980705 社説


参院選は「健全な資本主義に改める第一歩」か

共産党への期待は幻想、むしろより重大な危険を招く


 与党も野党も、議会政党は選挙に熱中している。だが、町では「選挙どころではない」「誰が当選しても何も期待できない」との怒りの声が渦巻いている。この怒りを組織し、政府にたたきつける行動こそ、いま緊急に求められている。

 他方、自民党政治に抵抗するため少しでも力になればと、共産党に期待する声もいくらか聞かれる。共産党の側も、共産党が伸びれば政治が変わるなどと、幻想をあおっている。だが、議会政治という限り、過半数の議席を獲得しなければ政権が代えられないことなど、小学生でもわかる。共産党が少々伸びても、政治は何も変わらない。町の声は真実を突いている。

 しかし、共産党の主張は幻想というだけではない。むしろ、期待する人びとの意思に反して、財界のための政治を容認し、支えることになるのである。

「健全な資本主義」とは

 大企業、とくに大銀行を中心とした支配層は、労働者や農民、商工業者など国民各層に犠牲を押しつけて生き残ろうと必死である。生活危機、経営危機はかつてなく深刻化し、日本経済の再建・生活危機打開をめぐって、階級間の争いは熾烈(しれつ)化している。

 したがって本来、政党間の争いも激しさを増すはずだが、それほどではない。とくに政策面では、大方、支配層に追随し、根本的な対立と緊張感はない。昨年の二十一回大会で「ルールなき資本主義をただす」という経済政策を決めた共産党も、完全に支配層に追随している。

 例えば、不良債権処理の問題で、共産党は三十兆円の税金投入は反対と主張している。これは当然である。問題はその先である。共産党は、銀行の自己責任、自己負担での処理が資本主義のルールであり、「米国型『ブリッジバンク』にも昭和金融恐慌のさいの『昭和銀行』にも税金はいっさい使われていません」と、公的資金投入は「資本主義のルールに反する」から反対だと主張する。だから、この参院選を、「モラルが守られる、健全な資本主義に改めさせる。その第一歩に」(七月三日付「しんぶん赤旗」)という次第である。

 共産党は、「健全な資本主義」というが、重大で深刻な問題を隠している。

 戦前の金融恐慌時の銀行破たん処理のようにやってどうなるか。当時、破たん処理の過程で弱小銀行、地方銀行が何百とつぶされ、中小企業は倒産させられ、失業者は町にあふれた。しかし同時に、力のある三井や三菱など大銀行に金融がますます集中するなど、五大財閥の支配が一挙に強化されたのである。そして財界は、軍部と結んで天皇制軍国主義のもとに、中国侵略戦争の拡大で危機の転嫁を図った。これこそ、誰でも知っている「昭和恐慌」の主な結果である。そして健全な資本主義の必然的結果ではないか。まさか不破氏らは忘れたわけではあるまい。

 また、共産党は、米国は資本主義のルールにそって商業銀行の破たん処理をやった、日本はそれに見習え、という。米国は確かに金融大国となった。しかし、米国は弱肉強食の社会、貧富が拡大した分裂社会である。大金持ち、大企業にとっては「天国」かもしれないが、労働者、勤労国民にとっては「地獄」である。

 これこそ健全な資本主義の結果である。そ知らぬ顔をして、「資本主義のルール」をもちあげる不破氏らは、意図的意識的である。共産党の考え方は、誤りというより、危険で犯罪的である。

 もっとも不破氏も、日本社会をどこへ導くか、隠しもしない。不破氏自ら「こういう健全なルールを、いま日本の金融業界が確立しないと、とても世界経済の荒波には乗り出していけないという点で、このルールをきっちりと確立し守るというのがわれわれの立場」という。つまり、資本主義のルールにしたがってダメな銀行はつぶさないと、金融面での世界的な競争に負けるぞとはっきり言うのである。これは、冷戦後の世界的な市場再分割の争いに打ち勝つために、自国の労働者人民を犠牲にして、金融ビッグバンを進めるわが国の巨大企業、多国籍企業の要求そのものである。

 だから、共産党が選挙で伸びれば、いくらかよくなるだろうと考えるのはまったくの幻想でしかない。むしろ逆で、支配層、自民党は、ますます巨大企業、多国籍企業のための金融再編をやりやすくなるという結果になる。目先の「反自民」ということだけで共産党を評価しては、とんでもない間違いを犯す。

核超大国の米国を非難せず

 インドおよびパキスタンによる核実験の後、世界には最大の核超大国である米国に対して核廃絶を求める声が高まっている。また、核独占体制は揺らぎ、帝国主義の世界支配に反対し、国家主権と自立・平等をめざす勢力に有利に変化している。

 しかし、共産党は、この問題でも支配層に追随し、世界の流れに逆らっている。

 共産党は、両国の核実験に際して不破委員長名で非難談話をそれぞれ発表した。例えば、インドの核実験に対しては、「世界の平和にとって危険きわまる動きであり、新しい形での核軍拡競争を促進しかねないものである」といった調子である。日本政府、支配層による、インド、パキスタンの核実験は「核軍縮の世界的な流れへの逆行」という宣伝と何一つ変わるところはなかった。

 そして驚かされるのは、不破氏の二回の談話のなかに、超核大国である米国を直接名指しで非難し、闘いを呼びかけているところが一カ所もないということである。また、わが国が「米国の核の傘」から離脱するよう闘わなければならないが、不破氏はそれにも触れなかった。

 ところが世論は違った。核兵器を開発した核超大国・米国が非難されずにインドやパキスタンだけが非難されるのはおかしい、核の傘に守られた日本に非難する資格はあるのか、と。こうした声が急速に高まった。

 あわてた共産党は、主張を微妙に手直しした。「核兵器固執体制の打破こそ」といったり、不破委員長名で「核兵器保有五カ国首脳への書簡」を出したりしている。世論に追随したにほかならない。

 手直しはあったがそれでもはっきりしていることは、共産党がインド、パキスタン非難の大合唱隊に加わっている実際である。いまも共産党の議員は、国会でも地方議会でも、無条件に自民党議員と一緒にインド、パキスタン非難決議に賛成している。共産党系の大衆団体が、インドやパキスタン大使館に抗議に行ったことは赤旗で報道されたが、米大使館にはどの団体も行っていない。「五カ国首脳への書簡」といって、米国と他の四核保有国を「平等に」扱い、実際は米国を免罪している。こういった次第である。

 共産党は米国との闘いを恐れ、慎重に避けている。これでは、核兵器の廃絶も、わが国の米国からの完全独立と核の傘からの脱却も不可能である。

体制の危機を支える予備軍に

 世界資本主義の危機は刻一刻深刻化しており、破局的事態が接近しつつある。わが国支配層は、この支配体制の根本的な危機にどう備え、危機を切り抜けるか、この体制を維持する政治的助けをどこに求めるか、この問題に直面している。

 共産党は、二十一回大会で、こうした危機の到来が予測される中で、「連立政権」構想を描き、慎重にではあるが保守党との連立政権を展望した。政策を手直しし、支配層に恭順の意思を示した。その結果、ますます支配層と闘わなくなった。むしろ、支配層の意図をくんだ「改革」提案が多くなった。最近は目を覆うばかりである。

 しかし、共産党の犯罪性は、いま支配層と闘わないだけではない。この連中の真の犯罪的役割は、体制の危機がやってくる決定的瞬間に、「連立政権」を組んで支配層の側で危機打開に手助けすることである。いまでもこれほど譲歩し、恭順の意を示した共産党である。そのときがくればどこまで譲歩するか、見当がつくというものである。

 共産党への期待は、幻想であり、むしろ重大な危険を招くのである。このことを率直に、労働者階級と危機の打開を求める諸階層の人びとに伝えないわけにはいかない。


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