体制の危機を救う共産党

(1)共産党21回大会の問題意識


 これからお話する共産党の二十一回大会路線の批判は、共産主義者たちのさまざまな運動、歴史的ないろいろな激動についてのある程度の予備知識も必要で、なかなか演説調にはむかないのだと思います。
 皆さんにお配りしたレジュメを克明にやれば二時間で終わりません。聞き苦しい点もあるかと思いますが、コツコツとやってみます。皆さんがいろいろと考える上での参考にしていただきたい。そして当然ながらその中で労働党と共産党の違いについて展開したいと思いますので、よろしくお願いします。
 今日は必ずしもわれわれと主張が同じでない方もいらっしゃると思いますが、どういう見解、党派であっても共産党問題は、これからの日本の政治にかかわってくる問題ですので、一つの参考にしていただきたいと思います。すべてはこれからの歴史的検証を受けるわけですから、それでよろしいのではないかと思っております。

(1)共産党21回大会の問題意識


 第一は、共産党が第二十一回大会でどんな方針を決めたのか、最初に話してみたいと思います。その結論は「安心してもらえるように現実的な政策と行動が求められている」ということ、これを非常に強調しています。
 さっき主催者が「共産党に対する期待が広がっている」と言いましたが、正確には共産党もそうは言っておりません。私どもも正確な表現ではないと思います。
 つまり、「もう何党でもよい」と言っています。それは自分たちが当面している問題にこたえてくれる政党であればどこでもよい、つまり「批判票」、こう言っているわけです。それが本当だろうと思います。
 現に最近は、私たちがいろんな記念的な集会をやりますと、保守的な地方自治体の首長がメッセージをよこします。それから業界を回りますと、例えば建設業界などは「もう暴動ですよ」と言います。これは建設業界だけではないです。小売業者の、例えば電器商などは「(陳情など政党にお願いするのは)なまぬるい」と言います。そういう人たちは地方でずーっと自民党を支持してきた人たち、今でもそうなんですね。
 それから、自民党の県会議員クラスはこう言います。「戦後われわれは自民党でやってきた、今でも自民党だけれども、今の中央の動きを見ているともう自民党は今までとは違ってきている」と言って、「自分たちはどう判断してよいか分からない」と言います。われわれに率直に話します。そして労働党を過激派と見ているわけですが、「あんた方とわれわれは変な話だが手を組まんか。暴動なら一緒にやるばい」という話も、地方では結構するんです。
 自民党の単独支配が崩れた九三年以降、いろいろ聞き慣れない党が増えた。太陽党、まだお月様党というのはないようですが、そんなのが増えたものですから大体新しい党に驚かなくなっている。今までの伝統的な党と比べてどうこうとあまりいわなくなった。みんな思い思いに党をつくっている。時代は移り変わっている。そういう流れの中でわれわれみたいな労働党に対しても支持している人たちが増えている。この点を、共産党も感じていると思います。
 共産党に大衆の支持が寄せられてきているというより、現存政治に対する批判派が非常に増えて、少なくとも野党色を鮮明にしておればそれはよろしいということとして映っているのが実際ではないでしょうか。

 私は今から二十一回大会問題に触れるのに主として使うテキストは、一つは二十一回大会の決議というのがあります。もう一つは、その二十一回大会の時に委員長である不破哲三氏の報告。その決議の背景、あるいは決議の詳細を説明したもの、つまり中央委員会報告です。これもれっきとした公式文書です。その二つが一番公式なものですが、あと共産党の今年一月の旗開きの不破演説、十一月の赤旗まつりでの演説。つまり、大会のあと不破氏がいろいろな集まりの場所で大会決議の説明を試みたものです。
 そのほか、かれらが九四年七月にやった二十回大会の大会文書。それからもう一つは九四年三月ころ出た、かれらの経済政策についての単行本「新・日本経済への提言」。それは二十回大会でも内容的にはここに書いてあるといって、高く評価されたもの。つまり、公認の党の見解です。これらが今から話す内容に使った文章です。
 それ以外は、おおかた皆さんと共有すること。それぞれ古い方は三十〜四十年、私も一九四七年以降運動しておりますので、五十年近くやっておりますので、戦後史のことを昨日のことのように覚えております。ですから戦後起こった様々なことが前提になっております。

 早速ですが、二十一回大会の決議文の第一章のところに「日本共産党の歴史的躍進と、二十一世紀にむけた展望」というくだりで、四つに分けて書いているものをまず話してみたいと思います。
 その第一章は、歴史的な躍進をしたと書いています。それから、第二章では共産党が目指す政治がどういうものかということを書いています。それ以外は党活動の問題ですから興味のある問題はありませんが、不破氏が中央委員会報告で話した「どんなふうに政権をつくっていくのか」という問題の展望などを検討してみたいと思います。それらを前提にして、共産党に対する評価をしてみたいと思います。

 その第一章「歴史的躍進と二十一世紀の展望」のところは、四つあって、一番目に「日本共産党の躍進と自共対決の時代」という文言が出てくるのですが、そこではこういっています。「二十回大会以来の三年余りの闘いは、日本共産党の輝かし躍進の時代を切り開くものとなった」という書き出しで始まっています。
 そして三つに分けて、第一、国政選挙で大きく前進した、つまり九五年の参議院選挙で八議席に躍進した。続いて九六年の総選挙で十五議席から二十六議席への躍進をかち取ったということが中心で、「史上最高の峰への躍進」であるという書き方をしております。
 もっともこれは戦後史を知っておられる方は、これがうそだということはすぐ分かると思います。私はよく覚えていますが、一九四九年に三十五人に突如として増えました。私は北多摩の工場で臨時工として働いておりましたが、そのニュースを聞きながら信じられなかった。ここにはその当時生まれていない方もおられますが、一九五二年にはゼロになりました。六九年には十四人、七二年には三十八人、七六年には十七人、七九年には三十九人、八三年には二十七人、前回の選挙は十五人、今回二十六人。こうやって戦後の五十数年を振り返ってみますと、うそでしょう。最近共産党は若い人ばかりですから、たぶん景気をつけたかったんでしょう。
 ただパーセンテージで言いますと、一三・〇八%という七〇年代をはるかに超える峰と言っております。七〇年代はそう多くありませんでしたから、まあものは言いようだなと理解しています。
 その次に、地方議員選挙で議員が非常に増えたとこう言って、第一党になったと書いてあります。共産党は党の公認で出ているので、多分これは共産党が言うのが本当でしょう。もちろん「自民党よりも多い」という意味は、自民党はほとんど無所属で出ていますから、それは今始まったことではありませんが、党公認でいえば共産党の地方議員が一番多くなった、これは本当だと思います。
 その次に、首長選。これはいわば革新・民主の地方自治体の新しい広がり、なかでも「わが党単独与党の自治体」が六十六自治体まで増えた、住民本位うんぬんと言っていますが、これは評価の分かれるところだと思います。なぜなら、これまでにも彼らがちょっと喜んだ時期があります。七三〜四年頃、「民主連合政府を七〇年代の遅くない時期につくる」と言って、もうすぐ日本共産党の民主連合政府ができると主張したことがあります。そのとき、われわれは一九七四年結党した直後ですが、そんなのは幻想であるという文章を作って批判しました。今回も読み直してみましたが、われわれの言うのが正しかったわけです。
 今の六十六というのはみな小さい自治体です。当時は、東京も、京都も、大阪も、福岡などなどの大都市で、共産党は社会党などとの統一戦線で知事を持っておりました。今とはけた違いに影響力の大きい知事でしょう。現在はどうでしょうか。この間、福岡がなくなりました。ですから大田さんの沖縄だけということになりますので、これは評価が分かれるところです。影響力からするとはるかに小さくなったと、公平にみても、なるところです。
 しかしいずれにしても、それらを前提にしてこの第一章の一番の結論はこうなっています。「これらの一連の成果は政党間の力関係を大きく前向きに変えつつある。特に政権党である自民党に対する得票比が総選挙で約四割になり、都議選で七割に達した。今後の躍進いかんでは政権を展望出来るようになった」と。つまり、やりようでは政権がもうすぐとか、あるいは政権議論が出来るとか、ということでしょう。やりようでは政権がとれると書いてありませんが、展望出来るようになったと言っています。
 だから、これは検討に値する。それにしても自民党の四割になったことがそれほどのものなのか。社会党はもっとありましたが、とうとう政権にありつけず、負けたときに拾ってもらった。ついこのあいだのことです。ヨーロッパの経験をみてもおかしな話ですが、景気づけをやっているんです。
 そして「これからの時代は、自共対決の時代」と。これはマスコミももてはやしております。これが第一章の第一番目の共産党の言い分です。少しうそを含んでおりますが…。

 われわれも手ごたえを感じているところですが、いま政府の批判をきちんとやれば支持を受ける。さっき申しましたように何党だってよい。国民の本当のところは政治に対する期待は高まっている状況があります。ただし、政党に対する批判は厳しいから、無党派といいますか、これが増えている。これは気にいる政党がない結果です。
 そういうわけで共産党もせっせと活動すれば成果がある時期になった、ということを感じていると思います。これはわれわれもそっくり同じ経験を持っています。まずこれが一番目。

 二番目に、共産党がその躍進の根拠、つまりどういう状況の中で共産党への支持が広がったのか、説明している部分があります。これが「総自民党化政治の下での共産党への共感の広がり」という文章。こう書いています。
 「この新しい躍進の流れは一時的なものでもない、偶然のものでもない。国政でも地方政治でも共産党以外のすべての党が自民党政治に吸収され、総自民党化、総自民党のようになった。そういう政界の構造に根ざすものである」。これはその通りだと思います。
 つまり、政党が与党も野党もみなそっくり同じことを言って、国民大衆からみるとどれも信用できんという状況になったときに、共産党だけが野党色を堅持している。これが根拠だと言っている。ここのポイントは、共産党だけが闘っているというより、それ以外の政党がみな自民党と似たようなことばかり言っている。例えば社会民主主義の党であった、昔の社会党、今日の社民党は与党ですね。おかしなこと、小選挙区制、コメの自由化等々。今やっているようなことすべて、コップの中といいますか、与党会議の中でゴタゴタをやっておりますが、最後的には通している。そういう状態があることが、共産党躍進の根拠であると言っているんです。これはその通りだと思います。
 さてこれは、ようく考えてみますと本当のことを言っておりますが、では有権者からみましてそっくり自民党と同じに映らない時代がこないのだろうか。つまり、その根拠が崩れないだろうか。この政治構造がもし崩れれば、似たようなことを各政党が言わなくなったら、共産党に支持が集まらないということを共産党も知っているわけです。一時的でないと言うから、ちっとやそっとは続くと言っておりますが、この根拠が崩たら…。
 それに、今でもそうなっていない選挙がちょくちょくあります。地方でよくあるいくつかの政党が出て争って、つまりその地域が全部与党対共産という形にならないところでは、共産党にはさっぱり票が入らない。もし将来、あるいは次の政治再編の局面で変わった状況が生まれたとしたら、今度は有権者は「ああこの党より、あの党がいい」と言って、必ずしも共産党を選ばない。これはもう目に見えている。
 いずれにしても共産党がこの政治的共感の広がりの根拠は、今の政治状況がすっかり自民党と同じような政党になったことによる、ということを書いております。

 三番目に、「反共反動攻勢との闘いと党の政治路線の成果」というくだりがあります。そういうタイトルがありまして、そこの中で「今日の躍進をつくったのは、共産党が刻苦奮闘したからである」と、こうまず書いております。それはそうでしょう。頑張ったおかげだと書いているわけですが、正確には頑張ってきたこととこの総自民党化という情勢、この二つによってこの躍進がつくられたのです。頑張らずに旗をまいておれば、今あの前進はないから半分は本当のことを言っております。正確にはそういうもの。
 それから同じくだりの先の方で、「もちろん今後の発展は平坦なものではないだろう」、こういうことも一応は書いております。しかし新たな逆風のどんな企てもわれわれは打ち破れるであろうとも書いている。
 確かにいろいろな政治的、策略的なことは乗り切れるということはありうると思います。例えば今回小選挙区制のもとで、比例もあって、共産党は乗り切った。共産党は打撃を受けるであろうとみられていた。恐らくそれも根拠になっていると思います。
 しかし、さっき言ったように根拠となるような大きな政治構造が変わってきたときに、それはもう単なる策略などというものではない。政府がどうしたかとか法律を出したというようなものとは次元の異なる、土台、その政治環境そのものが大きく変わるということですから、これに耐えうるという保証はないのです。

 四番目の最後のくだりですが、「国民との新たな関係、国民の新たな期待にこたえる」という文章があります。第一章の最も言いたいのは、この四番目の所なんです。
 こう言っております。「今回共産党にいろいろ票が入ったけれども、この中には非常に多くの批判票が入った。そしてその批判票の中には、共産党がもっと安心できる党ならばなあとか、現実的な政治をやってくれればなあという人たちが少なからずいる」と、こう言っているわけです。
 これにこたえなくちゃならん。
 そうすると、こうなると思います。共産党に入った票は、私流に言わせると三つあることになります。雨の日も風の日も数十年共産党を支持してきた、支持者とそのシンパ、しっかりした組織票があると思います。
 それと大量の批判票がきていますが、これを二つに分けています。確かに批判票ではないかと言う意見に対して、批判票ではあるけれども、共産党がもう少し大人になってくれればという部分と、普通の批判票に分けて、この部分にこたえて共産党がもう少し安心できる党に変われば、共産党はもっと前進できる。こういうことを非常に意識しているわけです。
 共産党が前進していくためには、有権者に対してこの党に任せても安心だという信頼感を持ってもらえるように、現実政治の場で、非常に現実的な政策や行動、実際的な行動をやってその実績で信頼を広げていく、ということが重要である、と。
 これが第一章の中心的な結論なんです。
 現実的な党とか、共産党がもっと大人になればとか、いろいろ言っています。大会のあとのいろんなマスコミの評判をみましても、あっと驚くほど変わったとみているわけで、あとは共産党が党の名前をいつ変えるか、民主集中制を変えないかとか、どっと出てきています。
 それは共産党がみんな変わったと、みんなが認めている証拠です。
 最近は財界が呼んで、不破の話を聞いております。これで私はちょっと思い出したのですが、ゴルバチョフがまだトップに立つ寸前ですが、イギリスのサッチャーの所に行ったことがあるんです。そして彼女の自宅に呼ばれて、一晩いろいろな話をしているんです。サッチャーはピーンと来たわけです。この人はもう社会主義を信じていないということでしょう。そこで全世界に紹介したわけです。
 「本当かいな」ということになって、みんなゴルバチョフのところに会いに行ったんです。フランスのジスカールデスタンも行きました。日本では中曽根、何日か行っていろんな角度から話してきたんです。つまりサッチャーが「あの男はいける」と、いわば思想的に自信をなくしている、と。サッチャーはその点は鋭い。何年かして日本に来たとき自分が見つけたというような言い方をしています。あの冷戦のさなかに敵はなかなかのもの、見抜いたんですね。もちろん日本で当時覚えていますが、中曽根が帰ってきてから、ゴルバチョフさんは資本主義のこと何も分かっていない、これが自民党の中で評判になった。会いに行ってそれが結論だったのでしょうか。
 いずれにしても敵がほめるときはあまりいいことはない。それは毛沢東がいいことを言っている、「敵に反対されることはいいことだ」と。敵にほめられることは、誰にとっていいことか悪いことか、はっきりさせなければなりませんが、不破はそれがいいことと言うかもしれません。評判がよくなるからですね。しかし国民にとっては、「敵から評価されている」ことになります。
 いま申し上げたように大体それが私が一番はじめに話したかったことです。
 共産党は第二章では、要するにこの期待している人たち、もう少し現実的な政党になってくれればという人たちにこたえねばならないという問題意識で、この党に政治を任せても安心という、そういう政治を実現するために、ということで第二章の文章がつくられています。


Copyright(C) The Workers' Press 1996, 1997,1998