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『日本共産党と中国共産党の新しい関係』

会談記録が示す見苦しい取引


 わが党が一九九九年一月十日に行った「党創立二十五周年・新年旗開き」の議長あいさつを通じて、日中両国共産党の関係修復問題にふれて以来、もっと詳しくなどの質問が党の内外から相ついだ。

 したがって、若干のコメントをつけはするにしても、ここに日本共産党の発表した会談記録を掲載することで読者の皆さんの判断にゆだねることとした。それは新日本出版社一九九八年八月三十一日発行の小冊子で、「日本共産党と中国共産党の新しい関係」不破哲三、である。

 この小冊子の中の、一九九八年一月二十一日の朱達成・中共中央対外連絡部秘書長と不破との懇談記録である。この懇談に至った経過などは付してあるので、とくに説明の必要はない。

 今回も不破は、一九八五年の場合と同様に、わが日本労働党を、中国共産党による日本共産党内部問題への「干渉の産物」「その代表的存在」として描き、「関係を絶つこと、以後も関係を持たないこと」を要求している。またこっけいなのは、今回は「労働党問題はいわば台湾問題」とまで言っているのである。

 一九八五年の両党会談は、理不尽な日本共産党の要求に、当然ながら中国共産党は同意しなかったので決裂した。一九八五年の五月にわが党の議長はこの問題で発言し、「干渉の産物」という日本共産党の言いがかりに、一九六六年以降中共は、山口県を中心に組織された「日本共産党左派」を支持していたこと、一九七四年前後の労働党結党活動に反対したこと、日本労働党と中国共産党との関係確立は一九七八年十一月、つまり「プロ文革以降」であること、その他をあげて反論した。

 またこのとき議長は、一九七八年の会談での中国側の発言の一部を紹介している。中国側は「労働党の中には面識のある人はいなかった」「闘いの中で結ばれた」など述べている。当然のことである。会談記録もきちんと保存してある。

 一九九八年、今回の日中共産党の会談ではすでに述べたように、日本共産党の言い分はかつてと同じであるが、中国共産党の態度は異なっていた。今回は認めたからである。

 だが、日本共産党のもくろみの一つは確実に外れる。中国共産党に頼んでも何の効果もない。わが党は、他国の党との団結を望んだことはあるが、恐れたことは一度もない。自分の足で立っているからで、自力でますます闘いを強化するからである。

 政治的打算で行われた今回の取引には、もはや共産主義者としての高潔さとか民族的な誇りとかのかけらも見ることができない。どこにでもある、ありふれた取引に過ぎない。


資  料

朱達成中央対外連絡部秘書長との懇談の記録から(抜粋)
日本共産党 不破哲三

 一九九八年一月、中国共産党中央対外連絡部から、同部の朱達成秘書長が一月中旬に日本を訪問するので、そのさい、日本共産党の国際部を表敬訪問したい、と申し入れてきました。日本側はそれを受け入れ、一月二十日、朱秘書長らの一行が日本共産党本部を訪問しました。その時、日本共産党の西口光国際部長と朱達成秘書長とのあいだで、党関係の正常化をめぐる最初の話し合いがおこなわれました。

私は、その話し合いの報告をうけて、この問題を解決するためには、三十二年前の両党首脳会談以来の当事者である私自身が、わが党の立場と考えをよりたちいった形で中国側に説明し、中国共産党の指導部に伝えてもらう必要があると思い、翌二十一日に、朱秘書長一行を夕食に招待し、その前に若干の話し合いの機会を持つことを提案することにしました。

相手側が、この提案を受け入れ、実現したのが、一月二十一日夕刻のこの懇談でした。この席で、私が話し、中国の党指導部に伝達することを求めたのは、次の内容です。

     (略)

 これから話すことは、われわれが非難をむしかえすということではありません。双方が歴史の問題に真摯(しんし)に正確に対処するために話すのです。

昨日のあなたの話の内容を聞きましたが、あなたがたは、中国側の誤りとして、中国の観点、方針を日本共産党に押し付けようとしたこと、その極端な話として、北京空港での事件をあげました。

しかし、率直に言って、当時の中心問題はそこにあったのではありません。たとえば、中国共産党とわが党の会談で、毛沢東が自分の観点を押し付けようとしたということは、それが間違っていようと正しかろうと、二つの党の会談ではありうることです。北京空港事件も、それ自体は大変な事件でしたが、あれだけにとどまっていたら、それほど深刻な事態にはならなかったでしょう。

問題は、中国共産党が、あの大変異常な時期に、「日本共産党指導部を打倒する」という方針を出し、それを現実に実行したことです。その実行の舞台となったのが日本の社会であり、日本の党の内部だったことです。その時、政党の戦線、文化の戦線、貿易の戦線のすべてに、日本共産党打倒の方針が持ち込まれました。「四つの敵」論は、日本政府、アメリカ帝国主義、ソ連修正主義、日本共産党を指しますが、日本共産党以外の三つと中国とのあいだでは、その後関係改善が進んだり、「敵」ではなくなったりして、わが党だけが残りました。中国と日本の国民の間には、戦後、とくに革命成功後、いろいろな分野で友好と交流の網の目が双方の努力でつくられてきました。その友好と交流の網の目が、一夜にして日本共産党打倒の舞台に変えられたのです。

私たちが問題にしている日本共産党反対の分裂組織も、「日本共産党を打倒して自分たちが新しい党をつくれ」という中国側のシナリオと号令で、つくられました。

これは、はっきり言って、一つの政治的、社会的戦争でした。わが党の党員で、当時、息子さんや娘さんが留学などで中国にいたりしたため、対立したまま家族が別れ別れになり、三十年間、親子の関係を断絶している同志も少なくありません。

わが党は、ソ連からもひどい干渉を受けましたが、中国からの干渉は、それよりはるかに深刻でした。ソ連は日本にとっては遠い国で、それほど社会的に深い関係はありませんでしたが、中国は近い国で、国民のあいだでも深い友好と交流がありました。そのパイプが一夜のうちに敵対と攻撃の手段に変わったのですから、その深刻さはソ連の場合の比ではありませんでした。

私たちは、これを、わが党の死活にかかわる問題ととらえ、がんばり、陣地を守ることに成功しました。しかし、受けた傷も大きかった。あの事件が起こるまで、私たちに連帯していた人たちの中には、中国側の干渉できずなが切れ、いまだに日本の平和・民主運動の中で立場を失っている人びとが数多くいます。

おそらく世界の共産党の歴史でも、政権党から、資本主義国で活動している党に加えられた攻撃としては、空前絶後のことでした。ここに両党関係の不正常さの最大の原因があります。一九六六年の会談の決裂とか、一九六七年の北京空港事件もありましたが、それで終わったわけでなく、七〇年代までそういうことが大規模に繰り返されてきました。こういうことは、中国共産党と欧州諸国の共産党とのあいだでは、ありませんでした。

私たちは、この問題で非難をむしかえしているのではありませんし、あなたがたに謝罪してくれと言っているのでもありません。

われわれ両党は、これから、「相互内部問題不干渉」の原則にもとづいて党関係を持っていこうというのに、あれだけ明白な干渉があったにもかかわらず、それを干渉と認められないなら、「不干渉」というのは一体なんだということになります。私たちは、謝罪ではなく、その認識を求めているのです。

当時つくられた日本共産党の分裂組織の問題も同じことで、日本労働党はその代表的なものです。これは小さな組織でしかありませんが、当時、「日本共産党を打倒せよ」という中国側の号令にもとづいて生まれた党です。あなたがたは、その不正常な時期を乗り越えた、方針は変わったといいますが、この組織の方は、当時この方針を頭に植え付けられ、三十年後のいまもそれにもとづいて活動し続けています。一九八五年の会談のときは、あなた方の代表団が、こういう組織との関係を絶たないと言ったので、これが最大の障害となりました。

昨日の話し合いで、あなたがたは、いま日本労働党と関係を持っていないし、今後も持たないと言われたことを、私はうれしく思います。これは国の次元の話ではありませんが、たとえて言えば中国と台湾との関係に似ています(ここで中国側出席者は苦笑)。あなたがたは、外国がどんな外交方針をもってもよいが、台湾と公式な関係を持つことには反対でしょう。私たちの方は、中国共産党が、自民党であれ他の政党であれ、どんな政党と公式な関係をもっても何も言いませんが、不干渉の原則を空文句に終わらせるような無原則的なことはやりたくありません。

ですから重ねて言いますが、過去におこなわれたことが内部問題不干渉の原則に反する干渉であったという事実について双方が一致した認識を持つこと、日本労働党のような、干渉の時期に生まれた日本共産党反対の組織と今後関係をもたないこと、私たちが関係正常化にあたって求めているのは、この二つだけです。

このことを言ったのは、後ろ向きではなく、これから先、両党関係を前向きに安定的に発展させたいという希望からであり、ご理解いただきたいと思います。

問題を解決して両党関係を正常化することは、もう三十二年も経っているのですから、早ければ早いほどよい。最初にのべたように、昨年来のあなた方の対応を見、また、昨日のあなたの発言を聞いて、それは可能だと思います。

そして解決できたら、その先の問題として、両党の首脳がいつどのような形で会って、前向きに現在と将来のことをどうするか、話し合うこともできます。

しかし、あのような経過があっただけに、あいまいな解決、決着は、将来に禍根を残すと思います。

三十二年前の訪問のときは、電話は通じないし、連絡をとるのは電報であり、しかも、数字を使っての暗号めいた電報しか、打てませんでした。ですから、わが党代表団は、本国とは二カ月間、連絡がとれませんでした。今は、非公式ですが双方が電話で直接話もできます。また、「しんぶん赤旗」の北京支局ができれば、互いのやりとりに、必要ならこの支局も活用できます。

私たちの真意を理解していただき、こうした私たちの考えや立場を、帰国したら党の指導部にお伝え下さい。

私たちは、関係正常化のために問題を提起していますが、あなたがたが乗り越えやすいように敷居をうんと低くしているつもりです。これ以上低くすると地面にめり込んでしまいます(笑い)。私たちは、〈頑固派〉です。あなたがたが、どうしてもこの敷居を乗り越えられない、認められないというなら、当分私たちは、「しんぶん赤旗」の北京支局の活動だけでがまんし、北京からも中国共産党の動きをながめることにしましょう。しかし、もう流れがここまできているのに、そういうことだとあまり格好はよくないし、ほめられた話ではないと思います。

ですから予定外の私が飛び入りしてお話ししたわけで、私たちののべたことをぜひ検討してほしいと思います。時間がかかるなら、お待ちしましょう。


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