990325 社説


日の丸・君が代問題

政府自民党の法制化策動を「勇気づけた」共産党の現実路線


 日の丸・君が代を国旗・国歌とする法制化の動きが急浮上している。卒業式での日の丸・君が代の取り扱いをめぐって広島県の高校長が自殺したことを契機に、小渕首相は今国会中の法案提出に意欲を表明した。

 政府が今回、法制化へと動いた背景に、共産党が方針転換し「国旗・国歌の法制化容認」を打ち出したことがある。

 だが、あまりにも唐突な展開に国民世論は危ぐし、反発した。多くの商業新聞が「法制化を急ぐべきでない」「強制は流れに反する」と社説で主張。アジア諸国からは、いっせいに警戒の声が高まった。こうした世論の反発を見て、民主、公明も慎重姿勢に変わった。

 他方、法制化論議の火付け役を演じた不破・志位らの共産党指導部は、予想外の国内外の世論の反発、党員・支持者の批判にあい、あわてている。かれらは地方選挙への悪影響を恐れて、三月十七日、日の丸・君が代問題だけを議題にした都道府県委員長会議を急きょ招集、「国民的討論」を呼びかける『しんぶん赤旗』号外を全国の四千六百万世帯全部に配布するよう異例の指示を出さざるを得なくなった。

 今回の日の丸・君が代の法制化をめぐる一連の経過は、危機の深まりのなか共産党の二十一回大会の現実主義路線がどんな犯罪的役割を果たすかを分かりやすく暴露している。政府・支配層との闘いを発展させるためには、共産党に警戒が必要で、闘争が避けがたくなっている。

日の丸・君が代強制が校長を犠牲に

 三月二日、野中官房長官は「現場の判断に任せると広島県のような事件がおこりうるので、法的根拠を与えるべきだ」と日の丸・君が代の法制化を検討する方針を明らかにした。数日前に、小渕首相自ら「法制化は考えていない」と国会答弁したばかりで、唐突な展開である。

 野中官房長官が言うように校長を死に追いやったのは、「現場の判断に任せ」たからなのか。また、そのことが法制化を急ぐ理由になるのか。

 今回の事件が広島で起こったのには、必然性がある。昨年度の高校の卒業式での君が代斉唱率は全国平均で八〇・一%、広島県は一八・六%と低い(東京都三・九%、三重県四・八%、神奈川県六・〇%)。被爆県の広島は、教職員組合などが平和教育、人権・同和教育に熱心で、天皇をたたえる歌詞が国民主権や平等の理念と矛盾すると反対が強い。

 そこで文部省は広島にねらいを定め、昨年五月、学習指導要領をタテにして「是正」を指導した。これを受けて広島県教育委員会は、二月二十三日、県立学校長に卒業式での「国旗・国歌」の完全実施を求める「職務命令」を出した。全国的にも異例な措置だが、実施しないなら「降格させる」「辞職してもらう」と圧力をかけ、職員会議が終わるたびに状況報告を求めるなど、二十四時間体制で指導していた(中国新聞)、という。また、右翼勢力もPTA会長に実施状況の監視を求め、自民党県議団も卒業式に乗り込んで実態調査を行う態勢をとっていた。そのすさまじさは、今年度の斉唱率が八八%と一挙に跳ね上がった事実をみれば察しがつこう。

 県教委の強制的やり方は反発を生み、県下の教職員の六割、一万二千人余が教育長不信任に署名していた。

 こうした雰囲気の中で、二月二十五日、世羅高校は校長を含めた職員会議で「今回は君が代斉唱は実施しない」と確認。県教委はこれを巻き返すため、担当者が自殺当日の直前まで圧力をかけ続けていた。

 経過が示すように校長を自殺に追い込んだのは、「現場の判断に任せ」たからではない。反対に「現場の判断に任せ」ず、文部省と県教委が自民党県議団、右翼まで動員して「現場に強制」したからである。

 したがって、文部省の日の丸・君が代強制を直ちにやめることこそ事件の再発を防ぐ道である。これを口実に法制化を進めるという政府の策動は、今回の事件を引き起こした政府、文部省の責任回避であり、教育現場への強制を何倍にも強化するきわめて反動的な打開策と言わなければならない。

 まして日の丸・君が代問題は、教育現場の問題だけではない。アジア諸国から警戒の声が高まったように、かつての日本軍国主義の象徴と見なされており、侵略・植民地支配の歴史を反省せず、新ガイドラインを進める動きなどとも相まって、日本不信をさらに増幅させる。また、国内での自由主義史観の台頭、憲法調査会設置の動きなどと結びついて、反動化の流れを促進する契機ともなる。

 広島の事件を口実にして日の丸・君が代を法制化しようとする政府の危険な策動は、なんとしても闘って打ち破らなければならない。

次々と支配層に恭順示す共産党

 政府の法制化策動と闘う上で、われわれが警戒しなければならないのは、共産党である。

 政府が急きょ法制化に踏み込んだ背景には、広島の事件以前に、共産党の方針転換がある。

 二月十六日、共産党は日の丸・君が代を国旗・国歌として扱うことに「絶対反対」してきた従来の方針を転換し、「国歌・国旗の法制化の必要」を積極的に提起する新見解を発表した。月刊誌『論座』のアンケートへの回答という形で発表した見解は、「民主的な軌道に乗せて解決するには、…政府が一方的に上から社会に押しつけるという現状を打開し、法律によってその根拠を定める措置が最低限必要」と述べ、これこそ「国民主権の憲法下の国歌・国旗のあり方」と得意げに提起した。

 だが、共産党のこの見解ほど欺まん的で、有害なものはない。

 第一、日の丸・君が代に反対すると言いながら、「国旗・国歌の法制化」を提起するというのは、人だましのペテンである。なぜなら、今日のわが国の階級的力関係、政治情勢、国会の勢力関係の下では、「国旗・国歌の法制化」とは、実質的には日の丸、君が代の法制化にしかなり得ないからである。論より証拠。政府は共産党の思わぬ「法制化」提起に飛びついて、「これならいける」と一挙に踏み込んだ。共産党の見解は、政府の日の丸・君が代の法制化に火をつけてやったようなものである。

 第二、法制化が「上から押しつけている現状を打開」するなどというが、これまたウソである。社民党や日教組などが批判しているとおり、法制化は「上からの押しつけ」・強制を強化する。これを「打開」するには、闘う以外ない。広島県教組や解放同盟がやってきたように、文部省や県教委の「上からの押しつけ」に反対する闘いこそもっとも効果的な打開策である。昨年度まで実施率を低く押さえ込んできたのは闘いの成果である。現在の問題点は、この闘いが弱まったことであって、闘う態勢の再確立こそ革新政党がなさねばならないことである。闘うことと結びつかない、「国民的討論」一般では、押しつけを打ち破れない。

 この点で共産党はどちらの側に立っているのか。宮沢蔵相に、「共産党だけが(解放同盟に)勇敢に発言してきた」とほめられたのをどう理解したらよいか。

 みてきたように、共産党の新見解は、欺まん的で闘う側に混乱を持ち込み、闘争の発展を阻害する有害なものである。政府自民党には願ってもない日の丸・君が代の法制化の先べんをつけた。なんという犯罪的な裏切りか!

 今回の裏切りは、決して偶然ではない。共産党は二十一回大会以来いちだんと堕落し、社民化し、支配層に恭順を示して政権参加を熱望する道を進んでいる。これまでの政策を次々と投げ捨て、支配層に「政権を任せても安心」と思われるようにサインを送っている。大会での内外政策の妥協に続いて、昨年七月には「共産党を含む『よりまし』な暫定政権」ができれば「日米安保条約は凍結」を容認。「天皇制の容認」の次には、今回の「国旗・国歌の法制化容認」である。不破は最近、「安保破棄後の自衛隊の存続容認」のサインを送っている。

 共産党の政権参加のために、国民運動と大衆の利害が売り渡されようとしている。かつて村山社会党が政権参加と引き換えに国民運動、労働運動を混乱させられたように。

 政府・支配層との闘いを発展させるためには、共産党の裏切りを暴露し、これと闘うことが不可欠である。


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