990715 社説


支配層の政治支配の危機を救う自自公連立

公明党は国民を裏切る道をゆくな


 自民、自由、公明三党の連立に向けた動きが急ピッチで進んでいる。

 小渕首相(自民党総裁)は七月七日、小沢自由党党首の了解を取りつけた上で、公明党の神崎代表と会談、連立政権への参加を正式に要請した。これに対し神崎代表は「重く受け止める」と応じた。七月二十四日の公明党大会には、「政権に参画し連立の一翼を担う」という運動方針案が提案される。自民党側からは来年度予算の概算要求(八月末)を共同で進めようとの強力な働きかけもあり、公明党の政権参加はほぼ既定路線と見てよい。

 小渕首相、自民党が三党連立をめざす狙いははっきりしている。自自だけでは参議院で過半数に達しないため、公明党を加えてより安定した政権をつくることである。

 自民党は異例の大幅会期延長を行い、ガイドライン関連法案に続いて「盗聴法」を含む組織的犯罪対策三法案、住民基本台帳法改正案、「日の丸・君が代」法案など、わが国の民主主義の根幹にかかわる法案を、公明党の「協力」を得て強行突破しようと目論(もくろ)んでいる。

 こうして自民党が差し出す「踏み絵」を次々と踏み下しながら、公明党は連立政権に加わることで、どんな役割を演じることになるか。

公明党は国民の疑念に答えるべきだ

 自自公連立が成立すると、衆議院では三百五十七議席で七〇%超の圧倒的多数を占める。自民党が過半数を大きく割り込んだ参議院でも百四十一議席と五六%になる。すでに国会にあらわれた「数の威力」を目の当たりにして、民意とかけ離れなし崩し的にすすむ自自公連立に国民の疑念がつのっている。当然である。

 公明党は周知のように、九六年の総選挙でも、昨年の参議院選挙でも反自民で闘った。参議院選挙では「自民党が過半数を回復すれば、これまで以上に国民無視の政官業癒着の政治、利権政治、官僚主導政治がまかり通る」(旧・公明代表の浜四津敏子氏)と訴えた。選挙後も「自民党の補完勢力にはならない。断言します」と言い切って、首班指名選挙では民主党の菅代表に投票した。また、昨年十一月の新生公明党大会で神崎代表は「旧態依然の利権政治に終始する自民党政権に厳しく対峠(たいじ)しなければならない。軸足は野党。自公連携、自公連立は考えていない」と断言していた。

 わずか半年か一年前の発言をひるがえしての自自公連立への参加である。

 この半年の間に何がどう変わったというのか。なぜそうするのか。国民にはなんの説明もない。そういう経過であれば、どんな理念で連立に臨み、どういう基本政策で合意するかきちんと説明するのがスジであり、その上で国会での首班指名の手続きも必要である。

 だが、これらの手順は一切踏まれていない。なによりも「安定勢力」をもってどういう政治をするか、肝心な点があいまいである。

 国民の間にある疑念は当然で、地方紙、マスコミが「総選挙で連立の是非を問え」というのはそうした空気を反映している。公明党の地方議員や地方組織、支持団体の創価学会の中にさえ疑問や反対意見がくすぶっているのだ。

 公明党中央は国民の疑念に答える責任がある。

 そうでなければ、政権維持と政党としての生き残りという党略からの野合とのそしりをまぬがれることはできない。

村山社会党の二の舞いを演じるな

 もっと重大なことは、公明党が自自連立政権に参加することで果たす役割である。

 小渕首相は、「諸問題への迅速な対応を図るためには、強固な安定した政権が必要」と率直に述べた。ドル支配の世界経済の危機、激化する内外の諸矛盾、諸問題に「迅速に対応」できる「強固な安定した政権」は、まさに多国籍企業を中心とするわが国支配層の切なる願いである。

 だが、政治の現状はそれにこたえるものとはなっていない。周知のように九三年総選挙で自民党は過半数を割り、三十八年間続いた単独支配をなくした。小選挙区制を導入しての政界再編は、財界が当初思い描いた二大政党制の方向には動かなかった。そうしたなかで自民党の総選挙での絶対得票率(有権者全体の中での得票数の割合)は、八〇年代(平均三三・四四%)から大きく低下し、九三年二四・三四%、九六年小選挙区二二・三五%となった。

 連立時代に入って六年。自民党はこうした過半数割れの条件の下で、連立政権を巧みに操り、財界が求める政治を実現することに腐心してきた。九四年六月から九八年参議院選挙直前まで、社民党、さきがけを連立に取り込んで重要な経験をつんだ。社会党委員長の村山氏を総理大臣にすえることで、よもやと思われた自社連立を実現し政権に復帰した。連立政権内部では、政権運営の経験、議員の数の差を背景に、大臣のポスト、買収、政権与党の便宜、人脈の活用、脅迫などあらゆる術策を駆使して主導権を確保した。社民党を政権につけておくことで、労働運動を無力化させることにも成功した。連立に取り込まれた社民党は、ひとたまりもなかった。

 たが、それはいつまでも続かない。社民党は昨年の参議院選挙を前に、連立を離脱した。参議院選挙の結果は、自民党が惨敗、過半数を大きく割り込み、危機を前に議会政治はいっそう不安定となった。議会での不安定さを補い、内外の深まる危機に迅速に対処し、財界のための政治を実現するために、社民党に代わる新たな連立のパートナーが必要となった。

 昨年の金融国会は、その必要さを自民党に知らしめ、この一月、自由党との連立政権を成立させた。今回の公明党への連立要請は、そうした流れの中にある。自民党は、公明党を連立に取り込むために細心の考慮を払い、七千億円の地域振興券を「国会対策費」として大盤振る舞いをした。今年度補正予算として提出された少子化対策・駅前保育所などへの二千億円も、公明党との「合意」にもとづくものである。

 このように自民党は、野党を連立政権に取り込み、議会政治の不安定さを補い、連立政権を巧みに操って財界の望む内外政治を実現してきたのである。

 その際、連立を組んだ政党は、わずかばかりの与党の便宜、「政策の実現」と引き替えに、自民党の過半数割れを補って政権基盤を強め、財界のための内外政治の片棒を次々と担がされた。それは、村山社会党が連立直後、「安保堅持」「自衛隊容認」に基本政策を転換したことが示すように、自民党には決して出来ない役割を果たした。労働者階級はじめ、平和を願う国民に対する痛恨の裏切りとなった。挙げ句の果ては、党自身が解体的状況に追い込まれた。

 公明党中央幹部は、こうした村山社会党の深刻な経験を知らないはずはない。

 公明党は、自民党の過半数割れを補い、諸問題に「迅速に対応」できる「強固な政権」をつくる新たなパートナーとして、財界のための政治を推進する片棒担ぎとして、連立政権への参加を求められている。これに応じることは、村山社会党の二の舞いを演じることであり、国民に対する重大な裏切りとなろう。

 「政策を実現するため」と連立参加を合理化するのは、人をあざむくものである。社会党の経験が示しているように、連立政権内部の力関係からして公明党の基本的政策が実現することなど幻想である。ありうることは、ガイドライン法案成立という「大きな功績」に対して、地域振興券が実現したように、「小さな見返り」に過ぎない。

 危機は深まり、失業者は激増している。財界のための内外政治を推進する自民党への批判と闘争は不可避である。自民党の政治術策は、ますますむずかしくなっている。

 どの野党も、自民党の連立政権を操る政治術策にはまる愚を繰り返してはならない。

 反対に、これを打ち破るため、野党はすべての反政府勢力と連携を強め、闘わねばならない。財界の利害を代弁する自民党の内外政策に対抗する政策方向を鮮明に打ち出し、議会内だけではなく、議会外にもひろく目を向け、政治の転換を望む国民各層、労働組合や中小商工業者、農民、失業者などの要求とエネルギーを結集しなければならない。


Copyright(C) The Workers' Press 1996,1997,1998,1999