990605 社説


介護保険は抜本的に見直すべきだ


 来年四月からスタートする予定の介護保険制度について、政府・与党内部から「実施延期」「見直し」論が、にわかに高まっている。野中官房長官は五月二十七日、「(準備が進んでいる)市町村と、遅れている市町村との状況をどのように四月に向けて調整していくか悩んでいる」と述べた。自民党の亀井静香・元建設相も「(実施までに)問題を解決できるか、理解をいただけるか、抜本的に検討する必要がある」と言い、自由党の小沢党首は「市町村はみな反対だ。延期ではなく、今すぐ見直すべきだ」と大言を吐いた。

 もともと介護保険制度は、九七年十二月、国民的論議もなしに自民党が成立させたものだ。その張本人の口から「見直し」論が出てきた。「慎重に対応しないと自民党は壊滅してしまう」など解散・総選挙をにらんだ党略的思惑が見え見えだが、国民と自治体の高まる不満と不信を無視できなくなった証拠である。

 介護保険制度が実施を前に大きく揺れ始めた。

 選挙目当てのこそくな修正や一時しのぎ策を許さず、介護を必要とする人なら誰でも安心してサービスが受けられる権利を保障する制度へ抜本的に見直すチャンスである。

スタートを前に強まる不信

 介護保険制度は、超高齢社会を間近に控え、これまで高齢者の介護が家族、とりわけ女性にしわ寄せされてきた実態を社会全体で支えようとの大義名分でつくられた。「これで老後の不安が解消される」と宣伝されてきた。

 だが、スタートを前に、国民の中にはかえって不安がつのる一方である。「国保だけでも大変なのに、介護保険料まで払えるだろうか」「コンピュータの認定は欠陥だらけ」「来てくれるヘルパーはいるのか。入れる施設はあるか」などなど。

 保険運営の主体となる市町村は、大車輪で準備を急いでいるが、とても追いつかず悲鳴をあげている。昨年秋には、全国町村会が実施延期の意見書を提出した。全国自治体の三分の一を超える約千二百の地方議会が施設整備、人材確保、認定基準の見直し、財政支援の充実などを国に求めて意見書を提出した。

 最近の朝日新聞の調査によれば、六八%の自治体が「低所得者対策」、六六%が「制度に対する住民の理解・納得」「サービス基盤の整備」「保険料の徴収」を、実施に際しての課題としてあげている。「低所得者が負担に耐えられないため、不払いが続出しないか」「必要とする介護の準備が出来ていないため、国民の理解が得られる自信がない」など自治体の深刻な不安が伝わってくる。

 実施の日が迫るにつれて国民と自治体の中にますます不安と不信が強まっている事実こそ、この制度に重大な問題があることの証左である。

低所得者を排除する介護保険

 介護保険は、そもそも、これまでの措置制度という国の責任を放棄して、介護をカネしだいの保険制度に転換するものだ。推進論者たちは、一部の低所得者対策であった措置制度からより普遍主義的な制度への改革だと持ち上げてきたが、「普遍主義的」とは誰もが支払い能力などに関係なく、必要なサービスを利用できることを意味するはずだ。

 だが、中身が明らかになるにしたがって、きわめて選別性、排除性が強い制度の本質が浮き彫りになってきた。

 第一の問題点は、保険料を払える者にしか介護を受ける資格が与えられず、しかも保険料、利用者負担は過酷である。

 これまで介護費用は、国が責任を負う福祉として税金でまかなわれてきた。制度の導入で費用の半分を保険料として国民が負担させられる。

 保険料を払う義務があるのは六十五歳以上の高齢者(第一号被保険者)と医療保険に加入している四十歳から六十四歳の国民(第二号被保険者)である。

 六十五歳以上の保険料は市町村が独自に決めることになっている(決まるのは、なんと来年の三月!)。厚生省は「保険料は平均で月額二千五百円」と言ってきたが、それより高くなることは確実で、なかには八千円を超えるところもある。しかも、三年ごとに引き上げられていく。

 そんな保険料をどうやって払うのか。月一万五千円以上の年金をもらっている高齢者(第一号被保険者の約八割)は、年金から天引きされる。わずか一万五千円の年金から八千円もの保険料を天引きされて、どうやって生きていけというのか。さらに年金をもらえない人からも市町村が徴収する。払えない人は世帯主や扶養者の負担となる。

 第二号被保険者の場合は、医療保険に上乗せして料金を徴収される。

 その上、介護保険のサービスを利用する場合には、別に定率一割の利用料が取られる。たとえば現在のホームヘルプサービスの利用世帯の七割強は利用料は無料だが、これからは保険料を払った上に、サービス利用が有料となり、負担が大幅に増大する。逆に高所得者は現在よりも利用料は安くなる。

 まるで「低所得者には介護なし」といわんばかりの選別的な制度と言わなければならない。

 介護保険の第二の問題は、要介護認定をパスしなければ介護を受ける権利がないという点である。

 誰でも診察が受けられる医療保険とは大きな違いがある。

 ここでは、コンピュータが正しく介護認定するのかという問題の他に、給付対象者の絞り込みが予定されている問題がある。厚生省の推計によれば、六十五歳以上の第一号被保険者のうち保険給付を受けられるのは約二百八十万人、一三%に過ぎない。また四十から六十四歳の第二号被保険者の場合、〇・三%の人しか給付を受けられない。全体としては、保険加入者の一割にすぎない。

 「保険あって給付なし」、被保険者のうちの九割の人にとって保険料は増税に他ならない。国民の負担増は利用者負担も合わせれば、二兆円を上回るとされており、消費税率一%引き上げに匹敵する。

 第三の問題は、保険料を払っても必ずしもサービスが保障されない点である。

 昨年十一月に全国五百七十五市長に対して行ったアンケートでは、介護サービスの充足率は平均で六六%に過ぎない。まさに「保険あってサービスなし」である。達成が危ぶまれている新ゴールドプランは、そもそも介護保険導入を前提とした計画ではない。

 他方、介護保険にあわせて無理な定員あわせをしている結果、福祉労働者のリストラ、パート化が促進され、労働条件とサービス水準の低下はさけられない。

 特養ホームの問題も深刻である。介護度の低い、低所得の高齢者は特養ホームから追い出され、行き場を失う。そうなれば、家族の「介護地獄」もなくならない。

 以上見てきたように、介護保険は一言でいって、国民負担は増えるが必要なサービスは受けられない。しかも低所得者ほど「公的介護」から排除され、切り捨てられることになる。他方、年収八百万円以上の大都市の富裕層の負担は軽くなる。まさに「介護の沙汰(さた)もカネしだい」というにふさわしい社会保障制度の選別主義的再編である。

 介護を必要とする高齢者が安心してサービスを受けることなど、まったくの幻想である。

小手先でなく抜本的見直しを

 不況が深刻化し、失業者が激増、リストラが本格化するなか、こうした介護保険への不信はますます強まらざるをえない。

 政府・自民党は、部分的「見直し」で乗り切ろうと、保険料の引き下げ、家族介護への現金給付などを画策している。実施延期などの声も出始めている。

 だが、そんな選挙目当ての「見直し」で国民の不信を取り除くことはできず、かえって不信を増幅、現場の混乱を加速させるだけである。

 真に抜本的な見直しを要求して闘うチャンスである。

 国の財政危機を理由に、医療・福祉分野への財政支出の削減をねらう介護保険の導入、「社会保障構造改革の第一歩」を撤回させなければならない。大銀行に六十兆円も注ぎ込むような大企業優先の財政運営を転換させ、医療・福祉への財政支出を大幅増加、社会保障制度の拡充を実現しなければならない。国民が安心してサービスを受けられる公的介護保障を実現しなければならない。


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