20010131

山形鶴岡工場閉鎖撤回

JAM・ミツミユニオン
全国一斉に24時間スト

リストラに敢然とストで対決

JAM組織局長 高村 豊氏に聞く


 半導体、電機部品などを製造するミツミ電機が、子会社の山形ミツミの鶴岡工場を閉鎖する攻撃をかけてきた。JAM・ミツミユニオンでは、ただちに闘争体制を確立、一月十五日、全国九支部二千八百五十人がストライキを闘った。このストライキは、リストラ攻撃にさらされている全国の労働者を励まし、一点の火花となって広がるに違いない。JAM組織局長の高村豊氏に聞いた。

 ミツミ電機の子会社に山形ミツミ(組合員七百三十人)があるが、昨年から業績が悪化してきた。そこでミツミ電機、山形ミツミとミツミユニオンの三者で、再建のための協議を開始した。われわれは首切りのない再構築を主張していたが、会社側は十二月十八日の第三回目の協議を団体交渉に切り替えて、鶴岡工場の閉鎖を打ち出してきた。
 山形ミツミは、平均年齢が四十歳を超え、しかも家庭をもった主婦が圧倒的に多い。会社は工場閉鎖と同時に従業員については、天童、山形への転勤やミツミグループの他社への転勤を出してきた。しかし、家庭をもった主婦が、天童や山形へ通勤するには夏は片道二時間、冬なら三時間かかる。行けるはずがない。
 また、ミツミのこれまでの歴史は工場閉鎖の歴史であり、海外への生産移管の歴史であった。こうしたことから、今回の工場閉鎖は、単に山形だけで済まず、最後はミツミ本社工場にまで及ぶだろうと判断し、闘いに立ち上がった。
 さらにJAMは、日本は製造業で生きてきたし、これからも製造業が中心でなくてはならないと考えている。海外に生産移管すれば、日本全体の製造業が弱体化する。だからミツミだけの問題ではないと思っている。
 一月十五日のストライキにおいては、ミツミのすべての支部で連帯してストライキで闘った。そして残業拒否闘争などでミツミ資本を追いつめ、会社側は首切りを撤回した。雇用については、ミツミ電機が責任をもって保証するといってきた。さらに、会社から今回の対応について謝罪もあったので、雇用を守る点では合意した。もちろん、どう具体化するかはこれからの課題である。だから、停戦ではなく、いちおうの休戦である。その休戦中に、雇用確保の交渉を続けていくことになる。

連合山形も支援連帯

 今回の闘いでは、連合山形から多くの支援と激励をもらった。なぜここまで闘ったかといえば、戦後最悪の雇用情勢の中で、四十過ぎの女性にそう簡単に就職先はないということだ。そして、ミツミ電機は、連結決算では史上最高の利益を上げている。つまり、経営者が責任を放棄するものだと主張し、闘った。
 これはミツミユニオンの特徴であるが、親会社も子会社も同じ組合に組織している。たいていは労連形式だが、ミツミの場合は、例えば委員長も子会社出身である。こうした組織形態ということもあり、山形ミツミのことは単に子会社の問題ではなく、同じ労組の問題として闘った。
 また、リストラが続き、多くの労働者が首を切られてきた。そうした中で、今回のミツミの闘いが、期待と注目を集めたことは連合山形の人びととの話し合いでも強く感じた。
 マスコミも取り上げざるを得なかった。山形にあるテレビ、新聞などはほとんどがスト当日はもとよりそれ以前から熱心に報道した。しかも組合の主張をかなり正しく報道してもらった。それは地域経済の問題でもあり、社会的な問題としてアピールしたことでも成功した。それによって、組合員の方々も大義名分のある闘いであると、自信と安心感をもった。だから、一人も脱落することなく闘った。
 厳しい情勢の中でストを打つというのは大変な決断だった。ミツミユニオンの執行部の姿勢が大事だったし、それを組合員が信頼して闘ったといえる。このことは肝心なことである。

    ◇   ◇

 労組の最大の使命は、雇用を守ることだが、今の経営者は首切りにまったく罪悪感をもっていない。今回のストライキによって、経営者側に緊張感をもたせたとすれば、労組の社会的役割から見ても重要な闘いだったと思う。
 また、雇用を守るためには産業が衰退してはできない。生産はすべて海外にしろなどと言い、金融中心の米国型の経済を主張している経営者が多いが、米国経済は虚構の経済でしかない。日本の生きる道は、実体経済、ものづくりを基本にすべきだ。そうでないと日本の将来はないと思っている。