体制の危機を救う共産党

(3)共産党はさらに前進するか、連合政権は?


 三番目に、「共産党はさらに躍進するか、連合政権は?」というタイトルのところで何行か書いておりますので、その説明をしてみたいと思います。
 共産党はさっき申し上げたように、いま前進しているのは、「総自民党化」といわれるような、政党がみな自民党と似たりよったりということで、国民の側、有権者の側から見ますと、とても歯がゆくてしょうがない。テレビでも何でも見ると、共産党はやあやあ言って政府を鋭く批判している等々ということ、つまりこの政治状況が背景にある。マスコミも最近、時々そう書いていますね。「共産党だけが野党」みたいだ、と。「この状況こそ、共産党の躍進の根拠である」とかれらは言った。
 この問題ですが、さっき申し上げたように不破自身が報告で述べています。大会の準備の中で、いろんな質問が出たんですね。例えば、こういう文章があるんです。「共産党は連合政権をつくるというが、どの党と手を結びますか」と。こういう質問がやっぱり共産党の中で出てきたんですね。「そういう質問がたくさんあるので答える」と言いながら、「いま確かに手を結ぶ政党、共同できる政党はありません」と答えている。だって全部自民党に行ったというわけですから、この党だけは立派ですとは言いにくいでしょう。だから、「今は共同できる政党はありません」と、こう言っている。
 「しかし、それを固定的に考える必要はありません。これからさらに危機が深まれば、きっといろいろな民主的党派が出てくるでしょう」と、こう言っているんですね。この時不破は、連立政権、つまりいつか共同できる政党が現れるんだということに力点を置きたかったんでしょうが、この説明はよく考えてみますと、今日の躍進の根拠はいつかは崩れるというのにも、期せずして役立つんですね。
 しかし、将来の話でなくっても、共産党の気に入った民主的党派が現れなくっても、有権者から見て異なった党、選択肢の一つだと思われる党が現れるのは、そう長くないと思います。
 こないだからの一連の政治再編で、似たりよったりの党ができました。しかし、あれ以後、行財政改革とかいろんなことがありまして、いくらか政治的時期が過ぎてきていますから、政党が離合集散をもう一度しますね。新進党がなんだかんだやっておりますね。この次の時には、もうちょっと危機が深いだけに、いくらか異なったことを言う可能性があります。政党の側だって、もういくつもつくり、太陽党くらいまではともかくとして、お月様党つくったりいろいろしても、パッとしないでしょう。だからもうちょっと格好よくいう必要があるんだと思うんです。
 こういう具合で、必ずしも危機が十分深まらない前にも、有権者から見て、つまり共産党が気にいろうがいるまいが、今度新たに出てきた党も「あれも自民党の一部である」という宣伝をするかもしれませんが、有権者がどう見るかはまた異なっています。
 そういう具合で躍進の根拠は、つまり批判票が共産党に主として集まる状況がなくなる可能性というのは、大いにあり得ることです。さっきも申し上げたように、今でも地域によってそういう選挙(たとえば宮城県知事選挙など)があれば、共産党は票が入りませんもんね。
 不破はこの時、この質問に対して「そのうちに手をつなげる政党が現れる」という所に力点を置いた説明をしていますが、にもかかわらず、これはある時期に有権者から見て、つまり「総自民党化」でない状況がやってくるということを不破自身が認めておるという意味で重要です。私は危機が深まるもとで、「総自民党化」と有権者が見るような状況に変化が起こる可能性は大いにある。これは理の当然なんです。
 そういうわけで、共産党の前進はある程度いくかもしれません。だけれども、これがもちろん単独で議席の半分を取ったなどということはならないでしょう。そうなれば、支配層もまた、もうちょっと異なった党をつくる必要があると考えるでしょう。覚えておりますか、自民党単独支配が崩れる少し前、熊本県知事だった細川がある日突然、知事を辞めて東京に行った。そして当時の中央公論に「自由社会連合結党宣言」。新しい時代に備えて結党のための文書をつくったんです。そして、最初の選挙で一定の票を取ったんですね。自民党から割れて別な党をつくって選挙に出たものを、自民党も財界も誰もまったく非難しなかったですね。そして、第一回目の選挙で「この程度でいいのかいな」と竹下も言っておりました。ということは、当時既に自民党政治の限界と同時に、政治の流動化を支配層の中で計画した人たちがいるということですね、これは。
 それからもう一つあります。自民党単独支配が崩れたあの時ですが、テレビで自民党を非難したとか、非難しないとか(テレビ朝日の事件)がありましたね。それで自民党がかんかんになってディレクターを国会に呼び出して、喚問した。
 なぜテレビの連中がやったかというと、財界が応援したからですね。つまり、財界から暗に激励を受けとった。だからやった。自民党はすぐ気付きますよ。自分たちがしょっちゅうその手を使ってたから。どっかから手が回って、テレビでダーッと名だたるタレント、にわか政治家どもというのかな、あういう連中が出てテレビでじゃんじゃん茶の間に向けて自民党の悪口を言ったから、負けてしまった。自民党はカッカきて、後で問題になった。そういうことをやったですね。これは財界が背後にいるということですね。
 もう一つあります。あの選挙の結果として、自民党は比較第一党ですよ。従来ならば、自民党が政党政治の常識からいって、かれらが中心になって内閣をつくってもちっともおかしくないんです。なぜ出来なかったか、なんです。財界のテコ入れがあったからです。だから自民党でない八党派の連立政権ができた。考えてみると、最初の頃は思い通りにいかなかった、例えば小選挙区制問題など。しばらくゴタゴタしたので、新しい連立の時代にうまくいかないといって、あの民間臨調の親方が怒っていましたが、考えてみるとこれも悪くないと思うようになったんですね、そのあと。
 そういうわけで、支配層はいつでもその手のことをやります。ですから、私は共産党がいま躍進の根拠として「総自民党化」をあげ、その上に自分たちの将来を描いているということは、いくらかでもそういう政治的なものを見る人たちにとっては「おめでたやなあ」ということになるんですね。
 さてその続きですが、それでも共産党は連立政権を展望できるような時期に来ているといっているわけですから、もちろんやりようによってはということですが、さらに説明しているんです。その中に、質問者に対する回答として、現実には共同できる政党はありませんが、いつまでもそうではない。共同できる党が現れる可能性がありますと、これが最初。
 そして次に言っていることは、「われわれがやろうとしているのは、資本主義の枠内での改革ですから、将来の問題として修正資本主義の党と共同できる理論的な可能性があります」と説明している。修正資本主義というと、まあ一見して幅が広いですね。野放しのいわば自由主義経済のようなというのに対比して、資本主義それ自身は市場経済の行きすぎなどいろいろあるので、いくらかこれに修正を加えるというか、制限を加えるというか等々ということで、資本主義を長続きさせる。基本的には修正資本主義という考えは、資本主義を守るために、野放しにすれば社会が分裂するとかいろいろですから、守るためにもということで、さまざまに資本主義に修正を加えるということですから、広い意味でいえば社会民主主義も入る。こんにち資本主義に手を加えなくてよろしいという意見はそんなにないと思いますね。
 ですが、ここで不破が言おうとしているのは明らかに、社会民主主義政党とは区別しております。別な言い方をすると、修正資本主義の党ということは、一般的にいえば保守党とも共同できる理論的な可能性がありますと言っているんです、将来の問題として。明確にそう言っております。これは新しい状況ですね。
 そしてこの続きの説明で、「ヨーロッパや日本の六〇、七〇年代の経験を教条的に理解する必要はありません」。つまりヨーロッパの経験や日本の六〇、七〇年代の社会民主主義者、まあ端的に言って社会党ですね。これとの共同の経験、あるいは統一戦線の経験があるんですが、これを教条的に理解する必要はありませんと言っている。つまり共同の相手とはそういう方面ばかりではないんですよ、と。それからなかなかうまくいかなかった等々で出口がないように見ちゃいけませんよと、解説を加えればそういう意味でしょう。
 そして、「日本では社会民主主義は定着しなかった。将来の政権を考えると、これは非常に重要なことです」と続けています。
 この点を解説しますと、こういうことになります。まず、ヨーロッパの経験は何も社会民主主義との経験だけではないんですね。フランス共産党は、始終社会党とどう統一戦線を組むかでした。一回やってみましたね、ミッテランと。フランスのミッテラン社会党は当初は小さかったんだけど、共産党と手を組んで大統領を取ったら、社会党は大きくなって、共産党は小さくなりましたね。私もフランス共産党に会ってみましたが、悔しがっておりました。
 しかし、ここで不破がなぜかイタリアの「歴史的妥協」、つまり日本でいうなら自民党ですね。これと手を組もうとした有名な経験がありますが、これに触れていない。ベルリンゲルも貴族出身で、相手もそうだったんですが、その保守党の指導者が死んだのでご破算になりましたね。だけれども、イタリア共産党は始終、まあマキアベリの国といえばそれまでですが、そんなことをやってきた。不破は、この経験を外しているんです。ヨーロッパの経験といいますと、何といってもイタリアとフランスが共産主義者の政党では大政党でしょう。フランスの経験もさることながら、フランスは大統領制なんです。内閣で多数を取ったものが首相になるというのと違って。むしろ日本の政体は議会で多数派が首相になるんですから、イタリアと政体が似てるんです。そこで「歴史的妥協」といって保守党と手を組もうとした経験がある。これを奇妙に外しているんです。「何でかなあ」と考えざるを得ない。さっきの修正資本主義うんぬんということと結びつけると、じゃあイタリアと同じことやるのかと聞かれはせんかと心配なんでしょうかね。これ勘ぐりですかね。
 もう一つあります。六〇、七〇年代の社会民主主義党との経験うんぬんと関連して、「日本には戦後、社民は定着しなかった」と、言っている。戦後何十年と社会民主主義者との共同、どうやって統一戦線に引き入れるかで、共産党はさんざん苦労したはずなんです。ところが、これもほっといて「社会民主主義というのは定着しなかった。大したことでなかった」とこう書いてあります。
 そうでしょうか。共産党が労働運動でちっとも自由がきかなかったのは、日本の労働運動に大きく社会民主主義が染み込んだからじゃないですか。労働運動にとうとう手をつけきれなかった。全労連などといったって、こんにちそれで天下の形勢に響かないでしょう。
 さらには、このあいだ村山は総理大臣になった。社会民主主義でしょう。「定着しなかった」といっても、自民党は共産党よりはるかに社会民主主義を評価しているんです。「ありがたや、ありがたや」と言っているんです。吉田茂は「社会党を育てにゃならん」と言った。以後ずっと日本の支配層は、社会党を育ててきたんです。徳川家康は、百姓を「生かさぬよう、殺さぬよう」ですが。やはり社会党があって労働運動に一定の影響を持つということは、日本の支配層にとって重要なことだったんですね。
 そして、こんにちの歴史的瞬間に、支配層がそれこそ内政を大転換しなきゃならん、そういうこの時に、社会党、こんにちの社民党がいるから、そしてこれが閣僚になってくれるか、与党になっているので、こんにち労働組合が騒がない。八〇年代半ば以後に中曽根が、「左ウイング」といったやつですね。「労働運動の上層部を巻き込む」といった、これが、こんにち見事に実って、効果を発揮している。
 これほど危機が深く、支配層の中も、改革問題で大げんかしている訳でしょ。地方の自民党などは、「もう暴動だ」と言っているんです。そういう時期、いわば敵にとって容易でない時期なんですよ。この時、労働組合が「いっちょやるか」と街頭に百万でも集めるか、とやったらどうなりますか。そりゃあ、まず商人が大喜びする、つぶれそうな土建業者もトラック持って参加しますよ。九州でこういうことがあった。「俺らやるから、何とかせんか」と土建業者に言ったら、「俺らがトラック持っていく訳にはいかん、貸してやるから使わんか」と言った。それ程危機が深いんですよ。業者に聞いてみなさい、「生ぬるい」と言ってますよ。かれらは今いたる所で、全国会議やっていますよ。毎日つぶれている訳ですから。こういう時、日本の労働運動はじーっと鳴りをひそめている。おかしなことでしょう。
 だから「社会民主主義は定着しなかった」ではなくて、日本の戦後史に大きな裏切り的痕跡を残したんです。ところが、共産党は「定着しなかった」とだけ言っている。そして、この経験をそーっと隠している。つまりかれらは、以後保守党との連立の時代が来ると見ていますね。そういってほぼ間違いないんだと思う。今度社会民主主義がすっかり見捨てられて、あとは何党かしりませんが、適当な名前をつけて、かれらも飯を食わにゃならんでしょうから、やるんでしょう。
 だけれども、次の局面で共産党が狙っておるのは、だんだん支持を広げまして、そしてイタリア、フランスの経験を見ると分かりますが、とりわけイタリアは分かりやすいですね。肝心なときに支配層の危機を救う役割を果たす。
 こないだ通貨統合に際して、イタリア共産党再建派、ついでですが、これは共産党の大会に参加している、これがとった態度がそうです。今ヨーロッパはどこも国家予算をどんどん削っている。一種の緊縮財政やっているんですね。だから、戦後国民が闘い取ってきたさまざまな既得権が政府側からの攻撃で取り上げられているんです。もう九九年には、通貨統合を実現しなければならん。例の三%条項というやつですね。国家の借金を(GDPの)三%以内にというやつです。
 そこで、イタリア共産党のなれの果てが三つに分かれておるんです。左翼民主党というのがこのあいだ中心になりまして、それから社民党の伊藤茂氏などがやっている「オリーブの木」はそういう連中が中心にやっているんです。「民主党」と付けるより、ヨーロッパは「左」と付けた方がいいんでしょう、昔の伝統がありますからね。もう一つ残っているのは、共産党再建派。あともう一つあります、もう少しケバケバしい所ですが。
 共産党再建派も閣内に入っていたか、支持か、そういう状態でした。それでイタリアの政権は成り立っていた。ところが、国民に我慢してもらわにゃならんだったんですね。借金を減らさにゃならん。そこで共産党再建派は動揺しちゃったんですね。もちろん、口をぬぐって「俺は、昔、共産党におった」なんて言わんような、左翼民主党というのもありますよ。だけど「再建派」と書いてあるような党には、まだちょっと調子が悪いんですね。そこで、この連中は初めはそれに「反対」と言ったんです。それでイタリアの内閣がつぶれそうになった。そしてすったもんだしたら、どういう攻撃がかかったかというと、イタリアがヨーロッパの通貨統合に入っていくのに、その内閣がつぶれるとうまくいかない訳ですね。一斉に支配層の側からの攻撃があった。
 やはり共産党再建派ですから、従来のだましてきた労働者から反発受けるのが困るんでしょ、これ一つ怖いんです。
 しかし、支配層の攻撃の方も怖いんです。そこでそうこう一週間ばかりしていましたよ。しかし、とうとう撤回しちゃって「賛成」と言った。それで不安定な政権は、また出来上がりました。めでたくというか、まだ先ちょっと仕事があるんでしょう。それにしても通貨統合に向かって一歩前進した。つまり、イタリアの支配層は統合に向かっての危機が救われたんです。こういうことですね。
 つまり、イタリアの支配層はこんにち、体制側は労働運動なり何なり一定の影響を持つ、つまりさっきの実例で言えばイタリア共産党再建派のような、そういう党も味方に引きつけないと乗り切れない、それ程不安定な政治状況になっている。
 日本はまだ社会民主党さえ、つまり土井たか子委員長を先頭にしたあの社民党さえ巻き込んでおくと大体、政治はまだ持つんですね。しかし、やがてそうでない時期が来る、あれはあれで何とかぞうりのようにそのうちに捨てられる。見抜かれるから、何度もは使えない訳ですね。そういうわけで、そういう時代が来ると見ていますね。その時支配層を助ける役割が、共産党の役割ということになるわけです。


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