20001115


大分 昭和化学工場閉鎖撤回闘争
全員退職攻撃はね返す

全県的闘争態勢で勝利


 リストラ攻撃が強まり、それに伴い労働者の雇用や労働条件が侵されている。経営者側は、工場の閉鎖、移転などは経営権の範囲などとし、労働組合と事前協議や合意さえ無視するところもある。大分市にある全国一般昭和化学分会では昨年十一月から、突然の工場閉鎖、全員退職という攻撃に対し、断固闘い勝利した。その期間、全国一般大分地本、連合大分による「昭和化学工場閉鎖撤回闘争支援共闘会議」が結成され、闘ってきた。全国一般大分地方本部の後藤道治書記長に聞いた。


雇用、生活を守るのが第一
全国一般大分地本 後藤 道治書記長

 昭和化学大分工場は、ビール原液を濾過(ろか)する珪藻土(けいそうど)濾過助剤を主に製造していた。
 ところが、昨年十一月一日に東京の本社から、十二月末での操業停止、二〇〇〇年三月に工場を閉鎖するとの通告があった。十四人の組合員の雇用については、他工場への出向・配転も考慮するが、全員を一度退職させるというものであった。しかも、事前に何の連絡も協議もない一方的なものであった。
 また工場閉鎖の理由は、工場周辺の住民から臭い、ほこりがひどいなどの公害問題が出ていた。また、工場の建物や機械が老朽化しており、改善にはばく大な費用がかかるので、というものであった。しかも会社側の言い分は、工場は赤字ではないが将来を見越して閉鎖したいというものであった。
 組合員は、この通告に「閉鎖は会社の一方的な都合だけでとんでもない」「おれたちの生活をどう考えているんだ」と怒った。
 組合としては、ただちに会社側と交渉を重ねたが、会社側は、組合との協議や同意を軽視し、権限のない役員を団交に出してくるなど、まったく誠意のない態度に終始した。
 このままでは操業停止、工場閉鎖を強行されると判断し、交渉と併せて地位保全仮処分申請を出した。そして、闘争態勢を強化するために、連合大分や県平和運動センターなどに支援を要請した。十二月二十四日に「昭和化学工場閉鎖撤回闘争支援共闘会議」を結成した。
 支援共闘会議は交渉に参加することから街頭宣伝、本社への抗議ハガキ、公判傍聴などの取り組みを強めた。また、組合員、家族を激励するために年末のもちつき大会なども行った。
 こうした闘争によって、今年の二月十四日には支援共闘会議と本社が確認書を締結した。確認書は、(1)大分工場閉鎖提案と配置転換、出向などを撤回する、(2)雇用については、昭和化学社員として雇用を継続する、(3)雇用継続および新規事業立ち上げまでは、従来の賃金を保証する、(4)会社は組合に対し、二〇〇〇年五月末頃をめどに、新規事業を提案し、新事業においても雇用を継続する、というものであった。
 この闘いによって、われわれは雇用を守る点では勝利できた。
 だが、グループ会社による中尾元建設相への贈賄事件などもあり、現在においても新規事業は立ち上がっていない。会社側は新規事業について、珪藻土を使用した浄化装置である光触媒の製造販売、コンビニエンスストア、それと人材派遣の三案を出してきた。
 光触媒はこれまでの事業と関連するもので、それを柱とするように要求している。ただ、光触媒は設備などの準備に手間がかかるので二〇〇三年を立ち上げとし、それまでは研修を受けてもらうなどといってきている。コンビニについては二〇〇一年四月から立ち上げることになっている。派遣については、派遣会社をつくるのではなく、内部的にできることをしようというものだ。
 いずれにしても、組合員は闘争によって雇用は確保でき、ほっとしている。だが、新規事業の立ち上げが遅れることには一抹の不安感をもっている。
 全国一般として、組合員の雇用、生活を守ることを第一にしており、今後も昭和化学の闘いを継続していく。


安心して働けるまで闘う
支援共闘会議 藤田 正道事務局次長・連合大分組織局長

 現在雇用を守ることが労働運動で一番重要な課題になっている。そして、昭和化学の場合、経営が赤字でもないのに工場閉鎖、全員退職という暴挙を行ってきており、絶対には認められない。
 連合大分は、全国一般からの要請を受け、執行委員会で支援行動を決定した。そこで、連合大分、同西大分地協、全国一般で「支援共闘会議」を結成した。本社交渉、県や大分市への要請などにも参加し、抗議ハガキ行動、街頭宣伝なども取り組んだ。
 結果は、当初の目的である組合員の雇用を守るということは達成した。だが、新規事業の立ち上げについては、まだ遅れており、当該組合員は不安になっている。支援共闘としては、やはり安心して働けるようにしなくてはならない。そのために、新規事業の立ち上げ計画などの交渉にも参加し、一刻も早く立ち上げるよう会社を追及している。立ち上げまで支援共闘会議は存続させていく。


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