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労働新聞 2018年10月15日号・4面 労働運動

職場から

業界全体の底上げを

東京 松戸 広さん(仮名)
 50歳 東京・タクシー運転手

 タクシー運転手として今の会社に入って十年くらい経ちました。以前は金属加工の仕事をしていましたが、車の部品を中心に作っていたので、あのリーマン・ショックの影響をモロに受け、業界全体で需要がなくなり、リストラに遭いました。それでも、独身で失業手当などをもらいながら、一年くらいブラブラしていて、「もっと休んでいたな」と思いつつ、そろそろ次の仕事をと考えていたところ、近所にあったタクシー会社に応募したら受かりました。別にタクシー業界に勤めたいということでもなかったのですが、以前、バイク便のドライバーを十年くらいやっていたので都内の道はある程度知っていたので、気軽に応募しました。入社当初は「保証金」というのがあって、いろんな条件をクリアすると三十万円を三カ月支給されました。しかし、三十万円の給料を通常の勤務で支給できるまでに一年くらいかかりました。一人暮らしなので、三十万円あれば悠々自適ですが、組合の役員も務めているので、結構組合活動で忙しく、本気で売上を上げようとしていないので、大体月平均で二十二、二十三万円くらいの給料です。ウチの会社では例えば六十万円の売上を出したとすると、六割くらい支給されるので、これくらいもらえると楽ですが。だから、年収ベースでいうと、昨年が四百万円くらいです。東京のタクシー運転手の平均年収が同じくらいの額ですから、標準的な収入額です。一生懸命売上げて、売上がいい月が続いても、年収五百万円いくかいかないくらいでしょうか。売上トップの人も六百万円には届かない状況です。
 ウチの会社は二千人くらいの社員数で、いわゆる「準大手」といわれる規模です。私は一人暮らしで、家族もいませんから比較的楽ですが、もし、家族がいて、子どもを養うということになるととても厳しい水準ですよね。
 私のシフトは昼から夜一日勤務を二回繰り返して、次の日には休みというサイクルです。これ月六回繰り返す形です。土日も仕事が入ります。勤務最初の二週間は疲れて、眠くて仕方がなかったですが、もう十年も経ち、だいぶ慣れました。それでも人の命を預かっている仕事なので心身ともに楽な仕事ではないのは確かです。
 私は今いる営業所で組合役員も務めています。会社に組合はいくつかあって、だいたい見習いのときに付いてくれる先輩が入っている組合に入る傾向が強いですね。今組合では「累進歩合」(*)の廃止を強く要求しており、会社側も同意していますが、なかなか進まないのが実際でこれをなんとかしたいですね。
 業界自体もそうですが、ウチの会社はとくに人手不足が深刻で募集してもなかなか応募がありません。大手はそれなりの条件で、いいお客さんをもっている点がアピールできるし、小さな会社は経営が苦しいなりに、いい条件で人手を集めようとしているので、準大手のウチはどうしても労働条件などで中途半端に見えてしまうようです。だから新しく入った人に「何でウチに来たの?」と聞くと、「家から近かったから」という答えが返ってきます。とにかく、なかなか人が入ってこず、しかも、定年退職で辞めていく人も増えてきているので、人手不足は危機的です。車の稼働率も他社と比べても非常に悪い状況です。
 今、業界は「ライドシェア」とか人工知能(AI)を活用した自動運転などで大きく揺さぶられています。自動運転なんかは自分も見ていて、ワクワクもしますが、利潤ばかり求めると公共交通ではなくなってしまいます。本当に公共性を保つなら、「ライドシェア」などに頼らず、赤字でも走らなければいけないのが本来の姿だと思います。このままでは儲(もう)からない地域では自由に移動する当然の権利が阻害されてしまいます。やはり、良識ある経営者に残っていただき、金儲けだけのためにやっている経営者には退場してもらうのがタクシー業界全体にとっていいことだと思います。私自身はいずれ個人タクシーをやってみたいという希望もありますが、二年後、三年後は残る業界だとは思いますが、十年後はどうなるかまったく見通せません。この業界が十年先も生き残るためには業界全体の社会的地位を上げていく必要があると思っています。そのためにも賃金など労働条件の向上が欠かせないのは言うまでもありません。

*累進歩合…タクシー運転手の給料は、売り上げに応じて決まる歩合給の要素が多い。「運賃収入等をその高低に応じて数階級に区分し、階級区分の上昇に応じ逓増する歩率を運賃収入等に乗じて歩合給を算定する方式」(厚生労働省)。歩合給を上げるため、長時間労働やスピ−ド違反、交通事故の発生が懸念され、厚労省もその廃止を求めている。


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