面にその成果が等しく分配されたわけではありません。自民党政府の大企業優遇政策の結果、豊かになったのはひとにぎりの大企業でだけです。労働者の大半の実質生活は向上せず、農民や商人などの大部分は零落するままにまかされました。
 大企業は世界のトップ企業となっています。
 米国の有力経済誌「フォーチュン」は、毎年、「世界製造業売り上げ上位500社ランキング」を発表しています。それによれば、93年の日本企業は、トヨタ自動車、日立製作所、松下電器産業がベストテン入りするなど、135社が500社の中に入っています。米国が159社でトップ、3位は英国で41社、4位ドイツで32社です(80年に日本企業は79社でした)。特に銀行は、世界の銀行番付ではトップの富士をはじめ上位9行を独占しています(93年、資産規模、アメリカン・バンカー紙)。また、その大半が、ひとにぎりの大企業の資産であるわが国が国外にもつ資産(対外純資産残高)は、80年に2兆7912億円であったものが、91年には51兆7147億円になっています。
 他方、労働者の名目賃金は、米国や西欧諸国に匹敵・上回るまでになっています。しかし、それは名目賃金を異常な円高という為替レートでドル換算して比較したに過ぎません。労働省の計算で、どの程度のモノが買えるかの「購買力平価」で比較すると、米国は日本の1・44倍、西独は1・49倍になります(90年、製造業生産労働者の時間当たり賃金で比較)。
 農民の零落は激しく、1960年に1175万人いた基幹的農業従事者(ふだん仕事を主とし、しかも主に自家農業に従事した者)は、93年には270万人に激減しています。
 商店も零落が激しく、小売り商店数は1982年の172万1000店を境に減少し、91年には159万1000店になっています。とくに、従業員1〜2人の零細小売業が激減し、同じ期間に103万店から85万店と20万近い減少となっています。
 経済大国日本はこのように、世界でもまれにみる大きなアンバランスな発展が特徴です。
 これからの日本は、こうしたアンバランスを根本から是正しなくてはなりません。


3、真の内需拡大で経済摩擦を解消する

 新政権はすでにのべた、国民の生活水準をいっきに大幅に引き上げ、また、バランスある経済構造を実現して、内需を拡大し、貿易黒字を削減、経済摩擦の解消をはかります。
 巨額の貿易黒字は、大企業の豊かさであって、国民大多数の豊かさとは違います。むしろ、巨額の貿易黒字は、国民大多数が貧しいことの裏返しです。一定額を超えた貿易黒字は、国内で消費する以上に企業があまりにも大量に生産したということであり、逆にいえば、生産したものを国内で十分に消費できていないということです。わたしたちには、買いたいもの、消費したいものなど、より生活を向上させたい要求がたくさんあります。国民が生産したものを国民が使えていない、すなわち国民が「貧しい」ので国内で消費されず、国外に出ているということです。
 たとえば、米国やドイツと比べても日本は、GNPの中で国民の消費が占める割合が少なく、より多くが企業設備投資と輸出に回されていることがわかります。企業設備投資は、輸出圧力をさらに強めることに直結します。この悪循環です。これを断ち切らなければ、貿易摩擦問題の解決は不可能です。
 貿易収支の黒字問題を解決するためにも、まず国内での消費(個人と政府の)を大幅に増やすことで、国民生活水準を引き上げます。これが根本的解決の方法です。それに輸出圧力をさらに高めるだけの一部民間大企業の設備投資を減らし、住宅その他の家計部門の投資を増やし生活水準を向上させる内需拡大に対応するようにします。
 また、国外に流れている経常黒字の一部を、国民生活向上に結びつく社会資本投資に振り向けさせるなどの転換が必要です。
 こうした考え方は、わたしたちだけの唐突な提唱ではありません。たとえば、外務省の経済局長は、「要するに(経常)黒字というのは日本が国内で消費する以上に生産しているということ。反対に言えば、生産したものを十分に国内で使っていないということ。実際に日本国内を見てみると、まだ基本的な生活を楽しむ上で不十分な点がたくさんある。だから、日本の生産物が十分活用されないでもっぱら外国に出ていっているのは残念」と言っています(原口外務省経済局長、「外交フォーラム」94年6月号)。
 【もちろんアメリカの日本への貿易黒字減らしの要求に正当性があるわけではありません。それは明白な内政干渉です。
 米国の長期の経常赤字は、日本のちょうど逆で、国内で生産される財・サービス以上に国内で消費しようとするからです。とくに、レーガンは、対ソ軍拡と金持ち減税のために莫大な赤字予算を組み、国内消費を増やしました。国内で生産した以上の消費需要が生まれ、その不足する財・サービスを海外から輸入し、不足する資金を海外から賄おうとすれば経常赤字は当然です。
 国際日本文化研究センターの飯田経夫教授は、「(経済摩擦問題は)『内需拡大』だけでは、絶対に問題は解決しない。なぜなら、アメリカの貿易赤字の根源がレーガノミックスにある以上、日本が国内に猛烈なインフレ(またはバブル)でも引き起こさないかぎり、いかに日本が誠心誠意努力しても、それでは日米貿易不均衡はまず解消しないからである…」とのべています。
 新政権は、国内で国民生活向上を進める内需拡大とともに、米国には経常赤字削減のために、民間と政府の消費支出の大幅な削減を求めます。】


4、規制緩和問題

 「政・財・官の癒着を打破し、生活者主権の社会を規制緩和によって実現する。経済摩擦も解消する」との大合唱が繰り広げられ、政府の経済改革研究会(平岩研究会)の「中間答申」(93年11月)は、規制緩和についてつぎのように指摘しています。「規制緩和によって、企業には新しいビジネスチャンスが与えられ、雇用も拡大し、消費者には多様な商品・サービスの選択の幅を広げる。内外価格差の縮小にも役立つ。同時に、それは内外を通じた自由競争を促進し、わが国経済社会の透明性を高め、国際的に調和のとれたものにする」。
 たしかに、政・財・官の癒着の根源となるような許認可・規制、時代遅れの規制などは経済社会の発展のために廃止する必要があります。とくに、100年に1度といわれるような、コンピュータを柱とする情報化・技術革新にともなう経済社会の激変で、明治以来の官僚統制と規制社会では対応できない面が多いのも事実です。こうした面では改革を進めなくてはなりません。
 また、必要な規制でも何でもかんでも中央の国家官僚が権限を握った社会ではなく、地方分権・分散化を進め、国民生活と密着した部署で処理できるようにすべきです。こうした規制緩和には賛成です。
 しかし、規制の中には、大企業の市場参入・撹乱から中小企業・自営業者を保護したり、国民生活擁護のための許認可、規制も多くあります。デパート、スーパーから中小零細商店の営業を保護する大店法規制などは前者の典型ですし、鉄道・バス・航路・航空などの運賃や路線の許認可などは後者の典型でしょう。これらは、国際的対応も必要ですが、やはり国民の営業と生活を守ることを第1義にして、慎重に対処します。
 また、安全・衛生、環境の保護などからの社会的規制についてはむしろ強化が必要です。
 問題は、平岩レポートの背景、いまの「規制緩和」要求の発信地が貿易黒字削減を要求する米国であり、国内でそれに呼応する大企業から、市場開放・国際協調のための「規制緩和」と位置づけられていることです。ですからまず、今日の「規制緩和」要求それ自体が、きわめて自主性のない、国民のためのものではないことを指摘しなければなりません。しかも、なぜ貿易不均衡が出るかでふれたように、米国の経常赤字はドルまき散らしのレーガノミックス以来の政策の結果でもあるわけで、無批判にわが国市場の「閉鎖性」批判を受け入れることはできません。
 しかも、規制緩和を主張する財界などが唱える、「自己責任の自由競争社会」という「弱肉強食の論理」に支配された、ひとにぎりの勝者だけが豊かになれるような社会構造になると大変です。アメリカとわが国の大企業には大儲けの新たな機会が訪れますが、中小企業や自営業者、労働者には深刻な事態となります。
 規制緩和を進めたらどういうことになるか。たとえばアメリカでは、78年の航空自由法をかわきりに70年代後半から規制緩和が急テンポで進められました。それを進めた経済学者の一人は、後悔の念にかられながら次のように問題を要約したといいます。「もし、あなたが日本で規制緩和をしようというなら、こう理解しておけばいい。要するに規制緩和とは、ほんのひとにぎりの非情でしかもどん欲な人間に、とてつもなく金持ちになるすばらしい機会を与えることなのだと。一般の労働者にとっては、生活の安定、仕事の安定、こういったものすべてを窓の外に投げ捨ててしまうことなのだと」(グループ2001「文芸春秋」94年8月号)。
 そのレポートは、アメリカの規制緩和の結果、「新規業者の怒涛のような参入。倒産の激増。それに伴う業界伸張の停止。労働者の辛酸。少数の経営者への莫大な富の集中」が引き起こされ、しかし運賃など物価は下がらず、しかも、新産業では失業者は吸収されず、ある程度吸収された労働者の賃金は大方以前の半分以下(製造業などの高賃金労働から小売業などの低賃金労働への移行)だったといいます。
 アメリカ型の社会からすると、わが国の流通産業など第3次産業の多くや農漁業など第1次産業は、あまりに非効率なのかもしれません。日経連などはこうした分野の従業者約2000万人が余剰といって、非効率産業を淘汰し、労働者・業者を追い出し、欧米並みの高失業社会に変えようとしています。それはまた、雇用労働者の賃金を大幅に引き下げる効果があるでしょう。
 しかし、アメリカ社会は、黒人奴隷の犠牲の上に成立以来、一貫して一定層の国民の犠牲の上に「発展」してきた、まさに、名実ともの「弱肉強食」の社会です。
 新政権がめざすのは、アメリカのような「先進」社会ではなく、日本民衆社会の伝統ともいえる「全員が痛みを等分に分かちあう」豊かな社会です。国民全体の仕事が保障され生活できる、街の中小零細企業・自営業者も、また農民も、もちろん労働者も、国民すべてが豊かに暮らせる社会をめざします。


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