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長崎菱光労働組合 小さな組合の大きな勝利

団結して闘えば道が開ける

長崎菱光労働組合 中尾道信 書記長に聞く



 長崎菱光コンクリート工業の労働組合は、三菱マテリアルの生コン業界撤退による経営権移譲で、労働条件切り下げ、組合つぶし攻撃がかけられた。組合活動にほとんど経験のない組合員は、地区労、支援共闘に支えられ、三年八カ月という長い闘争を闘い抜いて、昨年十一月、ついに全面勝利を手にした。不況を理由にリストラ攻撃が広がる中、菱光労組の勝利の経験は貴重である。菱光労働組合の中尾道信書記長に聞いた。

 九五年四月、経営権が園池商店に移った。累積赤字が六、七億円あり、経営再建策として賃金の三年間凍結と、労働条件凍結、九五年度の賞与は前年度並みという提案があった。組合としては、三年間も団交をしないのはおかしい、業績を見ながら、団交しろと要求し、闘いはじめた。

 会社側の攻撃の中、五月末には四十八時間ストライキを闘った。

 八月ごろから、労働組合つぶし専門の労務屋が、会社顧問として団交に参加するようになり、労働組合つぶし攻撃が本格化した。また、七月ごろに管理職二人に解雇通告が出たことをきっかけに、管理職組合が結成され、解雇通告を跳ね返した。

 十月には会社解散、全員解雇の提案があったが、裁判に訴え、提案を撤回させた。

 九六年から長崎県商工労働部の仲介で、長崎・平和労働センターの事務局長と園田社長、副知事の三者会談が行われ、七月三十一日に、第一次和解協定を結んだ。

 一次協定の内容は、1、未払いだった九五年夏・冬、九六年夏の一時金を支払う、2、組合は希望退職募集を了解する。そして二十六人が希望退職に応じて退職した。


二次闘争突入

 一時金が支払われ一息ついたが、十一月には当時の書記長など二人が懲戒解雇され、第二次闘争が始まった。すぐに裁判闘争、地労委闘争をはじめ、園池商店前での毎週火曜日の抗議集会を行った。

 九六年末には解雇撤回を求めてストライキを打った。九七年七月十四日には長崎地裁で二人の懲戒解雇は不当だという仮処分命令が出た。そして副知事が仲介に入り、地区労の書記長が参加して三者会談が行われ、九七年末の十二月二十二日に第二次和解協定を結んだ。

 二次協定では、二人の懲戒解雇が撤回され、同時に二人は九七年末で希望退職し、三菱が世話する職場に再就職することが盛り込まれた。また、一次協定後未払いだった九六年冬、九七年夏・冬の一時金の支払い、会社側は労働基本権を尊重すること、新賃金体系などを九八年三月末までに見直し、結論を出すことも合意した。


全面解決へ

 九八年になり、賃金問題などで団交したが議論に入れないまま、四月に会社側が三割カットを一方的に通知し、第三次闘争が始まった。

 五月には、四十五歳以上の労働者と女性労働者に対し、週三、四日の勤務という労働条件を強行してきた。これに対し、六月二日に賃金カット無効、未払い賃金請求で裁判を起こすと、二日後には会社側が一工場の閉鎖と希望退職募集を通告してきた(この時点で二工場、十七人)。その翌日には腕章闘争、組合旗掲揚、昼休み一斉休憩完全実施闘争に突入。

 六月九日には会社の組合旗強奪に抗議して、ストライキを打った。腕章闘争では、六月二十日から腕章着用者の就労が拒否された。賃金を確保するために方針転換し、六月二十九日から腕章を外して就労を始めると、今度は工場内の倉庫解体の業務命令が出された。これは工場閉鎖を促進するものだとして、作業を拒否した。

 会社側は七月十三日、ロックアウトの攻撃に出、全面解決まで続くロックアウトが始まった。

 七月三十一日には全国一般長崎地本が支援体制強化を確認。支援共闘は八月十二日に四百人で園池商店前抗議行動を展開し、その後全面解決まで、毎週火曜日に座り込み行動が行われた。

 そして十一月十八日、第三次和解協定が調印された。

 三次協定の内容は、1、組合員全員を新会社、新菱コンクリートで雇用する、2、会社側は一工場を新会社にリースする、3、未払い賃金(賃金カット分とロックアウト中の賃金など)の全額支払いなどとなった。

 中小企業における最終的な解決では、金銭だけ受け取って解雇されないことが多いが、この闘いでは雇用主は変わっても、全員が同じ職場で雇用され、中小企業にしてはよい解決になった。

 十一月三十日で全員菱光コンクリートを退職、十二月一日から全員で新菱コンクリートに就職し、まともな賃金ももらっている。


団結と支援が勝因

 三年八カ月という長期の闘争の中で、地区労をはじめ、全国一般などから支援を受けて、解決することができた。

 勝因としては第一に、長崎地区労、全国一般長崎地本などによる支援共闘会議が結成され、傘下の組合員にいろいろと物心両面の援助をしてもらったこと。第二に裁判、地労委闘争にことごとく勝利したこと。そして和解協定で退職した人もいたけれども、組合員全員が一致団結して、前に向かって闘ったというのが勝因だと思う。

 ロックアウト中には、気温三十五度を超えるような炎天下、解決まで九十五日、日曜以外毎日全員で座りこんだ。全員でまとまって行動し、お互いに顔を合わせ、闘いの中で団結を守ってきた。

 それから、組合に資金があったこと。ロックアウト中など賃金がないとき、満足な額ではなくても組合で貸付できたり、組合に積み立てた金を担保に労金から借入れできたりしたことも勝因だろう。

 われわれの勝利に、国労の組合員から「この勝利に続いていきたい、一つの希望の光が見えた」と言われた。

 今年はどこも賃上げがむずかしい状況にあるが、「労働組合ががんばっていればどうにかなる、がんばりがいがある」のとの声もある。

 だから、「団結して前に進めば道が開ける」といいたい。経営者の攻撃に負けず、団結して闘うしかないんだと思う。


 支援共闘会議は菱光闘争の記録集を作成した。その中で中尾書記長は「途中で何度も退職しようと思いました。なぜ辞めなかったのか?…正義感でもない、組合のためでのない、ただいっしょに闘った仲間を裏切れなかっただけでした」とつづっている。


勝利への3年8カ月

95年4月30日 経営権が三菱マテリアルから園池商店へ。
   5月31日〜6月1日 48時間ストライキ。
96年7月30日 第一次闘争和解。
   12月26日 解雇撤回を要求しストライキ。
97年12月22日 第二次闘争和解、2人の解雇撤回をかち取る。
98年1月12日 新賃金などの労働条件に関する申入書受け取る。
   4月 1日 会社側、就業規則による一カ月毎の変形労働時間制を一方的に開始。現場手当、住宅手当の一方的廃止。
   4月24日 4月分給与、約3割カット。
   5月16日 45歳以上の7人と、女性2人に対し、短時間勤務強行。
   6月 2日 長崎地裁に「未払い賃金請求事件」提訴。
   6月 5日 長崎労基署に告訴。諌早工場休止に抗議し、「腕章の着用」「組合旗の掲揚」「昼休みの一斉休憩完全実施」を通告、開始。
   6月20日 「腕章着用」を理由に就労拒否される。
   6月26日 「閉鎖反対」「短時間労働者反対」のスト権発動を通告。
   6月29日 腕章をはずして就労。
   6月30日 マテリアル九州支社交渉。
   7月 6日 閉鎖促進の倉庫解体を命じられる。
   7月13日 会社側からロックアウト通告。
   8月 8日 長崎地裁にロックアウトに対する仮処分命令申立。会社側から退職勧奨、整理解雇の通告書。
   8月25日 8月分の給与、ロックアウトにより、全員ゼロ。
   10月 6日 長崎地裁よりロックアウト仮処分命令出される。
   11月18日 和解協定書、確認書調印。
   11月30日 17人全員が長崎菱光社を退社。
   12月 1日 17人全員が新菱コンクリートに入社。


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