20020515

大学改革

重大局面迎えた反対闘争
共産党の危険な役割見抜き 闘いの発展を

早川 裕二


 全国の国立大学の学長で組織する国立大学協会(国大協)は4月19日、臨時総会を開き、国立大学「法人化」(独立行政法人化)の基本制度をまとめた文部科学省「調査検討会議」の最終報告を基本的に肯定する旨の「会長談話」を承認した。政府は、これで「国立大学当局の合意が取り付けられた」として、来年度通常国会での法案提出、2004年度からの法人化移行に向けて実務作業を急ぐこととなる。一方、各国立大学も法人化を前提とした学内体制の整備・再編を先を争って開始し、経営効率化のためのリストラの徹底、外部評価を意識した学問、研究の序列化、不採算、非効率分野の切り捨てなどを急ごうとしている。

改革論に飲み込まれた国大協幹部
 国大協臨時総会では、地域間格差や現状での経営体力の格差などから存亡の危機に立たされる地方大学の学長から、不安の声が多くあがった。また、国の予算配分算定の基礎となる各大学が策定した中期計画を「文部大臣が認可する」としている点について、政府、文科省による大学への統制が強化され、大学自治を破壊するもの、との厳しい指摘も出された。総会に出された意見のほとんどが反対や疑問を投げかけるものであった中で、全会一致を慣例としてきた国大協の意思決定方法を、挙手による賛成多数という異例な形でねじまげ、とりまとめを急いだ今回の国大協総会の強引な手法は、国大協のあり方そのものに疑問を投げかけるものとなった。
 長尾真国大協会長(京都大学学長)は「今回まとまった法人像は21世紀の国際的競争環境下で国立大学の進むべき方向としておおむね同意できる」とのコメントを発表した。しかし、総会で噴出した反対意見にも配慮せざるを得ず「このような抜本的な制度改革の実施には、拙速はあくまでも避けるべき」などともいわざるを得なかった。しかし、すでに4月3日に開かれた政府の経済財政諮問会議では、法人化の1年前倒し要求まで飛び出している始末で、この会長コメントが、欺瞞(ぎまん)に満ちたものであることは明らかである。
 国大協は当初、行政改革の観点から打ち出された大学の「独立行政法人化」案に、営利を目的としない大学の存在とはなじまない、あるいは大学の自治、学問、研究の自主性を脅かすものとして、反対の態度を打ち出していた。しかし、政府、産業界やマスコミあげての改革論に屈し、「民営化されるよりは法人化で」と、その主張を後退させ、文科省の調査検討会議に参加して以降は、むしろ積極的にその制度設計の推進役を買って出たのであった。今回の臨時総会は、その国大協、とりわけ長尾執行部の行き着いた姿を示したものである。

大学改革との闘いはいよいよ本番
 大学の自治、国民のための大学を守るための闘いは、いよいよ重大な局面を迎えた。来年度通常国会での法案提出に向け、国立大学の法人化をめぐる攻防はいっそう激化する。
 また、この闘いはひとり国立大学の問題にとどまらない。政府、小泉政権の大学改革の方針として昨年6月に示された「大学の構造改革の方針」(遠山プラン)は、国立大学の大胆な再編統合と併せて、国公私トップ30大学への予算の重点配分で、世界的競争力ある大学を育成など、熾(し)烈な弱肉強食の競争に全大学を巻き込もうとするものである。すでに国立大学だけでなく公立大学の再編統合の動きも加速している、生き残りをかけた私大のリストラ、再編、淘汰(とうた)も加速する。わが国大学制度は、歴史上かつてない転機を迎えることとなる。国立大学の「法人化」はこの攻撃の突破口である。
 多国籍大企業のために国内改革の一環として政府が進める大学改革に反対して、全大学と大学人あげて闘わなければならない。国民的な闘いで法人化案を葬らなければならない。大学の最大の構成員である学生の役割は、きわめて重要である。今、改めて大学自治会と活動家諸君の決起が求められる。
 この闘いの発展の中からこそ、形骸化してきた大学の自治を実質あるものとする力、学生自治の荒々しい力が生まれ、真に国民のための、大学への可能性が開けるはずである。

共産党「提案」の危険な狙い
 このような局面の中、日本共産党が4月20日、学術・文化委員会と政策委員会の連名で「『学問の府』にふさわしい大学改革か、学術・教育を台なしにする小泉『改革』か……国民の立場で大学改革を進めるための提案」なる政策文書を発表した。この数カ年の政府、文科省の「大学改革」の攻勢の中で、「欧米なみの文教予算増額」要求を対置する以外、ろくな対処もしてこなかったこの党が、この局面で「提案」なるものを打ち出してきたのには根拠がある。闘いが法案審議の段階に近づき、いよいよ議会の党としてこの連中の出番がやってきたということであろう。ご丁寧に「提案」などと対案まで用意したところにこの連中の下心が見え透いている。
 しかし、ここではっきりさせておかなければならないのは、この闘いの主力で最も確かな力は国会の中ではなく、広範な国民の大衆行動にあるということである。議会内での党派関係、力関係はすでに見えている。議会内で孤立したこの党に大きな期待をつなぐことなどできないことは自明のことである。議会と選挙で政治が動くというこの党の主張とは裏腹に、戦後史は議会外の大衆行動、国民運動こそ政治、政局を大きく揺さぶってき事実を証明している。全学連結成直後のレッドパージ粉砕闘争をはじめ、数次にわたる大学管理法粉砕の闘い、そしてあの60年安保代闘争など、学生と大学人の広範な直接の大衆行動の力こそが、政府、財界の介入、攻撃から大学の自治、自由を守り抜いてきた。近くは95年、日米安保が国会での論戦にもならない状況を打ち破ったのも、沖縄県民の基地撤去・地位協定改正に向けた県民ぐるみの行動によってであった。議会内の闘いは、この国民運動と結びついてはじめて有効に機能するのである。大学改革が広範な国民を苦難に追い込んでいる、支配層、多国籍大企業のための改革政治と同根のものであることを明らかにして、労働者、中小業者らの改革政治を打ち破る闘いと結びつき、広範な国民運動の先頭に立ったときこそ、闘いの展望は開けるのである。

大学改革の狙いを隠す共産党
 ところで、この大学改革の本質、敵の狙いを暴露し、広範な戦線を形成する上でも、共産党の主張は有害である。彼らの「提案」を検討すれば、それはすぐに浮かび上がる。
 「提案」は、その題名からもわかる通り基本的に「改革」必要論を前提としたものである。いわく「改革は学問の府にふさわしいやり方で」「小泉内閣のやり方に反対し、真に国民の立場にたった大学改革を提唱」などと、問題にしているのは結局のところ改革の「やり方」に過ぎない。
 従って、「経済再生に役立たずと大学を切り捨てる」と大学改革を批判してみても、その「やり方」では「……幅広い分野の基礎研究を衰えさせてしまえば、将来の生産技術の革新などのも悪影響が及ぶ」などと、財界も喜ぶ助言を買って出ているのである。
 事実、「国民の立場に立った大学改革を」では「日本共産党は、国立大学の再編・統合に一律に反対するものではありません」とリストラを公然と容認し、「大学と企業との共同では、研究における自主性、対等で民主的な関係、研究成果の公開などのルールを確立すべきです」と、あてにもできず、できもしない「ルール」をもちだし、産学協同を基本的に容認する態度も明確にしているのである。
 国大協幹部が、改革論の波にさらわれ、ついに改革推進派に脱したように、共産党のこの態度は、敗北への道を掃き清めるものである。

*  *  *

 こんにちの大学改革は、「国際競争力強化」と「効率化」を至上命題に、大学を「構造改革」しようとするもので、グローバル資本主義下で激化する国際競争に生き残りをかけるわが国多国籍大企業の死活をかけた要請にこたえるものである。それは、産業競争力強化のために、より効率的な人材養成と技術革新での貢献を大学に求め、あわせて「小さな政府」で大企業の負担を減らし、徹底的な規制緩和、リストラを進めて、大学の再編淘汰を促そうというものである。一握りの大企業にとって有益な大学だけは生き残らせ、あとは滅ぶに任せる。これが改革の実態であり、めざすものである。そこにあるのは多国籍化した大企業が世界で生き残るための、無慈悲なまでの国内再編、切り捨て政策である。
 共産党はこのような改革の本質を一切暴露しようとしない。問題は「やり方」ではない。改革そのものであり、それを必要としている多国籍大企業などわが国支配層の意図である。この点を明確にしなければ「経済再生のため」「国際競争に生き残るため」などのもっともらしい理屈に立ち向かうことができない。
 さらに、こうしてこそ多国籍大企業の利益のために国内「改革」で切り捨てられ、苦しみ、怒る国民各層と共同できる現実的な根拠、広い条件が展望できるはずである。 敵に恭順の意を示し政権参加をめざす   共産党はこの点を一切無視して語ろうとしないのである。
 もちろん彼らがこの事に気づいていないわけではあるまい。彼らの意図は別にある。それは支配層の危機の時代に、保守党との連携で政権参加を狙う、97年の共産党第21回大会以降踏み込んだ、裏切りの政権構想である。イタリア共産党の「歴史的妥協」にわが身を重ねあわせ、保守政党との連立を夢見て、今から支配層、財界が容認できる内外政策へと「現実主義」、妥協を深め、支配層に徹底的な恭順の意思を表明しておこうとするものである。  このような共産党が、支配層の狙いを徹底的に暴露しようとせず、闘おうとしないことは明らかである。もちろん支配層が真に恐れる大衆的な国民運動の発展を憎み、これを妨害し、議会と選挙の枠にいつまでもつなぎ止めようとするのは当然である。

*  *  *

 強引な「改革」攻撃の下で、各地、各大学で法人化への準備としてさまざまな、リストラや既得権はく奪、学生自治、自主活動破壊の攻撃が激化するであろう。その矛盾の中から荒々しい抵抗の闘いが高まらざるを得ないであろう。このようなとき、闘いのエネルギーを自党の議会と選挙での前進に従属させ、その闘争の国民的、大衆的な発展を押さえ込もうとする、この党の危険な姿をはっきり見抜かなければならない。一切の幻想を打ち破って、裏切り者を徹底的に暴露し、打ち破ることは当面の闘争の真の発展にとって、絶対に不可欠なことである。