991015 社説


自自公連立政権が発足

政局のカギ握る中小商工業者との連携を


 自民、自由、公明三党の連立政権が発足した。
 支配層は、衆議院の七割を占めるかつてない条件を最大限に生かそうと露骨な攻撃に出ている。自自公三党合意では、有事や領域警備の立法化、国連平和維持軍(PKF)の凍結解除、東ティモールなどのような「国連決議に根拠をおく多国籍軍」への参加・後方支援なども「速やかに所要の法整備を図る」とされている。また、教育基本法の見直しを目的とした「教育改革国民会議」の設置なども合意されている。日米防衛協力指針(新ガイドライン)関連法案成立以来、憲法改悪を含む「戦後政治の総決算」ともいうべき危険な攻撃である。
 これとどう闘うか。一部にある、「巨大与党」誕生への危機感は理解できるものの、事態を表面的に見てはならない。また、共産党が求めるような「解散・総選挙」を待っていても展望は開けない。
 マスコミの世論調査でも、国民の多くはこの連立政権を支持していない。また、敵の攻撃は必ず反作用を生み出す。敵の攻撃だけでなく、その中にある本質的弱さを見抜く、すなわち国民の側の有利さに確信をもち、壮大な国民的戦線を構築することが求められている。そうすれば連立政権の攻撃を打ち破り、大きく前進することは可能である。

連立政権時代6年余の実質は

 九三年以来、「連立政権の時代」といわれるが、この六年余はどうであったか。
 九三年七月の総選挙で、自民党は参議院に続いて衆議院でも過半数を失い、三十八年間の自民党単独政権はついに崩壊した。
 新しくでき上がった政権は、小沢一郎ら、すわなち直前まで自民党中枢にいた連中が主導し、自民党の隠し玉とでもいうべき細川を首班とする、連立政権であった。この政権は、わずか八カ月余だったが、自民党が長い間ついに実現できなかった小選挙区制を実現し、それにコメの市場開放にも踏み切った。国際化のためのリーダーシップある政治の実現を熱望していた財界から見ると、十分に使命を果たした政権であった。
 その後、羽田政権を経て村山・社会党委員長が首班の自社さ連立政権となった。この政権は「新防衛大綱」を決め、日米防衛協力の指針(新ガイドライン)をもたらす「日米安保再定義」を事実上進めた。消費税率引き上げもこの政権だった。財界の望んだ通りの政策を進めた。
 「自社さ」連立で始まった橋本政権、その後の自自連立小渕政権は言うまでもない。この六年余、五代にわたる連立政権時代といっても実際は、自民党にもできなかったほどの財界のための政治、自民党的な政治であった。
 しかも、連立時代となって各政党は、特徴ある変化を見せた。
 国民の信を失った自民党は、もはや単独で過半数獲得は見込めず、連立以外になくなった。連立のための「政治術策」で、財界のための政権をかろうじて維持している。
 野党も変化した。連立で政権に加わった政党はいずれも、当初「反自民」をうたって有権者の支持を得た。にもかかわらず、いとも簡単に有権者を裏切り、自民党との連立に踏み切った。政権「誘惑」にきわめて弱い「体質」となった。有権者の反自民の意思は、これらの政党によっては反映しなくなった。
 また、共産党は選挙での「前進」はあったが、議会的政治闘争ではほとんどまったく出番がなかった。共産党は二十一回大会決議に沿って、議会内での連立と得票増を狙い政策をつぎつぎと「現実路線」に変え、支持者を裏切っている。
 結局、野党は、九三年以来の政治、政党再編劇の中で財界と政権側の誘惑に翻弄(ほんろう)されたのである。

国民の信頼失った自民党とその政治

 このように否定面も大きいが、肝心なことを忘れてはならない。戦後長きにわたった財界の党、自民党の政治が国民の信頼を完全に失ったことである。注目し、依拠すべきはこの国民大衆の変化である。
 また、連立で財界のための政治は非常に不安定となって、九五年の沖縄基地問題のように声を上げれば国民の要求は反映しやすくなっている。
 九三年総選挙での自民党得票数は、およそ二千三百万で、九〇年選挙と比べて約七百五十万も減らした。九六年の総選挙ではさらに約百十五万も減らした。九八年の参院選でも激減した。こうしてこんにち、約九千九百万有権者中で自民党支持はわずか千七百万人そこそこ、率では二〇%を切って、五人に一人の支持しかなくなった。
 かつて、五五年の保守合同直後には過半数近い得票、その後も七〇年代から九〇年総選挙まで三三〜三四%の支持を一貫して維持していた。それが突然二〇%を切って、復元の見込みがまったくない。明らかに自民党の支持基盤、とりわけ最大の基盤となってきた農村と都市の中小商工業者の政治意識と行動に変化が起こった。
 われわれが繰り返し指摘してきたように、社会経済的な構造変化の結果である。それは第一に、国際環境の変化と外圧で、自民党は自らの伝統的な支持基盤である農村や都市の中小商工業者を「保護」する政策を続けられなくなった。第二に、わが国政治を支配してきた財界、大企業の質的変化・多国籍化が進んで、開放体制、旧来の利益分配型政治の「改革」を必要とした。第三に、国家財政の破たんで「保護」政策に大きな制約となった。
 連立政権の時代、ますます多国籍化する大企業・財界のための政治は続いている。だが危機は深く、情勢は早いテンポで変化する。労働者階級だけでなく国民諸階層の行動も政治意識の変化もいちだんと早まる。財界とその走狗(そうく)自民党や自由党も公明党も、他の政党も立ち止まっていることはできない。政治と政党の再編は継続されるだろうし、政治家と政党の自己暴露は避け難い。これからが本番である。

自公の裏切りこそアキレスけん

 有権者は自民党的政治から離反している。とくに九〇年代に入って自民党から離れたおよそ八百五十万の有権者は、棄権も多いだろうが、自由党や公明党、また民主党などに投票したのだろう。だが、受け皿となったこれらの党が有権者の意思に反して自民党政治の延命に手を貸している。連立政治の限界、本質的な弱点がここにある。自民党と連立し、財界のための政治を行う政党は必ず支持者の批判にさらされざるを得ない。裏切りを痛感しているからこそ、世論調査(日経)でも五六%が連立を支持していない。
 自民党も、自由党、公明党も、戦略的に重視する支持層は、危機にひんした中小商工業経営者、その家族や「従業員」という労働者、農民である。自民党政治への怒りが、最も高まっている社会層である。まさに連立政権のアキレスけんである。
 一年以内に総選挙が避けがたい。しかも政府は、国際化・規制緩和・財政コスト削減といった財界の要求に沿って、中小企業つぶしの政治の総仕上げともいうべき中小企業基本法の大改悪をもくろんでいる。
 だからこそ自自公政権は、中小商工業者の離反・反乱を恐れ、策略を巡らしている。秋の国会を「中小企業国会」などと、いかにも中小企業を尊重しているかのようなキャンペーンを開始した。特別信用保証枠の拡大や返済条件緩和、事業継承の「相続税減税」など、中小事業者の要求にもある程度こたえながら取り込みを画策している。
 だが、片や中小企業つぶしの「基本法改悪」である。中小商工業者の墓穴を掘りながら、その縁で香典を渡すようなものである。この社会層の全部をだますことはできない。
 「財界のための政治を支える支柱」=公明党・自由党の策動を許さず、広範な国民運動を形成し、自自公反動政治をうち破ろう。
 労働運動は、この中小商工業者の要求を支持し、財界のための政治に反対する連合した政治勢力を前進させなければならない。


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