990805 社説


不破共産党委員長の党創立77周年記念講演

支配層へ売り込みはかり、「議会の道」の幻想あおる


 危機が深まり、諸階級の衝突が迫るなか、各政党はそれぞれに正体を現し始めている。

 小沢自由党はこの一月、自民党との連立に走って多国籍企業を中心とするわが国支配層、財界のための政治の用心棒役を引き受けた。「弱者のための政治」を掲げていた公明党は、最近の党大会で、「危機に対処するため」と自自連立政権への参加を決定、財界のための政治の忠実な片棒担ぎに移行した。自民党が有権者の支持を失い、すでに国会で過半数を割り込んで窮地に立たされているとき、これらの「野党」は自民党政治に手を貸す役割を演じた。

 修正主義共産党もその正体を現してきた。七月二十二日に開かれた党創立七十七周年記念講演会で不破委員長は、綱領路線決定後の四十年間の歴史を特徴づけるなかで、共産党がいかにマルクス・レーニン主義とは無縁の、「政権を任せても安心」な分別ある議会政党であるかを売り込んだ。危機が進み労働者の闘いが本格化したとき、「公明党がご用済みになれば、共産党が控えておりますぞ」と言わんばかりの支配層への熱烈なメッセージを込めて――。

 労働者階級の先進分子と各界の意識分子の中で、共産党の裏切り者の正体を徹底的に暴露して、幻想を一掃することは、きわめて緊急で重要な課題となっている。

支配層を安心させるため歴史も歪曲

 「現代史のなかで日本共産党を考える」との演題をつけた不破の講演は、おそらく九七年の二十一回党大会とともに歴史に残るであろう。不破はこれまでに増して大胆に、支配層とマスコミに受け入れやすい共産党像を売り込んだ。

 不破はまず第一に、共産党のいまの路線は「三十八年前に第八回党大会できめた綱領の路線そのもの」、と断言した。「当面、社会主義をめざすことはしない。資本主義の枠内での民主主義的な改革」であり、しかも実現する方法としては「国会の多数をえながら、一歩一歩、段階的に変えていく」、これが綱領路線のミソだが、いま唱えている「日本改革論」そのものだ、と。

 だから、自民党の皆さんが「共産党は綱領を変えていないので、現在の柔軟路線にだまされるな」と勘ぐるのはよけいなことで、綱領には決して物騒な企てを書いていません、どうぞご安心を、というわけである。

 だが、これは歴史をごまかしている! 本質的に、「選挙で世の中を変える」という議会主義路線に変わりはないが、綱領確定時には「敵の出方論」の立場をとり、議会唯一主義を「修正主義」と批判していた。それをこんにちの議会唯一主義の「日本改革論」と同じだというのは、明らかにごまかしだ。不破は歴史的事実さえごまかして支配層の歓心を買おうとしているのである。

レーニンも毛沢東も攻撃

本文 不破は第二に、日本共産党がいかにソ連、中国の社会主義国と闘った党であるかを印象づけ、支配層の警戒心を解こうとした。

 共産党は、ソ連や中国のような過激で野蛮な党とは違う、むしろ彼らと頑強に闘った分別のある党ですよ、というわけである。ついでに支配層が気にしている五〇年代の共産党の〈火炎びん事件〉など物騒な事件はみな、ソ連や中国の方針のもちこみでおきたことです、と申し開きまでした。

 見過ごすことができないのは、「ソ連流のニセの『社会主義』」と言ってソ連をあしざまにののしって全面否定し、偉大な革命家レーニンや毛沢東の革命理論に恥知らずな攻撃を加えたことである。

 共産党は、毛沢東の革命路線「鉄砲から政権が生まれる」、レーニンの「武力の革命、強力革命が避けられない」には断固として反対し、「議会の多数をえて革命を」という「民主的なやり方」を追求してきた。これこそ「科学的社会主義」の本流で、共産党が綱領で決めた方針は、「この流れの現代的な、また現代日本的な発展だ」、と。

 不破はさらに、レーニンの「全面的な再吟味」に取り組んでいることまで紹介。「国家論、革命論、社会主義論などの、いわば大事な骨に当たる部分」で誤りを正すという。

 マルクス・レーニン主義の国家学説、階級闘争の理論、プロレタリアート独裁の理論は、いうまでもなく労働者階級の闘いの歴史的経験の総括である革命理論のもっとも核心部分である。国際共産主義運動の歴史を振り返るなら、ベルンシュタイン、カウツキーからフルシチョフ、トレーズ、ベルリンゲルにいたるまで、修正主義者はこの核心部分を歪曲(わいきょく)し、日和見主義的に解釈したことで、革命の裏切り者として指弾された。不破は、あえてマルクス・レーニン主義の革命理論の核心部分に反対することで、支配層の歓心を買おうとしたのである。だがこの事実は、不破が歴史上の裏切り者と同様、マルクス・レーニン主義とまったく無縁な、完璧な修正主義者に転落したことを証明した。

 第三に、不破は支配層がうさんくさそうに見ている「民主集中制」についても、申し開きすることを忘れなかった。

 以上から分かるように、不破の講演は共産党に対する支配層の警戒心を最後的に解くことに最大の狙いがあった。そうすることで、マスコミにのりやすくし、一票でも票をかすめとろうという魂胆である。さらには、危機が本格化した時、体制側の求めにおうじて政権にありつくための、地ならしである。

「議会の道」の幻想捨て、断固たる闘いを

 一方、不破は講演で「共産党の躍進こそが新しい局面をひらく」と幻想をあおりたてた。共産党が選挙でさらに議席を増やして「二十一世紀に民主連合政権をつくる」ことができるのか。それはあてのない幻想である。不破は、この三年間の各種選挙での「躍進の流れ」が自動的に継続するかのようにいうが、なんの根拠もない。

 戦後の総選挙での共産党議席の変遷を一見してみればよい。伸びたかと思えば後退し、まさに一進一退である。例えば、議席占有率で見ると共産党は戦後直後の四九年にすでに七・五%獲得したことがある。ところがその次の五二年には一転ゼロ議席へ転落、長期の低迷を経て七二年にようやく七・七%となった。が、次にはまたまた三・三%へ後退という具合である。九六年の二十六議席獲得を「史上最高の峰」などというが、議席占有率でいうと五・二%、史上五番目に過ぎない。

 なぜそうなるか。一つの例は不破自身が講演で口をすべらせている。八九年、九三年の選挙で「共産党の躍進、必至」といわれながら、「天安門事件」、「非自民」騒動で「情勢が一変」し、議席が伸びなかったという。それほど「有権者の民意」は、マスコミなどに左右されやすいのである。ならば、今後、第二、第三の「天安門事件」、「非自民」騒動は起きないと保証できるのか。「情勢が一変」して、積み上げた議席を一挙に減らすことは大いにありうることである。

 多くを述べる紙幅はないが、こんにちの米帝国主義の支配を受け、独占資本主義が支配する社会、「金と力」、教育、マスコミがひとにぎりの支配層に握られている下では、大衆が真実を知り、選挙で正しく政党を判断するなど不可能である。そのうえ、政権党の補助金政策、自民党など大政党に有利な選挙法、その改悪、「企業ぐるみ選挙」「買収」等々がある。誰かが「投票で、まずもって多数を獲得してから、はじめて権力を獲得するようにしなければならない、などと考えることは、ならずものか、ばか者でなければやれないことである。これは、愚鈍でなければ偽善の骨頂である」といったことがある。それは、こんにちの日本でもなお真理である。

 さらに野党の組み合わせでの多数派形成が容易でないことは、経験が示している。

 したがって、「二十一世紀の早い時期に民主連合政府をつくる」などというのは、夢のまた夢である。

 不破らは、労働者階級をあてのない選挙の道にひきずり込み、挙げ句の果ては保守政権へ参加、それは敗北の道である。

 労働者階級は、不破らがあおる選挙と議会の道の幻想を吹き飛ばし、ストライキなど断固たる行動、大衆的基盤のある国民運動、統一戦線の道を進まなければならない。それこそがもっとも確かで現実的な勝利の道である。


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