990825 社説


日経連セミナーでの奥田会長提言

「人間の顔をした市場経済」の偽善を暴露し、断固たる闘争の道へ


 日本経営者団体連盟(日経連)の経営トップセミナーで提起された「人間の顔をした市場経済」が労働界の一部幹部のあいだで関心を呼んでいる。わが国の多国籍企業を中心とする巨大資本家団体の一つである日経連は、毎年夏にセミナーを開き、「財界の労務担当」として企業家たちに労働者にどう対処すべきか、イデオロギー攻撃の武器を提供してきた。かつて七〇年代に石油危機、ロッキード事件で社会的政治的不安に当面したとき、当時の桜田日経連会長は「健全な労使関係こそ社会の安定帯」と強調し、労働界の一部幹部を抱き込んで労働者をたぶらかし、危機を乗り切った。

 今回、危機がいちだんと深まり、企業間の世界的大競争が激しさを増す中、新会長として就任した奥田氏は、新たな経営哲学を披露して注目された。「経営者は人間の顔をした市場経済の実現をめざせ」との提唱である。いわく、「市場の論理、資本の論理を重視しながらも、市場関係者の利益ではなく国民の利益が大切にされるのが人間の顔をした市場経済である」「アメリカ流にそのまま合わせる必要はない。この国に最も適した労働市場、雇用慣行の実現に向けて力を尽く」すべし。さらには、「安易に人員削減にいたるような経営者は、まず自ら退陣すべき」とまで言ってみせた。

 米国流の市場原理主義への不満がうっ積する一方、政府のリストラ支援のお墨付きを得て大企業各社は人員削減に血道をあげている。こうしたさなかの、「人間尊重の経営」の提唱は世間の目をひく。だが、奥田氏がいう「人間の顔をした市場経済」とはどんなものか。労働者にいくらかでも福音をもたらすのか。

労働者の犠牲で生き残る巨大企業

 耳ざわりのよいスローガンには、ウラがある。人は、何を言っているかではなく、何をやっているかで判断しなければならない。「人間の顔をした市場経済」の本当の意味を知るには、奥田氏を含むわが国巨大企業の経営者たちがこれまで何をやってきたか、いま何をやっているかこそ、判断の基準にすべきだ。

 冷戦が崩壊して、「グローバル化」「大競争時代」といわれたこの十年、わが国の巨大企業家たちは生き残りをかけて何をやってきたか。政府統計などのごまかしがたい数字をあげて検証しよう。

 まず第一に、三百万人を超える失業者をつくりだした。

 政府の「労働力調査」によれば、九〇年の完全失業者は百三十四万人、完全失業率は二・一%であった。それが九四年頃から急増、昨九八年にはいちだんと深刻さを増し、完全失業者はついに三百万人、完全失業率四%の壁を突破した。今年に入っても史上最悪記録を更新し続け、最新の六月の完全失業者は三百二十九万人、失業率は四・九%となった。わずか十年のあいだに、約二百万人の労働者が新たに職場を追われて街頭に放り出され、失業者数は二・五倍に激増したのである。世界一の低失業を誇っていた日本は、米国を一気に追い抜き、まぎれもない失業大国となった。日本各地の都市のハローワーク(職業安定所)は、職を求める失業者であふれ、「大失業時代」は今そこにある現実となっている。

 このうなぎのぼりの失業者の数字はいうまでもなく、トヨタ自動車の社長だった奥田氏やわが国巨大企業の経営者たちが、世界的大競争での生き残りをかけてコスト削減の人べらし攻撃、労働者の首切りを押し進めてきた結果である。それは政府統計では、「非自発的な離職による者」の激増(六月は百十八万人)として現れている。とりわけ最近の傾向として、人減らしの対象が大企業の正社員にシフトしている。東京商工リサーチは、東証上場会社千七百三十社(巨大企業はみな含まれている)の九八年度下半期の総従業員数(四百七十五万四千二百五十五人)を発表した。この一年で約十二万人減少したことが明らかになった。九四年度下半期からの四年間では約五十万人が減少した。この一年では、NTTの七千二百二十三人を筆頭に、奥田氏のトヨタ自動車も千八百四十二人減らした。

 四十五〜五十四歳の年齢層の正社員、一家の大黒柱をなす世帯主が次々と街頭に放り出されている。企業家たちは正社員を、安上がりのアルバイトやパートなど女性の「臨時雇用」に置き換えているのだ。

 第二に、労働者の所得、生活諸条件を急速に悪化させた。

 この七年間、わずかな伸びにとどまっていた労働者の賃金(現金給与総額)が、九八年にはついに統計調査開始以来はじめて前年比マイナスを記録、一・三%減となった。残業代(所定外給与)と一時金(特別給与)が大幅な減少に転じたからだ。

 こうして九八年の勤労者世帯の家計収入も、実質一・八%減少と調査開始以来の最大の減少幅となった。

 これらの数字は、大競争に生き残るために企業家たちが人減らしだけでなく、賃金抑制に着手したことを物語っている。年俸制や能力主義の賃金体系を導入し、「総人件費の削減」にとりかかった。

 最後に、こうしたことの帰結の一部だが、そこそこの生活を営んでいた労働者たちを悲惨な運命におとしいれた。

 1)いわゆるホームレスが急増した。この十年の後半、どの都市でも駅や高架下、ビルの谷間、公園に段ボールを敷いて寝る野宿者を見かけるようになった。大阪市の八千六百六十人(昨年夏)を筆頭に東京、名古屋、川崎、横浜など五都市で約一万五千人、全国では二万人以上にのぼり、栄養失調と病気で路上で死ぬ人が増えている。

 2)生活保護を受ける人員が増加した。九六年度から増加に転じ、九七年度には六十三万世帯、九十万人を超えている。

 3)倒産、リストラが原因と見られる自殺者が急増した。

 厚生省の「人口動態統計」によれば、九八年一年間の自殺者は前年より三五%も多い、三万七千百三十四人と急増した。とりわけ、五十代は二千人以上増え、四十代後半と六十代前後半もそれぞれ六百人以上増えた。「倒産やリストラで経済的、精神的に追いつめられている実態が浮き彫りになった」と指摘されている。

 これ以外にも、中小商工業者の倒産、転廃業、農民の零落を触れるべきだが、紙幅がない。

議会の道ではなく断固たる闘争を

 概括。わが国の巨大企業家たちは、欧米の企業家たちとの競争で生き残るために、労働者に徹底して犠牲を押し付けた。容赦なく街頭に放り出し、生活苦に追い込んでホームレスへ、自殺へと追いやってきた!まさに巨大企業家たちは、労働者の生き血をすすって生き延びてきた。

 こうしたことをやってきながら奥田はぬけぬけと「人間の働きがい、生きがいを大切に」などと言う。

 それにとどまらない。奥田は「実行あるのみ」といって、競争力強化のために失業の増大を是認した上で、「高コスト構造の是正」を急げと要求している。具体的には、本格的な「賃下げ」攻撃である。「コストは雇用と賃金の積であるから、雇用を確保するためには総人件費を引き下げざるを得ない。…賃金水準のみならず賃金体系の変更、退職金・年金等の見直し、ワークシェアリング等の導入など、労使で痛みを分かち合う施策を検討したい」。

 これが「人間の顔をした市場経済」の中身である。血も涙もなく、労働者は髪の毛ほどの福音すら期待できない。労働者が受け取るのは、これまでの十年間に受けた何倍もの困窮と苦難である。世界的競争に迫られているわが国巨大企業にとって、それ以外の「打開策」はあり得ない。「市場原理の徹底と人間尊重の理念を調和させる」などというのは、まったくの偽善であり、欺まんである。労働界からの呼応は、裏切りである。

 労働者は、生きる権利がある。生きるために、この十年から真剣に学ばなければならない。「人間の顔をした市場経済」などの幻想、偽善にだまされず、自らの団結の力を信じ、ストライキで要求を実現する道をまっすぐ歩まねばならない。日共修正主義の「議会の道」ではなく、「民主主義を実力で闘いとる道」を歩むべきである。

 先進的活動家は来るべき労働組合の大会を、奥田らの偽善とそれに呼応するあれこれの日和見主義を徹底的に暴露し、断固たる闘いの決意を固めて闘争を準備する場としなければならない。


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