20010605

林業基本法改正 「山は不可欠の公共財」

予算労働力確保を

全林野労働組合  道林 實委員長に聞く


 今国会に林業のあり方を定めた林業基本法の改正案が提出されている。だが、林業の位置づけを公益機能としても、予算措置や森林労働者の労働条件などが改善されなければ、国民の財産である森林を守り、発展させることはできない。こうした問題について、全林野労働組合の道林實委員長に聞いた。

 今国会に、林業基本法改正案が提出されている。一九六四年に林業基本法が制定された時の理念は、国民生活の基礎的資材としての木材の供給のために林業を振興することだった。今回の改正で森林のもつ環境保全機能などの公益的機能が強調されている。
 だが、木材は八割が外国からの輸入で、国産は二割しかない。そのため木材価格は統制が取れず、暴落している状態だ。その結果、日本の多くの山では木材を切りだした後、手入れされることなく放置されている。
 そのために、森林労働者はどんどん減っている。それは、単に労働力の問題ではない。森林労働は技術を要するものだ。木を植えるにしても木を間引きする間伐にしても、一定の技術がなければできない。山の斜面で日の当たり方、風向きなどを考えてやらなければよい山はできない。これが放置されているのが最大の問題だ。
 森林のもつ公益的機能については、水の問題にしても山の木をきちんとしないと地下水はできない。空気にしても緑がなければだめなのは、京都会議などでも世界的に認識されているはずだ。だが、水と空気はタダという意識が強いので、基本法で環境など公益機能をさらに明確にしていきたい。
 こうした公益機能があるのだから、林野庁だけの問題だけでなく、社会的に認知させる問題だ。そして政府としてきちんと位置づけ、予算も一般会計でやるべきだ。

◇          ◇

 小泉政権は「聖域なき改革」を訴えている。しかも、そこでは効率だけが問題にされている。
 こうした論法では、林業は成り立たない。木を植えて、五、六年は下刈りで草を取る。また、間伐することが必要で、こうして植えてから七十?八十年して始めて立派な木になる。効率性や数字ではかれるものではない。
 環境問題として林業を位置づけるなら、効率性、合理性などを追求すべきではない。なんでも輸入できると思っているが、環境は輸入できない。治山、治水や環境を守るためにしっかりした政策が必要だ。
 そのために森林整備をきちんとすべきだが、まず民有林については基礎台帳がはっきりせず、不在村地主が多い。そこをまず整備し、放置されている森林について、政府が取り上げることはできないが、公的に介入して整備をうながすべきだ。
 そして政府は国内材の使用を推進し、例えば自治体が地元の材木を使用して学校などの公共施設をつくるなら、補助金を出すなどの政策を行うべきだ。
 そのためには、労働力確保が必要だ。現在、森林労働者は平均年齢六十歳以上であり、なり手がいない。労働条件にしても最悪で、一年間に八十人も死亡する危険な仕事だが、厚生年金も社会保障も半分しかない。しかも、以前は退職金もなかった。全林野の組織された人びとはわずかだが出るようになった。
 年間雇用されている人は二〇%しかおらず、大部分は季節雇用でしかない。こうした処遇を改善しなければ、担う人は増えない。われわれは、戦後、林業労働者の身分保障を公務員に準ずるように闘い取ってきた。このように労働条件をきちんとしていかなければ、森林労働者は確保されない。
 だから、公務員制度の改革問題にしても、単に民間労働者と効率性だけで争うべき問題ではない。改革や数字に惑わされず、国民生活のための公務サービス全体を議論していく問題だ。
 これは、われわれの反省でもあるが、環境問題が盛り上がっているのに十分宣伝できていない。例えば、ドイツではフォレストマイスターといって、森林管理職が大変人気があり、就職の競争率も高い。それは、社会的に森林の公益性が認知されているからだ。
 だから、われわれとしては、森林の問題を狭い範囲の問題にしないで、国民生活の中に位置づける観点で議論をしていきたい。そうすることで、基本法改正に伴う中身をつくっていくようにしたい。

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