20020315

国立大学の独法化反対

学生運動の攻勢準備へ

大学「改革」攻撃をうち破れ

早川 裕二


はじめに

 国立大学の独立行政法人化への移行とその後の大学運営、組織のあり方を検討してきた文部科学省の「調査検討会議」の最終答申が今月末までに出されようとしている。政府は、これを受けて、2003年度までに法案を国会に提出、2004年度から、いっせいに国立大学の「法人化」に着手する予定である。
 すでに3月8日、この調査検討会議の連絡調整委員会が「最終報告」を公表した。これによれば、昨年9月の「中間報告」で示され、多くの大学関係者、学生が反対してきた、国立大学の解体的な再編の方向がいっそう強く打ち出されたものとなっている。
 それは、国立大学の民営化を射程に入れ、国公私大すべてを含む、わが国大学制度全体を「国際競争力強化」と「効率化」を至上命題に「構造改革」しようとするもので、グローバル資本主義下で激化する国際競争に生き残りをかけるわが国多国籍大企業の要請にこたえるものである。

大学の強引な再編、淘汰を促進

 最終報告が示したものは、国立大学を国の直轄運営から切り離し、独立行政法人の一形態である「国立大学法人」として、独立して経営させるというもので、事実上の民営化の第一歩である。こうして、国の財政負担を大幅に軽減させるとともに、「規制緩和」「競争原理の導入」を徹底させ、再編、淘汰を促進させようとするものである。これを貫くキーワードは「国際競争力ある大学の育成」である。
 報告は、副学長など法人化した大学の役員に、学外の人材を登用するとし、大学運営に経済界の直接の意思を反映させる仕組みをつくり、営利と効率優先の大学運営をめざすものとなっている。また、法人化後の教職員の身分は、民営を先取りし「非公務員型」とされた。こうすることで、大学教員、研究者の民間企業との兼業、兼職が原則自由化され、企業のための委託研究や技術移転が促進され、結果、産学協同が野放図に認められることとなる。これは大学を、大企業のための下請け研究機関へと変えようとするものである。
 こうした「規制緩和」の一方で、「競争原理の導入」の名のもとに大学の序列化と淘汰が露骨に進められようとしている。新しい大学法人には、それぞれ中期目標が設定される。そしてその目標達成度は、文科省の「国立大学評価委員会」が査定し、その結果を国が大学に支払う運営費交付金の算定に反映するとしている。競争力に欠ける大学は、基礎的運営費でも冷遇され、存立の危機に直面する。つぶれる大学はつぶしてしまおうということである。
 一方、これら抜本的な大学の構造改革を強引に推し進めるため、大学運営における学長権限を「トップダウン型」に強化し、さらには、学長の任免権を文科相が独占的に握ることで、大学に対する文科省の統制強化もはかられようとしている。「大学の自治」を盾に抵抗する教授会を、大学の意思決定から、最後的に排除することが狙いである。

「改革」を余儀なくされる支配層

 80年代半ば以降、国際化に直面したわが国支配層、多国籍大企業は、市場開放圧力の高まりの中で、産学連携と大学改革を強く求めるようになった。しかし、90年代に入り、いっそう激化する「グローバリズム」の中で、「情報化、技術革新」で遅れをとり、国際的な産業競争力にかげりを深めたわが国独占資本にとって、大学の研究機関とその成果を効率的に活用することが死活的課題となった。また、「資本効率重視」の経営への転換を図る独占資本の雇用政策にとって、雇用の多様化に対応し、即戦力となる人材養成を安上がりに実現するための大学の再編、統合が不可避となった。高度成長期に量的に拡大し、均等な人材育成政策を担った大学制度は、非効率なものとなっていた。さらに、60年代末の全国的学園闘争の終えん以降、国の大学管理の末端機構に脱してきた、教授会を中心とした学内意思決定システムも、産学協同と淘汰、再編を急ぐ改革にとっては抵抗要因となっていた。
 国立大学の「独立行政法人化案」は、この流れの中で、産業競争力会議への経団連の提案として、初めて登場したものである。

ジレンマに陥った大学改革

 戦後のわが国の高等教育政策は、「護送船団方式」などといわれ、文部省がその許認可権と財政を使って、国公私すべての大学を保護し、支配してきた。それは支配層にとって、戦後復興と高度成長を科学技術、人材養成両面で支えた効率的な産業政策の一部でもあった。しかしこんにち、財政の制約、そしてグローバリズムの名のもとに全世界の先端技術と人材を独占しようとする米国の戦略など、国際圧力に押され、その抜本改革に手をつけざるを得ないところに追い詰められたのである。米国に明け渡すところは明け渡さなければならない。しかし、戦略産業と技術だけは握っておきたい。なおかつ、大学のリストラは財政面から待ったなしである。これが対米従属で多国籍化したわが国独占資本の陥ったジレンマである。そして何より、改革は国内で巨大な抵抗に遭遇する。支配層にとって、改革はこれからが正念場である。  政府の経済財政諮問会議が昨年六月に発表した「構造改革に関する基本方針」(骨太方針)には、すでに国立大学の民営化が明確に打ち出されている。これに押された形で発表された文科省の「大学の構造改革の方針」(遠山プラン)は、民営化を射程に入れて、大胆な統合、合理化を打ち出し、大学関係者に大きな衝撃を与えた。
 弱肉強食の大競争が大学を襲う。国際的に通用する「トップ」大学は、対応の準備を急ぐにしても、それ以外はみな淘汰で、つぶされる。
 淘汰される圧倒的に多くの大学と学生には、耐えがたい痛みが強制される。切り捨てられる地方国立大などからは激しい反発の声があがっている。また、地方自治体からも、地方切り捨てにつながる大学統廃合に反対する声が高まっている。
 国立大学だけではない。18歳人口の減少ともあわせ、高度成長期の無責任な高等教育政策を下支えし、膨張してきた私立大学の多くも、この大競争に巻き込まれ、容赦なく切り捨てられる。
 グローバル資本主義に対応した改革政策に反対し、国民のための大学を守る、広範な国民的運動はさらに高まらざるをえないだろう。

犠牲押し付けと断固闘おう

 一方、個別大学経営は、改革へ対応し、生き残りのため、なりふりかまわぬ合理化や再編を急ぐことになる。それは学生にとって、学費値上げ、勉学条件の悪化、はては大学自身の統廃合、廃校など、とてつもない不利益を押し付けられることになる。
 そして何より、抵抗の拠点となる学生の自治、自主活動への圧迫、弾圧が激化するだろう。重要なことは、国民的な闘いの主な力は、ここでの抵抗の闘争の中からつくられるということである。大学の自治を、教授会の既得権維持のための空語にするか否かは、この力の形成いかんにかかっている。「学問の自由」も「大学の自治」も歴史的な、学生を中心とした血のにじむ闘いによってかち取られたものであることを想起しなければならない。
 あらゆる犠牲の押し付けに反対する学生の闘いを断固支持し発展させなければならない。そして、闘いの中で学生運動の団結を、次第に促進しなければならない 。
 わが国学生運動は、歴史的な発展の契機にさしかかっている。