20020715

青年 厚木基地フィールドワークで学ぶ

沖縄だけでない基地の重圧
P3Cの異様な姿にヒヤリ

東京・学生 篠原 直美


 「沖縄から考える全国ネットワーク」が7月6日に行った、神奈川県厚木基地のフィールドワークに、学生や青年の仲間とともに参加した。
 日米安全保障条約発効から50年、沖縄の日本「復帰」から30年。半世紀を経て、未だ日本が外交、経済、軍事多方面で米国に左右され、依存し続け、国民が苦しめられている現実と、さらに強固な日米軍事同盟関係をつくるための悪法、有事法制の登場。  朝鮮民主主義人民共和国やイラン、イラクなどを敵視するブッシュ米大統領発の「悪の枢軸」論で扇動され、支配層に都合のいい世論があからさまに形成されつつある。
 こういう現状を前にして、私は「節目の年だから」というだけでなく、まさに切迫した問題として安保、沖縄の問題を考え、行動にしていかなければならないと考えている。とくに、若い世代こそが。
 こういう、いわば「危機感」から今回のフィールドワークを活用し、現実を見ながら勉強する機会をつくっていこうということで、この企画に参加した。


 まず、高層マンションの屋上から厚木基地を見渡しながら、藤沢市役所の久保博夫さんに、大和市、綾瀬市、海老名市の3市にまたがる基地の成り立ち(自衛隊と米第7艦隊の共同海軍航空基地! 共同基地というのも腹が立つ)や各種戦闘機の説明、夜間飛行差し止めの訴訟運動の事情などの話を聞いた。
 土曜日なので軍用機は飛ばないだろうという前提だったが、当日は兵士輸送用のヘリや自衛隊の対潜水艦用哨戒機(P3C)などが周辺のビルの真上を頻繁に飛び交い、タッチアンドゴーなどの訓練を行っていた。  「民家のすぐ側じゃないですか」と驚く参加者。「冷戦崩壊後、近海に潜水艦が存在する事実がなくなったのに、なぜP3Cが必要か。過去、神奈川県内では何度も訓練中の戦闘機が市街地に墜落し、死傷者を出している」、「米国のアフガン報復戦争が始まった時分には、夜間も米軍の激しい訓練が実施され、1年のうちに寄せられる苦情件数とその1カ月に寄せられた件数が同数だった」という話を聞いて、皆あ然として言葉もない。
 「憲法磨きの丘」(厚木基地の北側に位置する国有地。滑走路が見渡せる丘で、常に監視の人びとが常駐する)では、ぐるっと旋回してきたP3Cが、機体に描かれた日の丸がはっきりと見えるくらいの近さで目の前を通過。参加者はその異様な圧力と爆音に一瞬ヒヤリ。厚木を初めて訪れた参加者は、「なんでこんなものが必要なのか」と、改めて痛感したようだ。
 その後、厚木基地爆音防止期成同盟の鈴木保委員長に、事務所でお話を聞いた。爆同は、1999年に40周年を迎えたが、それこそ日本政府、米国軍事戦略に対し、反爆音・反基地住民闘争に明け暮れた40年であったこと、引き続き訴訟が続いているとの報告。
 また、今後どう運動を展開していくのかというお話をうかがい、参加者からも「今の若者を運動に参加させようと思うと、どのような手が考えられるのか」などの質問もあった。「日本人は自己の権利を主張しない。地域は知らず知らずのうちに軍事に染められていく。国民が地域をつくり、地域が情勢をつくることが非常に大切だ」、「俺たちは、人間らしい生活をしたいだけなんだよ。運動というのは、相手の困ることをするということだ。そうじゃないとものは動かない。幅広く訴えて反基地運動を大きくしないと!
 これまでの運動のスタイルを変えちゃいけないんだ」という鈴木委員長のお話が強く印象に残った。ご自身の労働運動の経験もお話いただき、学生や青年にとって貴重な時間となった。


 参加者からは、「あんな爆音が始終鳴り響けば、人間らしい暮らしもできないと実感した」、「年配の人たちが今でもがんばって運動している。若者にどうやったら広められるか」、「こういう行動を通じて、幅広く呼びかけては」などの積極的な意見が相次いだ。また、長年運動を支えてきた先輩たちと交流するのは楽しい。そのこともまた学んだ一日だった。  このような行動を通じて、若者の中に運動を盛り上げていきたいと思う。