20020215

「三池闘争学習会」を開催

青年は労働者の闘いに学ぼう

日本労働青年団・関東運営委員 白石 弘子


 昨年12月、元三池炭鉱労働者の藤沢孝雄さんを講師にお迎えし、青年・学生が中心となって「三池闘争学習会」を行いました。
 学習会を立ち上げたきっかけは、藤沢さんの著書「三池闘争と私」という本を読んだことです。中・高の歴史の教科書には、若干の記述がある程度で、「三池闘争」と聞いて、その全容・本質を思い浮かべることのできる人は、とくに若い人の中ではまれだと思います。もちろん私もそうでした。ですが、この本を読んで、「なぜ三池炭鉱の労働者は、このような大闘争を闘えたのか、そして、なぜ私は三池闘争のことを知らなかったのか」と、大きな衝撃を受け、涙が出たことをおぼえています。
 折しも、現在日本は長期不況の中にあって、合理化による首切りなど、資本の一方的な攻撃は、労働者のみならず、今まさに青年・学生にも襲いかかっています。大学は二極分化・淘汰(とうた)され、多くは就職専門学校の様相を呈してきています。ところが、その大学を出ても、五割の人たちは就職すらできない。働き始めてもリストラされたり、離職せざるを得ない。しかし、空前絶後のそんな状況の中にあっても、困難な現状を無条件で受け入れている。なぜなんだろうか、本当にそれで良いのだろうか? 働くとはどういうことか、働く者の社会とは何か? そのことを、労働者の闘い、三池闘争から学べないかと思い、同世代の若い人たちに声をかけて、学習会を立ち上げました。

新鮮な生活と闘争の結合
 まず、「三池闘争・日本をゆるがした日」というビデオから、三池炭鉱労働者の闘いの記録を追いました。機動隊や警官隊とぶつかる激しい闘争の映像とともに、炭住(社宅)での生活ぶり、子供のはしゃぐ姿、ご飯の支度をするお母さん、自転車で宣伝し、歌を歌って励ましあう労働者の映像が、「そこで生活している人びとの姿」を如実に映し出していて、印象的でした。
 その後、講師の藤沢さんから炭鉱での暮らし、会社を相手取って立ち上がった経緯、闘争の中で得たもの、凄惨(せいさん)極まる炭じん爆発当時の状況などをお話いただきました。
 「戦後の国策により、職を持たない人たちが何10万と集められ、炭鉱で働いていた。賃金は最低で、また会社側が労働者を管理するのに都合のよいように、隔離・監視された生活だった」 、 「はじめは、組合の運動に参加するのが嫌だったけれど、自分がいわれもない逮捕をされて、組合の温かい励ましを受け、仲間がいることの心強さを実感した。エネルギー転換政策の流れの中で、合理化(首切り)反対闘争、賃上げ闘争に参加し、会社は三井資本と国家権力と結びついて、どんな手を使ってでも労働者を押さえつけていた現実を目の当たりにした。団結して闘う重要さを感じ、『眠れる豚』と揶揄(やゆ)された三池労組は強くなっていった。しかし、会社側の卑怯(ひきよう)なやり口で、組合が分裂させられ、仲間のきずなが裂かれた時には、非常に悔しい思いをした」と語られました。
 「その内に、安保闘争が日本で燃え上がった。三池闘争と安保闘争が互いに結びついて闘われたのは、どちらも労働者にとって重要な、生活にかかわる『国の進路』の問題だったからだ」とも言われました。

働く者の団結の大切さ学ぶ
 また、一瞬にして458人の命を奪った63年の炭じん爆発について、「三井は労働者の命など見向きもしなかった。毎年300人近い人びとが落盤などで命を奪われていた。闘争中は、『抵抗なくして安全なし』などのスローガンを掲げて、とうとう犠牲者は年に1人というところまでこぎつけた。それが組合の分裂と弱体化の中であの爆発事故になってしまった。直後の現場に入り、多くの仲間の息絶えた姿を見て、『何で罪もない労働者が殺されなければならないのか』と怒りに震えた」と、力をこめて言われました。
 最後に、「いつだって、会社(資本・権力)は、働くものを虐げる。社会は働く者がいてこそ成り立つもの。『会社あっての労働者』などというのはまったくのウソだと、実感している。命、家族、生活を守り、労働者が尊重される社会をかち取るためには、働く側は徹底的に団結して闘わなくてはならない」と強く述べられました。
 また参加した学生に、「何のための、誰のための学問を学ぶのか。よく考えてください。そして、皆さんはこれから社会を支えていく人たちだから、社会の仕組みをしっかり勉強してください」とおっしゃいました。

今の若者にこそ伝えねば
 九州出身の参加者からは、「今ではシャッター街になっているあの地域に、多くの労働者が生活し、お話のような大闘争が行われたということが信じられない」「三池闘争については、出身地が近いこともあって勉強したが、こんにちのような生々しいお話を聞けて、より深く学んだ思いだ」などの発言がありました。また、「三池闘争という重要な歴史の教訓が、こんにちに生かされていないと思います。学生は、就職難だろうが、無意識のうちにその流れに乗ってしまう。もっと多くの学生がこのことを知るべきではないか」「自分の父親も工場労働者だが、日々どんな生活をしているか、分からなかった。だが、家族の生活を支えるため、苦しい仕事にも耐え、やってきていたのだと思う。今、非常につらい時期なので、機会があったら話し合ってみたい」などの発言もありました。
 三池闘争が闘われたのは、戦後から1960年までで、今から40年以上も昔のことです。ですが、現在に至っても、資本と労働者の関係の本質はまったく変わっていないことがよく分かります。むしろその矛盾は激化しているようにも思います。「生活が苦しいな、どうにかならないものか」「職がない。これからどうやって生活していこうか」などと、日々苦しい状況にいる若者は多いと思います。自ら命を絶つ人も大勢います。
 そんな中で、「三池闘争」で労働者が体得した教訓は、こんにち生かされるべき、重要なものだと感じます。ほんの一握りの人間が巨大な富を手中に納め、その富をつくり出した労働者は苦汁を飲まされる。その上、生き残りを図る資本により、首を切られたり、命を奪われたりする。そんな関係はどう考えても間違っている。今、こうして声をあげれば、きっとだれもが「そうだそうだ」と感じるに違いありません。
 藤沢さんの言われた通り、私たち青年・学生は、これから社会に出て、その根幹となる世代です。この現状の中で、私たちはどう考え、行動するべきなのか。三池闘争学習会を立ち上げ、参加した立場から、今回参加してくれた皆さんと、今後もたくさんの若い人たちに、訴え、考えて、共に行動していきたいと思います。