990415 社説


統一地方選の前半戦を闘って


 危機がいちだんと深まるなか、国民の選択が注目された第十四回統一地方選の前半戦が終わった。

 戦後最大の不況下、大企業の容赦ないリストラ、産業空洞化などによる倒産と失業の激増、賃下げによる生活危機、医療・福祉・年金など将来への不安、財政危機の進行。告示直前にはブリヂストンの労働者がリストラに抗議して社長の前で割腹自殺する事件がおこった。この事件が象徴的に示しているように、今回の選挙ほど政治(政党)が危機に苦しむ国民に活路を示せるか、その責任がきびしく問われた時はない。

 最大の焦点となった首都・東京の都知事選は、国に「ノーと言える東京」を掲げた石原慎太郎氏が自民、民主、共産の各政党推薦候補を打ち破って当選した。石原氏の勝利は、危機に苦しむ都民が自民党政治に怒りを強めながらも、有効な活路を見いだせない閉塞(へいそく)感を打破するものとして、なにがしかの期待をかけた結果といえよう。

 統一地方選前半戦の結果は、危機に苦しむ国民各層の不満と怒りが増大し、自民党政治への批判がいちだんと高まっていることを示した。とりわけ、昨年の参議院選挙から明確にあらわれた自民党の大都市部での支持基盤の崩壊はさらに進み、政党としての力の衰退をさらけ出した。自民党は、東京都知事選で推薦候補が惨敗、大阪府知事選にはそもそも政党として登場できなかった。道府県議選では過去最低だった前回の議席数をさらに減らした。

 だが、民主党など野党も危機に苦しむ国民の要求と力を結集し、地方政治を真正面から争って転換を実現することができなかった。 共産党は道府県議選、政令市議選で大幅に議席を増やし、「歴史的な大躍進」と得意になっているが、肝心の知事選挙はアリバイ的で、危機に苦しむ国民の力を大きく結集して「相乗り」地方政治を本格的に打ち破ろうとはしなかった。

 わが党は、前回にひきつづき神奈川、福岡の二カ所で県知事選挙に党公認候補を立て県政の転換めざして闘い、神奈川では三十一万七千百七十六人(一一・三%)、福岡では十二万三千二百六十六人(六・五%)の支持を獲得した。わが党候補者は、「相乗り県政」の実質が大企業・自民党主導であることを暴露するとともに、この県政を危機のなかで必死に努力する労働者、失業者、中小商工業者、農民などを支援する県政へ転換することなどを訴え、広範な各層の連携に努力した。

都知事選で石原はなぜ勝利したか

 統一地方選挙の前半戦は、十二都道府県知事選挙、四十四道府県議選挙、十一政令市議選挙、それに札幌市長選挙が行われた。 十二都道府県知事選挙のうち、九カ所が各党相乗りとなった。

 注目を集めた東京都知事選挙は、石原氏が約百六十六万票(得票率三〇・五%)を超す支持を得て当選した。民主党推薦の鳩山氏、自民・公明・自由党推薦の明石氏、共産党推薦の三上氏と政党推薦の候補は、その半分以下の得票しか得られず、敗北した。

 石原氏の得票を分析してみると、大企業、中小商工業など自民党、自由党の保守的支持基盤を中心に、民主党、社民党等の支持基盤からも、さらには前回青島知事を誕生させた無党派層からも幅広く支持を獲得している。

 なぜれっきとした保守の石原氏が、こうした支持を獲得できたのか。

 根底に、危機の深まりのなか、都民各層の間に不安と不満が相当に蓄積されている現実がある。それは、都庁官僚に抱え込まれて期待を裏切った青島都政、危機に有効な打開策を示し得ない自民党政治にたいする怒りとしてうっ積していた。

 自民党、民主党は相乗りは避けたものの、公明党支援をあてにして右往左往。また、共産党推薦候補も含め政策には大差なく、都民から見て活路は示されていなかった。

 そうした状況のなかで石原氏は最後に無党派候補として登場、「ノーと言える東京」「東京からの変革」の強烈なスローガンを掲げ、自民党主導の国政との対決を前面に押し出して「横田基地の返還」など大胆な政策を訴え、「強いリーダー」のイメージを売り込んだ。この訴えがいらだちを強めていた都民の気持ちをとらえた。

 こうして危機に苦しむ都民の不満、自民党政治への批判は、「反政党」「反自民」「反米」「反中国」を掲げる石原氏を知事の座につけることになった。共産党も含め野党勢力は、これに有効に対処できなかった。

 マスコミには若干の警戒感があるが、今井経団連会長はじめ財界は歓迎の談話を発表した。

 危機のなかで登場した石原都政が何をやるか、やれるか、当面の政局にどんな影響を与えるか、注視して対処する必要がある。

 危機に苦しむ国民の不満は、道府県議選挙の結果には、ストレートに自民党へのきびしい批判となってあらわれた。

 四十四道府県議選挙で自民党は、前回(九五年)初めて過半数を割りこんだため、今回は「過半数奪還」を目標にしていた。結果は、改選時を百二十四議席も下回る千二百八十八議席(得票率三七・七%)で、過半数には届かず、過去最低の議席数に落ち込んだ。

 愛媛十五議席減を筆頭に、青森七、埼玉六、千葉、兵庫、奈良、広島で各四議席減となった。大都市部だけでなく、農村地域でも支持基盤の崩壊が表面化している。

活路を提起できなかった野党

 問題は野党である。

 危機がいちだんと深まるなか、国民各層の営業、生活の困難と結びついて、自民党政治、自民党主導の地方政治に批判が高まっていた。

 野党は、本来、こうした国民各層に活路を示して大きく力を結集し地方政治の転換を実現するチャンスであった。

 だが、そうはならなかった。野党第一党の民主党は、都知事選挙こそ推薦候補者を立てて争ったものの、大阪は候補者を立てられず不戦敗となった。九道県知事選挙では、自民党と相乗りした。

 道府県議選挙は伸び悩んだ。結党後はじめての統一地方選挙で都道府県議会の「第二党」をうかがったが、公明、共産並みの水準に終わった。

 共産党の不破委員長は、わが党こそ「開発型政治」とそれを支える「オ−ル与党」体制に立ち向かって闘い、「大躍進した」と自画自賛している。

 四十四道府県議選で「大躍進」したのは事実だろうが、肝心の十二都道府県知事選はどうだったか。危機に苦しむ国民各層の要求に応え、力を結集して自民党主導の地方政治と根本的に争ったのか。

 たとえば、神奈川県知事選挙。共産党推薦候補は四年前と同一人物だが、得票数で十九万余減らし、得票率で八・一ポイントも後退した。これを大躍進とはとても言えまい。一方で、県議選では二から六に増加させている。アリバイ的に取り組んでいるとしか思えない。

 致命的なのは政策である。今回の中心的政策、「『ゼネコン型開発』最優先の政治から、『住民奉仕』という自治体本来の姿をとりもどす」は、ゼネコンを批判するだけで、地方政治を牛耳っている真の敵・金融、情報などの多国籍企業などなど地域支配層に対する暴露と闘争を回避するものである。これでは、地方政治を打ち破る各界の連合した力を結集できないのは当然である。

 ましてや、今回の選挙のように、「庁舎ピカピカ、校舎ボロボロ」などという宣伝では、力にならない。

 前半戦の結果は、政局を不安定化せざるを得ない。経済危機はいちだんと深まり、労働者と国民各層は失業や倒産などの困難を打開するために、ますます闘う以外になくなる。

 われわれは今回の神奈川、福岡県知事選の経験と成果を踏まえ、各界各層の人々、社民勢力や労働組合との連携を広げ、県政と国政の転換のため闘う。


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