991205 社説


沖縄県が普天間移設決定

全国で、再び国の進路を左右する闘いを


 沖縄にまた「暴風」の季節がやってきた。
 沖縄県はこのほど、米軍普天間基地の移設先を米軍キャンプ・シュワブのある名護市沿岸と決定した。
 これは、平和な島の実現をめざし、米軍基地の整理・縮小をめざす県民の願いと真っ向から敵対するものである。そればかりではない。基地はなんら減らずに、むしろ機能強化といわれるこの県内移設は、米国から自立し、平和なわが国の進路を実現するうえでも逆行するものである。
 稲嶺知事と、その背後で決定を推し進めた小渕政権、米国に断固抗議し、その撤回を要求して闘かわなければならない。
 同時にこの暴挙は、臨時国会の中、ただでさえ苦境にある小渕政権にとって、逆に重大な打撃を与えるものになりかねない。それは、沖縄県民と全国の闘いの火をいっそう燃え上がらせることになるだろうからである。
 九五年の米兵による少女暴行事件以来の闘い、「沖縄の一撃」は、当時「安保問題はもはや争点ではない」といわれた状況を吹き飛ばし、日米安保体制を揺るがせた。沖縄と全国の呼応した闘いは、基地のない平和な沖縄を取り戻すものであるとともに、客観的には対米従属の日本の現状を転換し、自主・平和の進路の実現にとって重要な役割を果たすものでもある。
 沖縄ではすでに連日の座り込みなどが闘われ、県民大会の準備などいっそうの闘いの強化がめざされている。全国で、沖縄に連帯する力強い闘いを、粘り強く広範に巻き起こさなければならない。

県内移設を策動した小渕政権

 そもそも普天間返還案は九六年四月、橋本・クリントン両首脳による日米安保再定義を直前にして、少女暴行事件以来高まる沖縄県民の憤激をかわす狙いで打ち出されたものである。それが、普天間を含む県内十一基地の返還という日米特別行動委員会(SACO)報告に引き継がれた(九六年十二月)。しかし、SACO合意なるものは、「米軍事機能維持」を前提にした県内海上施設建設という条件付きの代物である。
 しかし、県民は基地のたらい回しであるぎまん的なSACO合意をすぐに見破り、それを許さない闘いを堅持してきた。闘いは、「普天間飛行場の全面返還を促進し、県内移設に反対する意見書」(県議会全会一致、九六年七月)、移設反対が多数となった名護市民投票(九七年十二月)などに明確に反映した。
 そこから、焦った政府による名護市長選、県知事選などでの露骨な介入にみられるような巻き返しが強まった。政府への服従度で格差をつける沖縄北部自治体への地域振興策、選挙戦への防衛施設庁職員の投入など「アメとムチ」の汚い手段である。
 きわめつけは、二〇〇〇年七月の主要国首脳会議(サミット)の名護開催の決定である。サミット決定は、「長い歴史の痛みと県民の熱い期待にこたえた」(当時の野中官房長官)などというきれいごとによるものではない。サミットをエサに、普天間移設を受け入れさせるための露骨な策略にすぎない。
 小渕政権は内閣改造後の十月下旬、直ちに青木官房長官、河野外相、野中自民党幹事長代理を沖縄に派遣して稲嶺知事と会談、連立政権の危急の課題の一つが沖縄基地問題であることを印象づけた。小渕政権とって、日米防衛協力の指針(新ガイドライン)関連法成立後、その円滑な推進のためには普天間問題の「解決」は避けて通れない課題だった。その策動が、今回の決定に至ったのである。
 しかし、沖縄県民と全国の反撃によって、かれらは自ら石を持ち上げて自分の足を打つ結果になるであろう。

米国の圧力と基地強化の狙い

 もちろん、米国はSACO合意の実施、県内移設について強い圧力をかけ続けてきた。
 昨年四月には、来日したオルブライト米国務長官が普天間移設について「海上ヘリ基地が最良の選択」と小渕外相(当時)にクギを刺している。さらに本年初頭、デミング国務次官補代理らがわざわざ沖縄を訪問して知事らと会談、SACO合意の実行を促した。沖縄サミットが本年四月に決定した後、クリントン米大統領は六月、「基地問題が未解決な状態で沖縄(サミット)に行きたくない」と表明し、早期移設について日本側に露骨に圧力をかけている。
 しかも、注目すべきは県内移設は単なる移設にとどまらず、基地強化がめざされている点である。米国防総省報告(九七年九月)によれば、かれらは移設先の条件は「運用年数四十年、耐用年数二百年」という途方もない期間を設定している。加えて最新鋭の垂直離着陸機MV オスプレイ三十六機の配備さえ明記している。すなわち、名護移設とは完全な基地強化を意味する。
 米国の狙いは明白である。アジアにおける米軍十万人体制を維持し、そのかなめとしての沖縄の基地機能維持である。まして、日本で新ガイドライン関連法が成立し、自衛隊との合同訓練が強化されるなどすでに具体化されつつあるからである。
 普天間移設発表に関して「日米安保体制はアジア太平洋の安定装置として機能し、沖縄の米軍基地はとりわけ戦略的に重要」(日経)などと、沖縄の基地の重要性を強調し、政府の本音を代弁する論調がある。だが「日米安保はアジア太平洋の安定装置」とはとんでもない論法であり、事実は逆である。わざわざ太平洋を越えて東アジアに居座る米軍十万こそアジアの緊張要因、「不安定要因」にほかならない。
 実際は中国、朝鮮などを主な対象に、アジアから中東まで及ぶ広い範囲で他国の支配・干渉を狙い、にらみをきかせている危険な装置こそ、日米安保体制であり、最近の新ガイドライン体制である。自主的な進路をもたないわが国は、完全にこの米戦略に組み込まれている。
 この現状からの離脱、日米安保条約の破棄こそ、国民にとって苦難の種である在日米軍・基地問題を最も根本的に解決する道である。当面、基地の縮小・撤去を求めて闘うと同時に、安保条約破棄をめざして闘う必要がある。したがって、この課題は本質的に百二十万沖縄県民だけの課題ではなく、すぐれてわが国の進路にかかわる全国民的課題である。

発展する闘い、全国へ波及を

 このような背景のもとでなされた稲嶺知事の決定は、県民の新たな怒りを呼び起こしている。
 それは「移設とはいえ、沖縄県の側が新たに県内に建設するのを認めたのは、県政史上初めて」(琉球新報)だからだ。本土の他の米軍基地と違い、沖縄の基地は沖縄戦後、銃剣とブルドーザーで強制的に取り上げられ、接収されたという歴史的経過がある。こうした基地の歴史と県民の苦しみを逆なでするのが、知事自らの手による決定である。
 沖縄県民の反撃はすでに始まった。九月、平和運動センター、ヘリ基地反対協、社民党、社大党、自由連合など広範な人びとにより「普天間基地・那覇軍港の県内移設に反対する県民会議」(共同代表・佐久川政一沖縄大教授ら)が結成され、十月には県民大会に一万二千人が決起した。七十万人反対署名運動も展開中である。また地元の名護市十三の区では反対決議が相ついでいる。知事の決定発表後は、県庁・名護市役所前で座り込みが続いた。二十一日には県民総決起大会が準備され、今後の動向をにらみながら、名護市長リコール、サミット返上運動などの動きもある。
 沖縄の基地問題は、「平和な島」を取り返す問題にとどまらず、わが国の進路を左右するわが国全体の問題である。その根源には日米安保体制があり、新ガイドライン体制がある。
 「アメとムチ」で基地を沖縄に強要する小渕政権は、諸問題で国民の批判にさらされ、決して強くはない。ただちに全国で、沖縄に連帯して移設反対、基地撤去の広範な闘いを組織し、日米安保の根幹を揺るがす国民運動に発展させよう。


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