大隈議長・新春インタビュー (6)


 

社会主義問題

 
 次に、社会主義問題です。
 社会主義問題は、内政や外交問題で闘わなくなる、ある一定の時期に裏切るだろうというような、当面するわれわれの今の課題から見ますと、目前の課題ではありません。しかし労働者の先進部分とか、共産主義をめざすというか、社会主義をめざすことを、将来的に考えている人たちにとっては確かに大きな問題です。
 ただ、その両者をきちんと区別できるかというと、もう一つあるんです。必ずしも区別できない。なぜかというと、それは立派な共産党だと思うから、こんにち、共産党の隊伍におり、あるいはこんにち支持しておる人たちがいるわけですね。それらの人たちが、もし社会主義問題で、共産党はすでに社会主義を捨てていると暴露されたら、その隊伍にはおらないですよ。別な隊伍に行く。
 そういう面から見ますと、この問題は共産主義者の内部の問題でもありますが、先進的な労働者階級や当面の国の独立や国民生活を、共産党流儀で言うと「当面、資本主義の枠内の改善を進めていく」という課題から見ても、その闘いで、かかわりがあるんです。
 ここを同じに扱ってはいけませんが、やはりかかわりはあるんですね。
 さてそれを前提にして、結局社会主義問題でどう言っているかというと、こうなんです。社会主義は いつかは課題になるであろう、と言っている。そして繰り返し、今、社会主義をやるつもりはない。資本主義の枠内で豊かで、人間的で、自由で、平等な日本をつくります、と言っている。まあ、これ一つでも、資本主義で最後的にその種のことが解決できるのなら、社会主義はいらないわけで「共産党、お前は社会主義者か」といっていい。
 まあそれはさておいて、社会主義問題についてこう言っています。「当面の民主的規制のような段階、その次に民主主義革命、社会主義革命」、この各段階で、共産党は、それは歴史の発展の一段一段という流れで、歴史はそんなふうに動く、と思っています。と、まずこう言う。
 そして、社会主義に移行するかしないかの判断、いつ移行するかという判断等々は選挙を通じてやるんですよ、ですから国民の皆さんが望まない時にはやろうとは思いません、と。さらに、それでも私たちは社会主義者ですから、いつかは歴史がそれを課題にする時が来ると思います、と。こう言っている。さらに、いつかは国民の多くの人たちが、社会主義をやろうと考える時期が来ると思います。それを選挙で確かめる、とまで言うのです。
 しかし、よく考えてみると、階級社会ですから、危機が深まって、ある特定の状況で暮らしていた人たちが、それを打開しようとする時です。階級社会では、苦しさが一様に表れないのです。誰かは先に苦しむわけです。資本主義ですから、経営者は労働者を首切るか、いずれにせよそういうことになる。
 誰かは、もはやこの危機はどうにもならんので、これを打破しようとする。経営者もいよいよきつくなると、危機を打破しなきゃならん。これらが同じ方向に進むだろうかということです。経済が苦しくなれば、これを立て直すためにいっそうコストを下げたり等々でしょう。下げられた労働者の方はたまらんわけです。
 だから皆がそろって、いつの日か、いろいろ議論したが「やはり社会主義以外に道がないねえ」と言って、同意する時期が来るというのは幻想です。その前に、それぞれ自分の持てる力を発揮して闘うんだと思いますよ。そう思いませんか。
 企業家たちは財産があり、生産手段を私的に所有しており、政党を買収しており、国家権力や法律を欲しいままにしている。労働者は体以外になんにも持たない。ほかに力がないので、数に頼り、仕事をやめて対抗する。それぞれ自分の意思を相手に押し付けようとするんだと思うんですよ。これが階級社会の、厳しい現実です。
 共産党の立場は百年、千年先の話として社会主義を夢見るということでしょう。つまり別な言い方をすれば、労働者階級に闘うなということなんですよ。待てないものを待てということでしょう。
 科学的社会主義といった理論が打ち立てられて以降これまで、裏切ってきた全ての者たちがこれと同じ手口、言い分で、転落したんです。だから日本共産党は社会主義者じゃないし、とっくにそれを捨てているのです。
 すでに幾度も話しましたが、共産党は、内政も外交も支配層におもねっており、しかも、社会主義者でもない。敵側がちょっと注意して読めば、「なるほど」と見えるような表現でちゃんと意思表示をしている。「革命的だ」とか「共産主義者だ」とかいう水準とは別の次元に、もはやこの党は完全に変質を遂げたんです。

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