体制の危機を救う共産党

(2)支配層に安心感を与える内外政策
−−共産党がめざす日本、批判−−


 第二章は、「日本共産党はどんな日本をめざすのか」というタイトルです。
 もちろんこのタイトルでいろいろなことを書いておりますが、この「根本的な三つの転換」というのは、これまでの表現と一見して変わらないような形になっています。
 一番目の、「安保条約をなくし、アメリカともアジア諸国とも真の友好関係を結び平和に貢献するうんぬん」といっている点は、二十回大会文書と同じ、つまり三年前と変わりません。
 二番目の、国民生活や経済問題について。ここは大いに変わっています。「世界でも異常な、ルールなき資本主義をただし、大企業に社会的責任を果たさせ、国民生活最優先の経済発展を進める日本」となっています。
 三番目が、憲法問題。「憲法改悪と軍国主義の全面復活を阻止し、あらゆる分野で民主主義が花開き、人間が人間として尊重される日本」。
 この三つの方向で転換せねばならないのだ、ということが書いてあります。そして以降、この詳細な内容を展開しています。
 一番はじめに、「日米安保条約をなくし、アジアと世界の平和に貢献する日本」というタイトルで、外交や安全保障について書いています。その次に、「ルールなき資本主義をただし、国民生活を守る」として、国民生活、いわゆる日本の経済をどうするかということについて書いてあります。
 あと、憲法問題と民主的多数派の形成とありますが、私は今日は最初に、国民生活や日本の経済についてどういう提案をしたのか、それを批判的に検討してみたいと思います。
 その次に、日米安保条約うんぬんという安全保障問題をとりあげてみたい。
 「日本共産党がめざす日本」という形でやっているものを、内政と外交、この二つについて、取り上げてみたいと思います。

1,国民生活・経済政策への批判

 まず内政ですが、そこには特徴、きわめて非常にはっきりした特徴があります。つまり、経済政策、国民生活や経済政策に非常に大きな特徴が出ているんです。「安心してもらえる現実的政策」という特徴が非常によく出ています。もちろん外交にもよく出ていますが、ここには非常によく出ています。
 かれらの文章を詳細に引用したほうがよいかもしれませんが。いずれにしても今回の文章でも「国民生活優先の経済運営」に変える必要がある。そしてそのためには「民主的規制が必要だ」と、一応は書いているんです。
 しかし大きな特徴というのは、二十回大会と比べてみると非常に大きな特徴があります。三年前とは政策そのものも非常に変わっている。前回の時の要求・政策は、独占資本がいかに国民を収奪しているか、いろいろ書いております。そして、そのひどさは外国と比べても分かると書いている。つまり「ルールなき資本主義」といわれるように、「日本はひどいものじゃ」と前回も出ています。ただし、日本の大企業はむごたらしいことをやっている、そのむごたらしさは外国と比べてもひどすぎるのじゃと書いている。前回は形容詞なんです。
 今回はどうなっているかというと、形容詞ではない。外国との違い、つまり、ルールなき資本主義といわれるほど外国と違う。とりあえずは外国並みにする必要がある。つまりは、ヨーロッパ並みと書いてある。ずいぶんと変わっているんです。
 今回の要求をズラーッとならべて、この十一月の赤旗まつりで不破はこう言っています。あの大会決議でわれわれが「ルールなき資本主義をただす必要がある」と言った。あの中身は、「ヨーロッパではすでに実現しているか、実現まぎわのものばかりであります」と、こう言っています。これほど人を食った話はないと思います。その中にはもちろん、労働時間はヨーロッパと比べて長いだとか、その通りですね。ヨーロッパと比べて公共事業はこんなに違うとか、薬代とか福祉予算に使うお金はこんなに少ない、こう言っているんです。
 一見してもっともらしい書き方ですが、例えばヨーロッパは膨大な失業者を抱えている。日本よりはるかに多いんです。差もありますが、日本がよいのも多くあります。ヨーロッパ並みと言えば都合がよさそうですが、いずれにしてもヨーロッパで実現しているか、まもなく実現しそうなところと、そこへ日本を持っていく必要があると非常に強調している。
 そうするとすぐ良いことも悪いことも含めて申し上げれば、「ヨーロッパは日本よりずいぶん豊かなんだな」と思いますが、しかし、ヨーロッパの労働者はストを日本の労働者よりずーっとやっているわけです。しかもこんにち、福祉だろうがなんだろうが、長い闘いを通じて労働者が闘いとってきた権利を、ヨーロッパは通貨統合のために打ち切られているわけです。そこも天国ではないんです。
 この問題はあとでもう少し触れてみますが、一番の特徴は、二十回大会ではいろいろ国民の要求を書きまして、これらのことを実現するには、つまり「大企業本位から国民生活本位の経済に切り換える」ためには、約二百企業、大企業の百数十社、二十銀行など、日本経済の頂点に立っている大企業・大銀行、これを「民主的に規制する必要がある」と。いろいろいってもこれが「最大の政策手段」と、こう言っているわけです。大企業をグッと抑えると書いているわけです。
 今回これがふっとんでいる。そんなものはもうなんにもない。つまり、最大の政策手段だということは、この「大企業に対する民主的規制」、法律でこれを規制する。これが決め手になると二十回大会では言ったが、今回はそれがないのですから、決め手のないものということになるわけです。これが非常に大きな特徴です。
 しかも、二十回大会は九四年の夏ですが、春に出された彼らの経済政策(これは膨大なもので、時間をかけてつくったと言っているわけですが)には、ちゃんとこういう文書が出てくるんです。「七つの大企業の責任」と「五つの大企業への措置」というのがありまして、それなりに大企業にどんな規制や法律枠をするかとちゃんとあります。今回それらは何一つないんです。銀行に対する規制も措置も二十回大会ではまだ残っております。

 今回は銀行に対して何を書いてあるかというと、ディスクロージャー、情報公開だと言っている。これなどは共産党に言わせなくても、外国の企業もやあやあ言っているし、日本の政府もやあやあ言っているところ。もっときわめつけは、二十回大会では日本の黒字黒字と騒ぐがこれは主に自動車だ。自動車をつくってトップに立っているのはたったの二〜三社ではないか。トヨタ、日産、ホンダ等々と書きまして、これらがなぜどんどん売って黒字を稼ぐかというと日本の労働者を低賃金で使っている。下請けには過酷な収奪をしている。こういうものを法律で規制すればたちどころに黒字は解消されるとこう書いています。やれればそうでしょう。もちろんトヨタもみんなそれじゃ逃げろといって逃げるかもしれませんが。二十回大会ではそう書いています。
 今回はそういうことは一切なし。いろんな要求を書きましても、諸悪の根源は大企業が収奪していることでしょう。ここを野放しにしてはいけない、つまり「最大の政策手段」として法律や何かで縛ると言っている。投資活動についてもそう言っています。ある地域から大企業がそっと逃げていく。日産は座間から逃げていった。ああいうことをやられたら地域経済が大変なので、法律で抑えると書いてある。
 今回そういうことは一切なし。だって持ち株会社がもうすぐ発効するじゃないですか、そうでしょう。それならば、共産党の二十一回大会の時にはこの問題は出ておりましたので、触れたらよかろうに、何にも触れない。それは共産党が大人になったと見るはずですよ。というわけで、これが一つ。
 もっと正確に申し上げれば、二十回大会、これは実は共産党が例の六一年綱領をつくって、ずーっとたちまして、人権や民主主義、「自由と民主主義の宣言」など、いろいろやりましたね。決めてきた一歩一歩は、ブルジョア政党に変わっていった過程で、名だたる決議がされている。その中で九四年の二十回大会は、いまひとつ「大企業を国有化する」という、独占企業に対する国有化政策を捨てた大会なんです。そして捨てるにはかれらも苦労したんですね。だって共産党は革命をやる党だとか、社会主義を目指す党と思っている人たちをだまさなければならない。信じている人たちがまだいるわけですから。少なくともその時はいたわけでしょう。そうすると国有化を捨てるというのは大変なんですね。
 そこで延々と、その資本主義の発展そのものが作りだした形、生産はますます社会化していくのに生産が集中して等々、というように資本主義そのものが生み出したものを使うというか。だから国有化、国有化と観念的に言ってもダメと言って、実際にはこの二百社余りの、この頂点をきちっと規制をして彼らにタガをはめれば出来る、と言わざるを得なかった。いわば、それらを「理論化」したんです。
 だけども、いずれにしても二十回大会は、正確に言えば、以降こんにちにいたる準備を始めて、国有化を捨てまして一歩そろりと不破流儀に言えば「前向き」にやってみたわけです。その時は、国有化を捨てれば転換は保証できないという意見がある。国有化を捨ててどうなるんだというから、「いやしっかり規制をして中身はこれこれをやる」と詳細に書いているわけです。それでもこの大会は一歩転落の路線、大会だったわけです。
 しかし今度の二十一回大会は、前回すでに民主的規制にしてもらっているので、この民主的規制の言葉だけを残して中身をとっぱらったんです。そういうわけで今回は、「ルールなき資本主義うんぬん」ということで、ヨーロッパ並みと言っていますが、大企業に対する規制というのがまったく言葉だけで、跡かたも残っていませんので、それとてわからないというような路線になっています。
 これが内政の国民生活、経済政策についての特徴です。詳細には皆さんも今申し上げたことを頭にいれて読まれれば分かりやすくなっておりますから、さほど難かしい問題ではないと思います。

2,外交や安全保障政策の批判

 今度は、日本共産党がめざす外交や安全保障問題はどうだろうか、ということについて触れてみます。従来と変わりないように見えますが、大きな違いが出ています。
 外交問題は、主として不破委員長が大会で行った中央委員会報告の中に詳細に述べられている。最後は参議院選挙で頑張ろうといっていますが、六つしゃべっています。日米安保条約の大改定に反対する。医療・社会保障、その次に民主的政権への接近の仕方だとか、参議院選挙をめざす活動だとか。モノ書きですから格好はいいんですが、中身は極めてお粗末。私がいうほどお粗末ですから、もう少し勉強した諸君からみればもっとお粗末に見えるでしょう。
 特徴ですが、こんにち日米安保条約に触れるときには、もちろん誰でもやるように昨年四月の「日米安保共同宣言」これに触れるんですね。これは当然だろうと思います。なぜかというと、日米安保の大改定に匹敵するだとか、いろいろいろ言われている。しかし国会では何一つ議論にならない。もちろん、この不破大会報告も、この「安保共同宣言」から問題を説き起こしておりますが、非常に特徴的なのは、この日米共同宣言を「戦争と平和の問題」として問題にするという説明が最初からついている。
 そして、大事な点は日米軍事同盟をどのように変えようとしているか、軍事面でいかに危険になったか、これをつかむことが重要であると。そしてガイドライン見直し問題などいろいろ展開していますが、非常に特徴的なのは、この日米共同宣言がどんな背景、つまり何のために安保再定義がやられたかとか、新ガイドラインも何のために、というのが極めてあいまいになっている。
 つまり、これを不破はこう書いています。「日米安保共同宣言は二十一世紀を戦争と平和の問題で取り返しのつかない危険な状態においた」と書いている。そしてそこから、どんなに日米安保が変わっていくのか、ガイドライン問題がいかに自動参戦、自動的に戦争に加わるようになっているか等々の説明になるんです。つまり、自動参戦体制である。憲法を踏みにじっているなどいろいろ書いてあります。
 で、ふっと思いますと、なぜアメリカは十万の大軍をアジアに配置するのだろうかという肝心な問題に、不破は具体的にこたえないんです。そして「自動参戦装置なんだ」と言うだけ。
 この日米共同宣言の意味は、決して安全保障問題だけではありません。安全保障はもちろん、政治や経済や軍事のすべてを含む日米両国間の共通の立場が確認されて、これを「共通の価値観」といっておりますが、その前提の上に十万の大軍を配置するということなのです。その前提の上に、日米安保条約を継続するということなんです。
 つまりこれまでは対ソ、二つの体制ということで、冷戦の中でソ連が主敵であった。しかし新しいところ、あるいは敵がどうかという問題はともかくとして、その軍事体制、日米安保体制だけは継続しましょうというんだけれども、その前提になっているのは世界情勢やアジア情勢についての共通の認識です。「日米両国の共通の利益」という言葉も使っていますが、ご存知のようにアメリカが世界のリーダーで、日米関係は従属的な関係になっているわけで、そのアメリカとともに進みましょうということが前提になっている。
 これは何よりもまず、従属的なんですが、政治的経済的安全保障、もっと集中的にいえば政治的な戦略同盟なんです。
 この点に、分析が何一つないんです。「戦略的」という言葉が出てくるのは、米国の「世界憲兵戦略」などという時です。これは、勉強しなくてもよいような話。「米国が世界を覇権主義的に支配しようとする戦略に沿って」と書いてある。私に言わせれば、それはどんな戦略なのか、具体的中身に触れる必要があると思いますね。ところが、もっぱらそういう具体的な中身にはふれない。
 私が重視しているのは、クリントンがオーストラリアに寄りましたね。そこでクリントンは演説して非常に分かりやすく言っている。
 クリントンが念頭に置いているのは、ソ連崩壊以後、アジア情勢は不安定になるなどいろいろいっております。朝鮮問題ではないんです。勃興(ぼっこう)しつつあるこの地域の大国、中国にどう対処するか、これなんです。一国ではもはや米国は、こんにち力が足りない。日本を巻き込んで対処しようとしているわけです。その要として、日米安保条約があり、もう一つARF(アジア地域フォーラム)があり、ここでもできるだけ議論をしながら中国を孤立させていこうという政策。もちろん、中国もそれを知ってやっておりますね。
 そして、中国に対しては「積極的な関与政策」を取る。つまり、中国を世界経済、世界政治の中に引き込んでいく。責任の一端を負わせる。まあいわば、こんにち自民党がやせても枯れても社民を抱え込んでいるようなことということになりましょうか。これを野に放つと大変だということですね。中国はますます強大化し、台湾だけでなく、日本を含むアジア諸国は中国なしに生きていけなくなる時代がもう来ているわけですから。そうなれば米国がアジアに関与することはなかなか難しい。
 ましてや背後のロシアがどうなるか分からない。もし中・ロが手を結ぶとか、第三世界と統一戦線をつくったらどうなるだろうとか、さまざまな問題があると思いますね。そういうことにどうやって共同対処するか。もちろん日本一国だけではどうにもならない。こういうことが「東アジア戦略」なんですね。
 それは昨年ではなく、一昨年に策定された。米国のナイという人が中心につくったもので、「ナイ報告」といわれているけれどあるんですよ。これを支持させるために、一昨年の暮れには日本のマスコミ関係、有力な学者、こやつら売国奴でしょう。こういう連中がみな米国に呼ばれて、共同の勉強をしたり、米国の方針の説明を受けているんですね。例えば日経新聞の伊奈とか、各新聞社に皆その手の論客が配置されております。NHKもそうです。こうした周到な準備がされて、去年の四月に日米安保共同宣言はやられた。
 その直前には財界が支持した。経済同友会の牛尾は、日本の財界にしては歯切れのよい報告を出しましたね。日本の財界は、従来、日本の安全保障問題について用心してきた、避けてきた。しかし、存亡にかかわるということで、この日米共同宣言の方向を支持するという形で、橋本内閣が米国と共同宣言をああいう方向で出すことを側面的に支援した。国を挙げて米国に忠誠を誓った訳ですね。
 そういう戦略なんですよ。決して安保共同宣言は、単なる安全保障の問題、ガイドラインの問題ではありません。どだい国家が安全保障を考える、あるいは他国とのさまざまな紛争は、これは昔の本を読んでおられる方はすべてお分かりでしょうが、「軍事というのは、他の手段を以てする政治の延長」ですね。外交の延長なんですよ。だから、十分余すところなくこの軍事同盟を説明しようとすると、米国の対外戦略はどんなねらいがあるか、世界、とりわけアジアにある日本に、米国はどんな戦略でもって日本に共同宣言を求めたのか、この暴露が必要なんです。
 橋本内閣はガイドラインの見直しをやっておりますが、それだけではない。その戦略同盟に沿って、対外政策のすべてを調整しているんです、米国と。こういう問題を正確に把握しなければ、「日本は共同宣言に基づいて戦争に巻き込まれさえしなければよろしい」ということになる。ガイドラインでどうなるか。憲法に触れるか触れないかというとこだけが議論になる。それでは国の命運をかけて、日本を二十一世紀に向けてどこへ導くのか、という路線はお手上げでしょう。
 もっと具体的に申し上げましょう。例えば、橋本はこのあいだ「ユーラシア外交」をやった。ちょうど江沢民が米国に行っている時。突如としてロシアとの関係を前向きにやるという。何でしょうか、独自外交でしょうか。そんなこと信じているのは誰もいないですよ。三井の寺島だったかテレビに出ていましてね、「その方向は良いことだとは思いますが、それでも果たして日本はきちんとしたことができるんでしょうか」と疑問を出していた。つまり、米国に対してきちんとした発言ができるんでしょうかと言って、沖縄の例やかれこれ上げて不安を示した。
 どういう意味かというと、ロシアと手を結ぶということは、中・ロ間、これは「戦略同盟」といっておりますね、これに対するけん制なんですね。もちろん日本の国益がかかってないとは申し上げないですが。少なくとも米国と中国はこのあいだ江沢民が行って一定の関係を前向きにしたということのようでもありますが、これも評価はさまざまでしょう。
 日本はアメリカと手分けをしてエリツィンとやっているんです。もしロシアをそでにすれば、中・ロ関係が固まる。向こうのヨーロッパの方でも、ずーっとヨーロッパの安全保障でロシアに迫ってきていますね。北大西洋条約機構(NATO)に入れる、入れんで。ロシアは行き場がないんです。そうすれば、下手をすれば、中国と戦略同盟を結ぶことによってしか生きる道がないんですね。
 それは得策でないということでしょう。だから、あの「ユーラシア外交」をそのまま見るわけにはいかないんです。手分けしているんですね、日・米は。「四国パワーゲーム」とか、「四国関係」とか、「三国関係」とか、いろいろいわれておりますが、独立した国家としての「四国」などと信じる人は世界にいないんです。
 こういう問題について、日本が二十一世紀に生きていこうとする時に、全体的なこんにちの橋本内閣に代表されるような日本の支配層の対外政策について、どうやって対処できるでしょうか。安全保障と憲法に触れなければよいとか何とか、そんな話の次元で、戦争と平和というだけの次元で、どうやって二十一世紀にわが国は生きていけるんでしょうか。
 これは不破の報告に極めて特徴的なもの。しかし、もう少し意味があるように思います。なぜ日共は東アジア戦略に触れないのか。これは後でもう少し申し上げてみたいと思います。

 続けて台湾問題。タイトルは勇ましいんです。「台湾海峡への武力介入の権利は世界のいかなる国にも与えられていない」というタイトルがついているんです。タイトル自身は間違いでないでしょう。「いかなる国」、しかし「いかなる国」に中国が含まれているんですね、これ。驚くべきことでしょ。
 どういう形で含まれているかというと、例えば香港、七月一日の日本共産党の国際部長だったかの説明の中に、「香港が中国に返ってくるのは当然なことである」と書いた。そりゃまあ当然ですよね、正しいこと言っている。ただ「香港住民の意思が確認されなかった」ことを問題にしているんです。これはいわば、いいことじゃあないという言い方ですね。
 今回はどう言っているかというと「中国といえども武力であれこれというのは良くない」、その上「平和的統一とか、台湾住民の意思の尊重を原則としなければならない」と書いてあるんです。これは香港問題でみせた態度に通じる話ですが、台湾住民がいやだといったらだめですよ、ということでしょう。こんにち橋本も「二つの中国」と言いませんよ。「一つの中国」と言う。ただ「平和的に解決してくれ」と言っている。米国も決して言わないですよ。「一つの中国」「平和的に解決してくれ」と言う。その上、台湾関係法が米国にはある。そして、米国はせっせと台湾に飛行機から軍備、みな送っているんです。武器をせっせと持たせて、ちっとやそっと闘える体制ができれば、中国の言うこと聞かなくてもよいということになるんでしょう。今日、李登輝が踏んばっておれる理由は、それでしょう。一兵もなければ、そりゃ台湾住民の考えも違いますよ。そういう具合ですね。
 つまり、共産党は台湾問題では、明確に日本政府や米国と同じ立場に立っておるということが分かります。これは言いがかりでも何でもなく、そう書いてあります。で、われわれが思うに、日米共同宣言についてさまざま書きながら、具体的な東アジア戦略について何一つ書いてないのは、そこまで併せ考えると理由がある、と。
 つまり、東アジア戦略の立場に明確に反対の意思表示を避けているとみなければならん。書けば、これについて態度表明しなけりゃならん。
 そして、台湾問題ではそっくり日本政府や米国と同じ立場にたっておるわけですね。この問題はあとでもう少し説明を加えてみたいと思います。


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