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労働新聞 2019年9月5日号・4面 労働運動

「職場を守る」
職場守る不屈の闘いに学ぶ


 JAM大阪グンゼSOZ労組 
水口委員長(2)

ーー二回目の合理化との闘いについて聞かせてください。

 一回目の合理化(二〇〇三年)の際にはさんざんやられた。二回目が二〇一〇年〜一一年。一一年二月には、会社はメカトロ事業部の解体まで提案してきた。この闘争は大規模なものとなりました。
 私は一年間、家にも帰らず、ずっと事務所に泊まり込んでいました。どう闘うかということをじっくり考えてイメージするんですね。前日に執行委員会を招集して、次にどうするかを考えて、説明し、皆が取り組んでいるときに、次にどうするかということを考えて、次から次に提案する。皆で考えてもらうようなテーブルを用意するというスタンスでやりました。
 交渉した際に、会社がいらんことを言ったところをチョイスして、「怒りのポイント」をビラにした。ビラだけで約五十回ぐらい作りました。「リレービラ」にして、部門ごとに前日考えさせて、毎朝集めて印刷して、毎朝撒くんです。こういう闘争を切らさずにやった。
 会社には積年の恨みがあるから、こういうことをやったらええというのを組合員全員に意見を出してもらいました。「会社改善の意見箱」を職場のそこらじゅうにおいて、何月何日までの間に、自分で思っていること、職場討議、なんでもいいから書けと。思う存分書いたらいいと、事の内容は遠慮するなと、それで集まったのが一月のうちに四百六十七件、十件以外は皆まじめな意見だった。これで執行部が余計応えなければいけないと、夜通し徹夜して意見集約をして、重要と思われる意見の整理をしました。百八十三件の意見に絞って。
 次はこれだけのことをやればできるということを、自分たちの力を証明していかなければならないと、そういう檄を飛ばして、意見を集約したものを宣言にして、それをビラにして会社に叩きつける。「皆やる気満々やぞと、どうすんねん、これだけやる気になるようなことを会社や経営陣がやったか」と。「結局推進力のなさが会社をこんな状態に追い込んだんとちゃうんか」と。
 団結するということは一つの集合体になること。やっている活動を通じて怒りを一致させる。変な怒りではなくて、この闘いの争点はどこにあるのか、なんで闘っているかということに集中していく、そのためのビラなんですね。そして「道は険しい」ではなく、「なんで険しいか」ということを考えろと。そして、「会社を残す」ではなくて「職場を守る」んだと。その職場のあり方とか、働き方を少し変えるだけで、この職場でふんばって働けるようになる。事業がなくなればその職場全部がなくなる、同じ形には二度と戻せないと。ここを組合員に現実のものとして考える時期にきているということを実感してもらうためにリレービラをやった。そうすると、「みんな毎日やっているけど、これ大変なことになってきたぞ」と分かるようになる。何もしなかったら、「なんか言うているわりには何にもないよな」となる。これが一番悪い。毎日やるということでそれだけ喫緊の危機だということを体得してもらうということだった。

ーーストライキ、経営再建闘争へ。

 一一年一月、当事者能力がない会社との団体交渉を打ち切って、本格的な経営再建闘争に入りました。
 それぞれの専門的な知識やそれなりに志をもって取り組める組合員を無作為に選んで、四つのグループにしてこの組合事務所で「缶詰」にし、二週間ストライキをするんですよ。その時の闘争費用の計算を先にするとだいたい五百万円ぐらい、JAM大阪、東京からも来てもらった。二週間缶詰になったけど、ヘタった組合員は一人もいなかった。闘わなければいけないから。そこで全員で経営再建計画をつくりました。そのときに撮った写真があります。
 経営再建に向けた会社と組合の違いは推進力だった。そして組合員が書いた経営計画書、売上予算計画書と、会社が書いたものとを、一、二の三と出して、どっちがいいか決めようと。会社の出してきたものは、いいことは言っているがデータの時系列がバラバラだとか、部門間で整合性がないだとか、信ぴょう性に欠けていた。組合が提出したほうは、経営の問題もマーケティングも整合している。会社は全面的に組合の再建計画を認めることになりました。
 事業部解体案まで持ち出してきた本社(グンゼ)とは、経営介入権を行使している組合に対して協定違反行為だと批判をして、事業部解体案を撤回させました。
 会社は組合の提案を受け入れて、事業部長も交代した。しかし、本社(グンゼ)が黙っていないでしょ。資本の力どない示したんやとバンといわれて会社がまた変貌してしまった。対抗心を出してきました。
 それからまた会社は赤字を続けて、七期連続赤字で資金ショートをしてから累積負債を増やしちゃったんですよ。事業本部長は保身に入って、三回目の合理化提案(二〇一五年)。「組合が提案しても経営改善をやらない、一時金の回答、賃上げの回答もいいかげん、そして会社の業績が上がらないから仕方がないと開き直る。
「協定」を完全に無視して、あげくの果てに他労組加盟の新入社員を配属させ「ユニオンシップ協定」の侵害をやった。昨年、指名ストをやり、徹底して批判、追及して会社に配属を撤回させ、謝罪させました。

ーーこの闘いのいちばんの成果はなんですか?

 いまの書記長は、〇三年の合理化のときに出向でよそ(三菱自動車)で働かされた人。一〇年の再建闘争のときに彼も入ってやった。その時、「会社が倒れそうだからもう無理やで」とあきらめる組合員がほとんどだった。執行部が「打ち返して撤回させるという方向にもっていく」と言っても、皆が「はー」というような顔になって、「いや、撤回させる」といって、やっているうちに、「こんなことできるんや」と。その時彼も覚醒した。言われたことをやる、言われたように動く、というのではなくて、自分がこの会社をどうするか考えて、みんなでやるということがどんなに大事なことかと。若い人たちが目覚めてくれたのがありがたかった。闘争に入った時が百五十人ほど。それでも、そんなこといわずにいうこと聞いておいた方がいいんじゃないという人もいたが、組合が打ち返して、会社を残した事実、打ち返せるという事実をつくったことは大きい。
 一三年度の組合大会議案書を作成しているときに、「あきらめずに」と何度も書いていることに気づいて、太字にしたら九カ所もありました。
 こちらがあきらめたらいかんと。  (続く)


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