労働新聞 2002年9月15日号 青年

労働者の闘う姿勢に感動

JR工場を見学して

日本労働青年団 里中 瞳

 暑い夏のある日、友人らとJR工場見学に行きました。その工場で働いている国鉄労働組合(以下、国労)の労働者に、工場案内をしていただきました。毎日働いている職場ということで、細かい説明を受けながら見て回りました。工場には家族連れや、あらゆる所でカメラのシャッターを切る鉄道マニアなど、たくさんの人が来ていました。
 この工場では車両の定期検査や通勤電車の改造工事をしています。特急型・近郊型・通勤型電車など約1800両の定期検査をし、年間100近い改造工事をしています。工場内は車体の展示や車体の上げ下ろし作業の実演、鉄道模型を展示していました。
 また、部品販売や子ども向けのミニSLの運行なども行われていました。たこ焼きやかき氷、ジュースなどの食品販売の出店から、鉄道グッズの販売まであります。工場内は屋外同然で、この日はとても暑かったです。こんな中での労働は厳しいだろうなと実感しました。
 これらの出店は工場の社員がやっていて、受付や工場案内の地図を配る人たちもいました。この日出勤している社員はすべて「ボランティア出勤」で、会社からこの日の役割を言い渡されているとのこと。つまり、「ただ働き」を強要されているわけです。入社1、2年の若い社員を中心にやらされるということです。
 案内してくれた労働者は国労組合員なので、会社からこの日の出勤は何も言われない。ボランティア出勤をした社員は翌日は皆休日で、国労の労働者だけは出勤させられるということです。


見学して工場の実態を知る

 JRが国鉄時代、分割・民営化に反対し続けた国労組合員には、今でも組合を残したくない会社から、いやらしい手口でいじめ・差別が行われているのです。新しい仕事を覚えてきたと思うと、また違う職場に移され、技術職の仕事をまた1から覚え直さなければなりません。仕事のやり方を教えてくれるわけでもないため、成績はいつも下のほう。さらに「いつ辞めてもいい」と会社側は言ってくるそうです。私は初めてこんな現状を知り、あ然としました。
 見学後、その労働者の生い立ちについてお話いただきました。出身地には、巨大な米軍基地があり、当時は大学生だけでなくたくさんの高校生もベトナム反戦運動に参加したこと。米軍に多くを奪われた状況を、子供ながらに「日本は植民地みたいだ」と思ったことなど、現在も続く日米安保体制下の日本の実態を語られました。また共に国労で闘い、退職した人の話も聞きました。その人は配置転換で遠い所に飛ばされて孤立させられ、ひどい暴言を受け、体調も崩し退職に追い込まれたそうです。
 参加した学生からは「工場見学は家族連れも多くお祭り気分の雰囲気だったので、案内がなかったら過酷な現場のことは分からなかった」「日ごろよく使うJRだがここまでひどいことをしてきたとは!」と、驚きや怒りの声があがりました。
 支配層だけに有利な社会構造に断固反対し、労働運動の中核を担っていた国労組合の闘いに私は胸が熱くなりました。会社の実態を教えてくれた労働者のどんなに苦しくとも闘う姿勢に、私もじっとしていてはいけないと実感しました。


Copyright(C) Japan Labor Party 1996-2002