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国労

勝利的解決へ闘争強化


 国鉄労働組合(国労)は国鉄闘争の全面解決へ向けて、闘いや各方面への働きかけを強化している。東京地裁の五・二八不当判決(注参照)から一年となった五月二十八日には、東京で大決起集会が取り組まれた。闘争団の上京行動や、関東四地本の首都圏総行動も取り組まれている。


5・28不当判決から1年

決起集会で決意新たに

 五月二十八日、「国鉄闘争の全面勝利解決をめざす大決起集会」が東京・日比谷野外音楽堂で開かれ、全国から三千五百人が結集した。

 国労の高橋委員長は、「昨年の五・二八判決は誰がみても不当な判決だ。私たちは、政治が起こしたこの責任は政治において解決を図るべきだという取り組みも、裁判闘争とあわせて取り組んできた。二百万署名を取り組み、約一万六千団体、百二十三万人という多くの協力を得た。解決の入口に入ったとしても、甘い考えは禁物だ。これから具体的な交渉には大変な厳しさも予想される。千四十七人の闘争団の家族の苦しみや、解雇という不名誉なレッテルをはがさなければならない。闘争団、生活闘争体制の強化、職場における労働条件改善の闘いや組織拡大など、いっそう闘いを強め、大きく大衆行動を進めなければいけないと思う」とあいさつした。

 国労闘争団の神宮議長は、「不当判決を乗り越えてこんにちまで闘い、解決の気運が高まっているが、私たちは、『不当労働行為があった。政府は不当労働行為の責任を免罪されない』ということを基本に置きながら、希望する組合員を全員JRに復帰させる、労資関係正常化を図る取り組みを強化していく。十二年間の空白の時間をなくすにはJRに戻ることしかない」と決意表明した。

 闘争団家族の決意表明(発言別掲)では、会場にあふれるほどの参加者が静まり返って耳を傾けた。固い決意の発言に、「がんばれ」などの声援も起こった。

 集会後はデモ行進し、国会周辺に力強いシュプレヒコールを響かせた。


高崎・東京・水戸・千葉の4地本

1カ月の座り込みに突入

 国労の高崎・東京・水戸・千葉の四地方本部は、六月二十五日のJR株主総会に向け、五月二十五日から一カ月の首都圏総行動に突入した。土・日を除いて、午前はJR東日本本社前行動、午後は国会前座り込み、国会議員や運輸・労働省、中労委、JRへの要請行動を行っている。

 初日の五月二十五日には、国会前に三百五十人が座り込んだ。その後も連日三百人が行動に参加している。

 六月二日の国会前集会で高崎地本の代表は、「闘争団、家族が本当に納得できる解決を求める。そのためにもっと大衆的に運動を発展させよう。そして勝利に向けて一カ月の座り込みを闘い抜こう」とあいさつした。

 北海道の音威根府闘争団からは「北海道の十三闘争団が札幌に集まり、連日オルグ活動を行っている。不当判決に対し、絶対に許せないとの思いでがんばってきた。全面解決に向けて、体を張って闘う」との決意が表明された。

 熊本闘争団からは「一日も早い解決を求めるが、不当解雇撤回、地元職場復帰しか解決はない。そして不当労働行為の根絶を求めていきたい。本当に闘ってきてよかったと言えるまで闘いぬきたい」と述べた。

 国会前で労働者派遣法改悪に反対し、座り込んでいる全労協からも「労基法改悪、派遣法改悪と攻撃が続いている。国鉄闘争も根は同じだ。これらを跳ね返す運動をつくりだし、国鉄闘争の勝利に向けてがんばろう」と連帯のあいさつが行われた。東京清掃労組も二十七日から国労座り込みに参加していくことが報告された。


12年間の生活を返して!

国労闘争団家族から(北海道・音威根府)

 国労が解決努力をしているのに、政府の無責任な態度、JRのかたくなな態度に、腹の底から怒りがこみ上げてきます。

 不当判決から1年。あの日、この間の闘いに自信と確信をもって傍聴しましたが、「取り消し、却下」という言葉に頭の中が真っ白になりました。東京地裁にまで裏切られた悔しさ、またしても国家権力にやられたという許せない怒り。不当判決以降、闘いに自信がなくなるのを感じずにはいられませんでした。そんな私たちに全国の仲間が「闘争団がんばれ、家族がんばれ」とたくさんの激励の電話やハガキ、さらには音威根府まで激励に駆けつけてくれました。

 みなさんに勇気づけられながら、こんな不当な判決に負けてたまるか、とがんばろうとした矢先、国労は解決のために改革法を認めるという事態になり、私たち家族はどうしても納得ができませんでした。

 2人の娘は夫が不当解雇されたとき、7歳と10歳でした。上の娘のクラスには鉄道員の子が何人かいましたが、解雇されたのは夫だけでした。「どうして友だちのお父さんには仕事があるの?」とくやしさをぶつけるわが子を抱きしめるのが精一杯でした。

 「お父さん、正義は勝つんだよね」といっしょに拳を固め、再びJRで働く姿を求めて12年。当り前の生活をしていれば家庭の中は明るく、笑い声があり、ささやかでも幸せだったはずです。夫が不当解雇されたばかりに、家の灯は消え、夫婦の会話はいつも闘争とお金のことばかりで、時には大声になり、子どもたちにはたいへんつらい思いをさせてきました。「いつ解決するの? JRに戻ったら買ってね」という言葉は下の娘の口癖で、子どもたちはたくさん我慢してくれました。

 政府は国家的不当労働行為の責任に触れないで人道上の問題とし、新たな雇用を確保することで解決しようとしているようですが、私たちは単なる雇用だけの問題で闘ってきたのではありません。夫は非人間的に扱われ、「なまけもの」のレッテルをはられ、名誉は傷つけられました。当時の政府は「1人も路頭に迷わせない、組合差別はしない」と公約しながら、改革法によって採用差別を行い、夫の首を切りました。私たち家族の平和な生活を奪った事実は消し去ることはできません。

 働き盛りの夫から仕事を奪った12年間の責任、14人の組合員を死に追いやった責任、私たち家族の悩み苦しんだこの12年間に謝罪し、1日も早く夫をJRに復帰させることは私たちのぜったいゆずれない要求です。この要求をかち取るために私たち家族はこれからも叫び続けます。政府、JRよ、お父さんの仕事を返して! 家族の生活を返して! 仲間のみなさん、今後とも力強い支援、連帯をお願いします。


注 五・二八不当判決

 JR各社に不採用となった千四十七人の国労組合員の救済を命じた中央労働委員会命令の取り消しをJRが求めていた行政訴訟の一審判決。一九九八年五月二十八日に東京地裁で言い渡された。

 判決内容は、民事十一部では「不当労働行為の責任はJRにある」とする中労委命令を事実上取り消した。また民事十九部は不当労働行為を認め「JRに責任あり」としながらも、採用命令を退けた。これに対し、国労、中労委は判決が不服として同年六月十一日に東京高等裁判所に控訴している。


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