体制の危機を救う共産党

(4)わが国の労働者と進歩を願う人々に訴える!


 この共産党との闘いについて、わが国の労働者と進歩を願う人たちに真剣に考えて頂きたいと思うんです。
 今いずれにしても、ここに書いてありますように、この局面でどうやって政府を追い詰めていくのかという場合に、「次は来年の七月は参議院選挙がある」「その次はいつ」というふうになって、選挙のたんびに頑張ることで日にちを過ごせば、この時代は労働者階級や既に悲鳴を上げているたくさんの中小零細業者、こういう人たちにとっては、そういうやり方ではどうにもならないと思うんです。
 不破は、今年の旗開きで「政治が変わるのは、選挙の節目、節目だ」と言っている。選挙を通じてしか政治状況は変わらないと言っている。しかし、身近な経験でも私はそれは正確さを欠くと思う。例えば一昨年になりましたね、沖縄県民の闘い。米兵による少女暴行事件から端を発した沖縄の闘いは、政治を変えた。あの直前には、支配層は「日本では安保条約は既に議論の対象ではなくなった」と言っておりました。ところがあの事件以後、沖縄で大きな闘争が起こり、全国に波及した。そして日本の安保体制それ自身が揺らぐような政治状況となった。その間、議員は一人も変化していない。天下の大事件、政治的に少なくとも枠組みが揺らぐような事件というのは、選挙ではありません。大衆の行動です。
 したがって、私は今最も重要なことは大衆的基盤のある国民運動を組織することだと思います。行動が組織されなきゃならん。
 この点で、共産党の大会文書の一部には革新懇がでてくる。かれらのいう統一戦線をつくっているんですね。まあわれわれサイドからいうと国民連合のようなものですが。その革新懇の影響下に既に今日、四百万人程度の人たちがいると書いているんですよ。それならば、この四百万人、半分でもいい、四分の一でもよい、とりあえず私が主張するのに同意して頂いて、街頭で少し騒いだらどうか。五十万人でもよい。街頭で騒いで、この時全国で苦しんで、何千規模で大会をやっているあの業者たちに呼びかけて、一緒に参加しませんかと、こう騒いだらどうでしょう。たちどころに天下の様相は変わると思うんです。
 こういうことをかれらは組織しようとしない。なぜかなら、もしそうすると共産党はまた過激派になったのかと言われる。だからやらない。しかし、実際のところいま行動以外にないんだと思うんです。労働組合の皆さんに考えて頂きたいところです。

 さて次に私は、日本の一般的にいえば労働者階級、労働組合の人たちは戦後史の全体とこの時期に、今は歴史的には決定的な瞬間なんですが、どういう思想潮流、あるいは政党がどんな役割を果たしているかについて、批判的に検討すべきだと訴えたい。
 例えば今、社会党という名前は調子が悪くて社民党といっておりますが、この党の戦後史で果たした役割は何だったろうか。この瞬間にかれらはどんな役割を演じているんだろうか。こういうことを私は批判的に検討する必要があると思うんです。
 そうでなければ、再びわが国の労働運動だけでなく、国民運動は支配階級に対して有効に闘えないんです。
 戦後の共産党、もちろん、これについてもきちんとした評価が必要ですね。
 かれらは、口では統一戦線を言いながら、実際には統一戦線をやれませんでしたね。私は五〇年代、六〇年代と全部知っておりますが、例の警職法案(まあ若い人たちはまだ生まれてない頃ですが)の闘争というのがありました。その前は砂川闘争ももちろんありました。また内灘闘争がありました。いろんな闘争がありましたが、共同闘争です。良くも悪くも、労働運動の内部における共産党員と社会党員が、共同の雰囲気がありました。当時、共産党は四万か五万しかなかったんです。今日四十万と言っているじゃないですか。四、五万の共産党が社会民主主義が支配する労働運動の中で、この連携を実現することによって、大きな闘争をいくつもやったんですね。
 共産党が正しい政策をとれば、共産党の人数ではないんですよ。実例が示しています。しかし、共産党がますます「議会の道」に入りましてね、そして選挙というのはゼロサムゲームでしょ。国会議員の数は決まっていますから。あちらが一つ増えるとこちらが一つ減るわけですね。途中うまいこと言っても、選挙の時はけんかですから。こういう党になればなる程、共同闘争ができない。どちらもどちらと言えばそうですが、共産主義者の運動という角度からもし言うのならば、あの党は議会の党に転落したことによって、統一戦線の組織者になれなかった。
 そして議会で多数派を取ることを夢見るように進めば進む程、社会民主主義との間は割れちゃった。ある時期にこう書いています、社会党の議席が衆参合わせてまだ百いくらあったんでしょう、その時期に「社会党が少なくとも五十ぐらいに減ってしまわないと、あいつらは統一戦線に応じない」、と。そうなればどちらもけんかになるわけですね。そういう訳で、この党の果たした役割ですね。
 そして、今共産党はさっきから申し上げたように、どんどん「信頼される党」ということで、支配層にとって痛くもかゆくもない政策を掲げることによって、評判をよくしようとしている。ますますその方向は、進むと思いますね。こういう問題です。
 私は多くの人たちには申し上げる必要はないと思いますが、労働者階級の中で少なくともまっとうに支配階級と争うという意思を持った人たちは、この問題を真剣に考えてみる必要があると思います。日本の進歩を願う知識人の皆さんも、この問題を真剣に考えてみる必要があると思います。総括が必要になっております。
 確かに、一連の社会主義諸国が歴史的に大きな敗北といいますか、後退しました。しかし、資本主義は危機を解決し切っていませんし、ますます危機は深まっているんです。前途にどんな考えがあろうがなかろうが、危機が深まれば大衆は闘わざるを得ないんです。大衆は、結局闘う必要がある時には何か旗を必要としますね。社会主義が確かに評判悪くしましたから、多くの人たちがまっすぐ社会主義と言わないかもしれない。それは大衆のせいではない。うまく説明し切れず、しくじったということですから。しかし、先進的な人たちは、戦後史、あるいは世界の労働運動の歴史についてきちんとした検討を加えて、この運動がもう一度前進していくことをやはり求めなきゃならんのだと思うんです。
 私どもはそういうことを皆さんに訴えたい。

 そこで、そのためには共産党問題をもう少し検討してみたい。
 ここに書いてあるように、共産党は次の局面でおそらく、つまりかれらはいま躍進したと言っておりますが、これをできるだけ定着させ、政党としての前進を図ると思います。で、資本主義の危機がもっと深まれば、結局のところ「われわれ」にも支配層が助けを求めに来るであろうと、こうなっているわけですね。支配層の側は危機が深まれば、助けを求めに来る。これはイタリアでもどこでもそうですね。
 ついでですが、フランス共産党の話をしてみたいと思います。モーリス・トレーズというのがおりまして、戦前から活動をやって、この人は珍しく労働者出身だった。しかし、これが死んだ時にドゴールが、「二回助けられた」とトレーズに感謝の気持ちを表しているんです。
 一つはレジスタンスを組織してナチスと戦ったからです。
 フランス共産党はご存知のように(フランスだけではありませんが、ユーゴスラビアもどこもそうだったんですが)パルチザンを組織しまして、銃を持っていたんですよ、あの戦争が終わった時に。パリは労働者によって解放されたんです。共産党が中心でクリスチャンとも統一戦線をつくって、ナチスと闘ってパリを解放したんです。
 ドゴールはイギリスにおりましたが、アフリカ戦線を通って上陸してきたんです。そしてフランスへ来る。そのことを指して「助けられた」と言っております、ドゴールが。
 このドゴール将軍はもう一度、「トレーズに助けられた」と。どういうことかというと、二次大戦後、武器を捨てて選挙に応じたんですね。他の国では違っていました。例えばユーゴスラビアは、武器を持ったまま、そのまま政権を維持したんですね。もちろんアルバニアなどもそう。毛沢東がちょうど「幻想を捨て闘争を準備せよ」と言った頃ですね。
 ドゴールにはもう一度これがあるんです。パリの五月危機です。歌にありますね、加藤登紀子が歌ってるじゃないですか。このときもドゴールは共産党に助けられた。もともと共産党はゼネストは嫌がっていたんです。学生から起こって、他の労働運動がいろいろくっつきましてね。フランス共産党が指導する労働組合もついにゼネストに入るんですね。パリは止まっちゃったんですよ。フランスの体制の危機だった。その時、ドゴールは数日間行方不明になった。その時ドゴールはもはやお手上げするかどうかと言われていたんです。パリ市内はゴミの山で、労働者が支配していたわけですから。それら闘争に立ち上がった労働者の票を全部集めても、天下は変わらんのです。選挙やると負けるんです。
 労働者が仕事やめますと、今日の体制は動かないんです。それは東京だってそうですよ。二十、三十万の労働者が仕事やめたら多分、東京は万歳でしょう。三十万票の票でどうなりますか、チャポンとも言わんでしょう。でドゴールはその時、ドイツの国境に行って、仏軍が当時NATOにいたので、その司令官たちと話し合ってきて、いざという時に助けてもらえるという約束を取りつけた。そしてパリに帰ってきて、フランス共産党に呼びかけた。「このままストライキを続けて銃剣と争うか、それとも選挙に応じるか」と粘ったんです。フランス共産党は選挙に応じたんです。それでゼネストは終わり、共産党は選挙にも勝てず。そりゃあドゴールが感謝するはずですよ。そういう決断を下した共産党やその指導者ですから。そういうことはあるものなんです。
 したがって、私は体制側から共産党に助けを求めてくる時期は、ちょうど今社民を使っているのと同じですね。危機が深まれば必ずあると思う。共産党の指導下に一定の労働者がいる訳ですから。そして、そういう時期には、共産党の指導下の労働運動であれ何であれ、労働者があちこちで騒ぐ訳ですから。その時、ずっと右の労働運動の人たちだけ引き入れたってどうにもならないですから。やはり肝心要のあの政治勢力と手を結べば、という時期があるんですね。そういう時期が来ると思うんです。
 しかし、共産党サイドから見るとどうなるか。できるだけ早く政権にありつきたいですから、「共産党にやらせても安心ですよ」というのをやればやる程、危機が深まる中で早く政権にありつけるということになります。あれは村山が総理大臣になる条件になっていたんでしょう、おそらく。あの時に安保条約問題とか自衛隊問題等々に一定の譲歩しないとしたら、総理大臣やっておれないんです。闘いを堅持しておれば、つまり従来の社会党の方針を堅持しておれば、与党におれないです。政権にありつきたいからこそああやって、村山首相、自衛隊に閲兵もしにゃならんと、その時に自衛隊違憲ではどうにもなりませんとこう言われりゃ、それはしょうがないとなるですね。
 つまり、体制側からも労働運動に一定の影響を及ぼすものは、どうしても協力が必要なんです。それはおっかなびっくりだけど、それが安心できる程早く任せられる。共産党サイドから見ると、要求を下げれば下げる程、早く安心してもらえるということで、既に今進んでいるんですね。そういう訳で、共産党は支配層に、今二十一回大会で内政では、はっきりと恭順を示した。「共産党の考えていることは、大したことありません」と言おうとした。だから評判が良くなった。
 しかも、さっき申し上げたように、他国との違いをさしあたって解決したいと言っている訳ですね、ヨーロッパ並みに。他国との違いということになりますと、必ずしも今日までの日本支配層がやってきたことを暴露しないで済むんです。例えば、彼らの文書の中に「公共事業、これは浪費だ。自民党政治のもとで浪費に次ぐ浪費をやってきて、五十兆円使っている。そして福祉などに使っているのはたった二十兆円だ。外国は逆なのに、日本は大変だ」とこう言っている。「ゼネコンのために、こんな無駄なことを」と一見批判的なように見えるでしょう。
 そうじゃないんです。あれ、浪費ですか。戦後史の中で、今日のように巨大に大企業が栄えてきたのは、社会基盤の整備、公共投資といって、いかにも国民全体の財産といいながらも、実は産業基盤を整備してきたことなんですね。ここに湯水のごとく財政をつぎ込んできたんです。ゼネコンのためにつぎ込んだんじゃないんです。
 日本の工業を輸出立国で、電機、自動車等々で大企業を栄えさせるために、巨大な投資をやってきたんですね。公共事業というのはそういうものなんです。これは収奪でしょ。国家を挙げて国民の税金を大企業育成のために使ってきたことで、「無駄」と言うと批判しているようですが、そんなことはないんです。「無駄」ではなくて、むごたらしい収奪をやってきて、かれらだけが太って、他の諸階層は、資産を比べてみればよく分かるんです。百姓など資産をどんどんなくしていっていますよ。収奪をやっているんです。そう言わないで済むんです。ゼネコンは、そういう事業をやる中で育ってきたんです。
 だんだんこれが、習い性となって、こんにち有害になったから支配層は、この政治をやめようとしているんです。歴史的に果たしてきた公共事業は、本来は国を挙げて国民の税金を収奪して大企業を栄えさせてきた政治でしょ。こういう暴露をやっていないんです。
 そして、「自民党政治が失敗した」と言っている。そんなことありません。何十年と自民党は財界のために奉仕し、そのためにこんにちの世界経済の中で競争力のある企業は育った。そしてこんにち、新しい国際競争の中でその政治の転換を必要とするようになってきた。だから、財界もこの政治の転換を望んでいるんです。だから、自民党にも「変わってくれい」と言っているが、やはりえさを味わってきた連中ですから、なかなか忘れられず、かれらも内輪もめしているということですね。
 ですから、他国との比較は一つの問題点ではありますが、本当にむごたらしい搾取を暴露しようとすると、具体的な事実を一つひとつ分析し、そのむごたらしい搾取をどうやってやめさせるかということが大事な点で、だから曲がりなりにもかれらの二十回大会は、「諸悪の根源である大企業の収奪を規制しにゃならんのだ」と言ったんです。今回、これをきれいに取っ払った。何一つ「民主的規制」の実質がない、言葉だけですね。
 そういうわけで、私は共産党は既に内政で、敵にとって「まあ流れもあるから、共産党も一挙には何もかもおとなしくとはいかんだろう。しかしまあ方向は決まったな」というのが、財界の評価ですね。

 もう一つ、外交問題で申し上げたいんですが、さっきからなぜ共産党は東アジア戦略構想について、米国の戦略を暴露しないんだろうか。この問題と台湾問題ですね。これは、つまり昨年の四月に日本の支配層は、自民党だけじゃないですよ、財界挙げていわば二十一世紀に向けてここしばらく米国の戦略に沿って、アジアで生きていくということを選択したんですね。だから、台湾問題についてもああいう態度を取っているんですが、その選択したものに明確な態度を取ることが、共産党にとっては難しくなっているんです。
 ご存知でしょうか。かつて冷戦時代、西側諸国でどの政党も「西側の一員」であるかどうかとというのが、政権に参加できるかどうかの一つの踏み絵になっていましたね。西側の一員、激しく対立していましたから。それが東側と手を結ぶ政党ということであれば、支配層も決して仲間には入れなかったわけですね。こんにち日本で支配層が全体として選択した、米国と共に進むというこの問題に、明確な態度を共産党が既に取らなかったのは、それを想起させるものですね。ここにも、支配層への明確な配慮がみられます。
 さらに、驚くことがあります。土井たか子、今の社民党委員長が米国に行ってアメリカ民主主義をたたえたことがありますね。国民政党論をやった後です。共産党の大会文書に「米国民主主義についても、われわれは一定の評価をしている」とわざわざ書いていますよ。こういう問題があります。

 もう一つ、社会主義問題で共産党がどう言っているかについて、簡単に触れてみたい。
 「民主連合政府、民主主義革命、社会主義革命、これらの三つは社会発展の前進的な諸段階を表しています。しかし、どのような社会を選ぶか、いつそういう社会に進むのかという問題は、選挙によって国民の皆さんが決める問題です」と、これがまず一つ。
 「しかし、共産党は社会主義者の政党ですから、より高度な社会への道をめざす国民的探求の時期が必ず来ると確信しております。国民多数の合意の成熟を通じて、これが歴史の日程に上ってくるものであることを、強調したい」と言っているんです。
 これは、こういうことになると思うんです。資本主義の危機が深まって、いつかは国民の多数が社会主義をめざすようになるであろう。しかも、それが選挙で多数派をつくるということですね。選挙でそういう人たちが国民の多数派になった時に社会主義と、こうなっております。
 理屈に合っているようですが、危機が具体的に深まり進む時を考えたら、どうなるでしょう。こんにち社会は一億人住もうが、十億人住もうが、社会はいくつかの利害集団に分かれております。資本主義のもとで暮らす多くの人たちを含めて、社会主義に行こうという結論を待てる程にこの利害は、生易しいものではないんですね。いつかは必ず資本主義の危機の深まりの中で労働者は、ストライキによってしか、あるいは行動によってしか事態は解決しないということを知るだろうと思います。
 一方は、それにあらゆる手段で反対するんだと思います。階級社会という現実、それ程厳しいものだということを不破は既にもう忘れている。社会が矛盾なく、あるいはさしたる困難もなく、皆さんが社会主義に同意してくださる日を待とうという訳です。歴史上、マルクス主義以来、社会民主主義というのと、共産主義というのと分離した過程がありますが、これはもうそっくり社会民主主義者の度しがたいものと言わざるを得ない。
 ほんの数カ年前まで、日本の社会党も、皆さんご存知のように社会主義を信じておりました。社会主義は理想の社会と言っておりました。労働組合の文書から、全部社会主義という言葉をなくしたのは、九〇年代に入ってからです。九〇年、九一年だったでしょうか。ほんのこの間まで、民社党というのがありました。今民主党がありますね。これが社会主義インターに入っていますよ。理想としているなら結構じゃないですか。誰も本当に社会主義と思っていない。
 そして、この問題を正確に言いますと、資本主義が生まれて以後、社会主義が問題になってきた。社会主義が、経済的土台、この社会の仕組みの中で社会主義を必要とする、つまり歴史上の課題として登場させたのは、はるか昔です。社会主義によってしか打開できないと言い始めたのは、はるか昔なんですよ。問題は、それ以後もまだ資本主義諸国は社会主義でなければ解決し切れないようなさまざまな矛盾、資本主義では決して解決できないような矛盾を抱え込み、抱え込みしながら、引き続き膨張してこんにちに来ているんですね。
 いうところの生産の社会的性格と生産手段の私的所有という問題ですね。ここから、この弊害はいくらでも出ているでしょう。日本の国内の経済が疲弊しようが何しようが、大企業はもうからなければよその国に生産を動かす、などということは、そういうことでしょう。社会的にどんな危機が来ようが、企業家は企業家の利益で動く訳ですね。一国や全世界が危機に陥る、例えばアジアの最近の発展をご覧になれば、分かると思います。
 今、こうでしょう。世界の貿易、モノやサービスが動くのは一年間に三兆ドルといわれる。金が余ってばくちに使っている金、デリバティブはその百倍だという。理不尽な話で、これが生産に投下されればとてもいい訳ですが、それでもアジアのあの発展は、大量にあの地域はもうかるということで、大量に世界のあり余っている資本が流れ込んで、生産が発展し、やがてはバブルになったんですね。調子悪いといえば、一挙に引き揚げる。マハティールがこう言っている、「あの手を抑えられないか」と。金融で投機をやってもうかるような連中、これを法的に縛る必要はないのか、これは一握りの資産家たちが自分の財産ということで世界をかき回しているという現実があるでしょう。だから、これはとっくに現実の経済のシステム、社会のシステムが最終的には資本主義では片付かない諸矛盾をいっぱい抱えている、そういうことなんですよ。
 問題は、政治の分野で、議会制民主主義のもとで運営されながら、社会主義を熱望しても多数派になれないということでしょう。ですから、「いつの日にか、たくさんの人たちが社会主義を望むであろう、私たちは社会主義が来るのを信じています」というのは、現実の厳しい闘争の中では、百年も千年も資本主義を延命させるということですね。この間のさまざまな裏切り者と何ら変わるところはない、これが、共産党だと思うんです。
 したがって私たちは、共産党は内政でも、外交でも、既に支配層に恭順を示しただけでなく、社会主義者という意味でも、既にかれらはこの課題を今の社会の差し迫った課題というものから、遠い先のことにしてしまった。そして社会主義に労働者階級は自分の力で敢然と闘っていく、こういうことはできないという理論を広めている訳ですね。 多数派、このことをあなた方はどう思うか分かりませんが、私は何の遠慮もなくこう言っているんです。レーニンが「あらかじめ選挙で多数派を取って、それから社会を変えなければならないというこの理論は、度しがたい議会主義的クレチン病だ」と言っている。
 そこまで言うと私はここでは少数派になるかもしれない。そこで私はその言葉を少し言い換えて、選挙もよろしい。やっていいじゃないですか。しかし、今大事な点はそこだけが時代の転換を図る、あるいはこの危機を抜け出す道ではないということに思いをはせていただきたい。むしろ、選挙は休み休みやってよろしいと思いますが、なおかつ大衆的基盤のある国民運動、行動に出る必要がある。労働者の皆さんが本来の姿に返って、百回、企業家たちと交渉するより、一回のストライキがはるかに大きな効果を生むという、この現実に戻ってほしい。
 そうでなくて、「今度は共産党がいいじゃないか」と宣伝して歩きますとどうなるか。「本当に社民主義になってくれるんだろうか。そんならいいけれども」という人たちも結構いる。ここまで来ているんですね。そして、ここ数カ年、社会主義国がいくつも崩壊したこともありますが、「これからはイデオロギーの時代ではなくなったんだから」という。こんなのうそっぱちです。それこそまさに敵側がイデオロギー攻勢をかけているんですよ。私は、だから昨年の旗開きで、この数カ年の歴史をつぶさに見てみますと「大局的には帝国主義側からの激しいイデオロギーの攻勢の時期であった」と述べました。そこで何もかも混乱してしまっている。しかし、やはり目をこすって、何かは依然としてわれわれの考えは根拠のあるもので、正しいものというふうにきちんとすべきです。変えるものがあればそれは何も遠慮することはない、変えたらよい。
 そこで申し上げたいのですが、今日のこの社会は同じ質、同じ条件のもとにおる人たちの集まりではないということです。深刻な程に、経済的諸条件が違うんですね。
 一部は働かなければ、無一文ですから、職をなくせば翌日から路頭に迷う。こういう社会層、社会集団が、日本でいうなら数千万人いるという現実があります。
 もう一部の、金が余って困っている諸君は、あり余った資本と生産手段を私的所有することによって、したい放題をしているという現実があるんです。
 間に、中間層が、中小業者やさまざまな人たちが、資本家の中でも零細、中ぐらいの資本家たちは困っていると思うんです。
 そういう客観的な現実があるんです。この現実を踏まえて、誰かは「この社会は良い」といい、誰かは「この社会はうっとうしい」といい、誰かは「もはや暴動だ」というような時期にますます近づいてきているんですね。これはどんなにテレビで「豊かな社会だ」なんだと言おうが、変わらない現実です。昔も今も変わっていません。
 共産党の文書の極めつけは、「共産党がこんにちめざしておるものは」という決議にこう書いてある。「資本主義の枠内で、豊かで、自由で、平等な、人間らしい社会を実現するために、共産党は頑張る」と書いてある。これ共産主義者ですか。資本主義は、「豊かで、平等で、人間らしい生活」をおくれる社会でしょうか。労働者ならば信じないと思います。
 もう一つの信じないやつは、支配層です。そういう意見が広まるのは結構で、ニンマリとしている。共産党はまさにこんにち、企業家にとっても悪くない。「なかなかいい政党になったねえ」と言っている。
 そこで私は、皆さんに延々と時間をさいてお話し申し上げたうえで、最後に訴えたいのです。
 危機が深まる次の局面では、そんなに多くなくても断固たる闘いを組織したい。そうすれば私はこの国の労働運動、世界の労働運動や共産主義者たちの運動も、私は新たな前進が始まるというふうに深く確信するものであります。共産党が何十万いようが、恐れるに足らないと思います。
 終わります。どうもありがとうございました。


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