20010515

韓国・大宇自動車労組 日本でアピール行動
闘いで生存権を守る

大量解雇に実力で反撃


 韓国第二位の自動車メーカー大宇自動車は、昨年十一月に十八兆ウォン(約一兆八千億円)の負債を抱え、法定管理(会社更生法に当たる)手続きに入った。大宇は国内二万二千人の労働者を一万五千人まで削減する再建計画を進め、二月十六日には、仁川市にある富平工場の労働者千七百五十人を指名解雇した。富平工場の労働者、家族、支援者六百五十人はただちに、解雇に反対しろう城闘争を闘った。韓国政府は、四月十日、三千人以上の武装警官を導入し、暴力的に排除した。だが、大宇労組と民主労働組合総連盟(民主労総)は、闘いを継続し、大宇再建と経営陣の責任追及と金大中退陣を要求し闘いを強めている。大宇労組の闘いは、労働者が攻撃に対し、自らの雇用と生活を守るために闘いに立ち上がること、そこでの労組幹部の役割の重要性などを示しており、停滞する日本労働運動の再生にとっても、多くの教訓がある。大宇自動車労組が参加する金属機械産業労働組合連盟の陽鶴龍・仁川本部組織部長が来日し、日比谷メーデーなどで大宇の闘いを報告した。その要旨を紹介する。

 大宇は不渡りを出したが、会長は再建団体から四十兆ウォンの融資を受けた。しかし、その半分の二十兆ウォンについては、会長ともども不明になっている。それは海外に流れと思われ、七兆ウォンについてはそう判明した。
 しかし、金大中大統領は、会長を捜さず、大宇をGMに売却しようとするだけで、犠牲を労働者だけに転嫁するのか。経営者と政府の責任がなぜ、労働者に押しつけられるのか、労働者はガマンできないから闘うのだ。

闘いで変わる労働者

 解雇通知が出るまで、多くの労働者が悩み苦しんでいた。テレビなどでは、労働者が火炎ビンなどで闘っているのが報道され、たくましく見えるかもしれないが、大宇労働者の元々の姿ではない。われわらは追いつめられて、変わってきた。
 九八年以降、韓国では国際通貨基金(IMF)の支配下に置かれ、韓国の労働者は変わった。それまでは、賃上げと組合を守るだけだった。
 しかし、IMFの支配以降は、経営不振のために、賃下げにも同意しなくてはならない状態となった。民主労総の中でも、現代自動車はよく闘ったが、整理解雇を受け入れざるを得なくなった。
 大宇では九九年から一週間働いて、一、二週間休むような不安定な状態で、賃金も七〇%しかもらっていない。雇用不安のなかで、団結は少しずつ崩れてきた。九七年以降は、組合は交渉だけでやってきて、組合指導部への不信が増大した。
 一方、整理解雇に対しては、自分だけは生き残りたい人びともいた。労組の闘いに参加できない労働者がいた。一月二十四日のストライキでは、七千五百人のうち四百人しか参加しない状況だった。
 会社側は、労組が整理解雇に合意しないと不渡りを出すと脅し、多くのマスコミも同調した。労組は、未払い賃金四カ月分、退職金について要求したが、組合要求は何一つ答えず、会社側は六千八百人の削減をマスコミを通じて出してきた。
 そして富平工場では千七百五十人の解雇通知書が郵送された。解雇は労働者の命を切る殺人的な文書だ。そして組合は、二月十六日、雪の中で集会を準備した。この雪の中、本当に労働者が集まるのか、不安だった。
 午後になって、子供をつれて家族ともども集まってきた。彼らは、会社の食堂にろう城する決意で参加した。
 大宇の闘いは、韓国労働運動にとっては、厳しい中で道を探る闘いだった。逆に政府は、新自由主義の政策を推進し、公企業の民営化、リストラ、非正規雇用の拡大、構造調整によってさらにリストラを進めることである。大宇自動車は関連を含めれば三百万人労働者がいるので、政府が政策を遂行できるかどうかの分かれ道である。まさに総資本対総労働の闘いとなり、労働側は二十八団体によって共同闘争本部をつくった。
 その後、一日一日と労働者が変わっていった。工場のあちこちに会長と金大中批判のスローガンが書かれた。そして、手には鉄パイプがにぎられ、バリケードが築かれた。
 組合は非常事態に対する訓練を開始した。訓練では、五百人の労働者が十分で集まった。これを見て、勝利できると確信した。
 だが、十八日に急に警察が増え、夕方に権力が入り、労働者と家族は工場から排除された。しかし、翌日から反撃を始めた。駅前に三千人の労働者が集会を開き、会社にデモを行った。毎日のように全国から支援者が参加し、闘争基金も一億ウォンが集まった。
 三百人が就労闘争を開始したが、四月十日、組合事務所に入ろうとしたとき、警察官が襲いかかった。
 あばら骨が折れて骨にささった人もいる。言語障害になった人もいる。失明状態になった人もいる。九十人以上が負傷し、二十七人が今も入院している。この弾圧が報道されるや、大きな反響を巻き起こし、金大中も警察署長を首にしなくてはならないほどだった。

われわれには希望がある

 解雇者五百人は固く団結しており、共同闘争本部は金大中退陣闘争をやっている。
 われわれには闘いに希望がある。五月二日、対案を出している。その内容は、解雇を撤回し、再建を模索しようというものだ。
 労組は、未払い賃金の一部と退職金の一部を出資する。だから、再建団、政府はもっと出資せよ。そうやって自力再建しよう。
 稼働率はいまは三〇%を下回っているが、われわれは休職しても精力的に販売する。そして、軌道に乗ったら、現場復帰する、こうしたことを提案している。
 民主労総としては、警察暴力に対し、警察長官らの処罰や大宇自動車における労資交渉の再開などを要求し六月十一日にもう一度ストライキを闘う。

幹部が労働者を信じること

 二月十六日以降、幹部は昼間は闘い、夜は会議などで毎日二、三時間しか眠れなかった。私も五キロやせた。
 大宇の労働者は闘士ではなかった。鍛えられたものだ、例えば、ある工場では千人が七十二時間工場占拠の闘いを繰り広げたが、以前の集会には五十人しか集まらなかった。幹部たちが、集会参加を繰り返し呼びかけた。肝心なことは、彼らが労働者を信じていたことだ。労働者は一つの契機があれば、変わる。また、幹部の姿を見ている。
 かつて七〇年代には韓国労働運動は暗黒の時代だった。しかし、幹部の粘り強い努力が積み重ねられ、いまの大きな運動になった。
 労働運動の歴史は、困難な時代を超えれば、新しい闘いが生まれる。そこでは、労働者への信頼と未来への楽観主義が重要だ。
 韓国のことわざに「ダムは針の穴から崩れる」というのがある。韓国の労働者は新しい方向を求め進み出している。新自由主義・構造調整という労働者に犠牲を強いるダムを崩す闘いを前進させよう。