980605


社民党の閣外協力解消

幻想をすて、連合した力、行動を組織しよう



 社民党は五月三十日、自民党との閣外協力の解消を決定、六月一日に開かれた「自社さ」三党首会談はこれを確認した。四年間つづいた三党連立政権は一応終わった。

 連立政権下での社会党、社民党の変質と裏切りに怒ってきた人びとが、いろいろな感想を持ったのは当然である。しかし、現実の政局にはなんの変化もない。三党政策協議は続いているし、社民党は国民を犠牲にする法案への賛成はもちろん、内閣不信任案にも反対するという。「参院選後に、もう一度、与党体制をつくろう」と自民党に呼びかけられている。だから、「偽装離婚」との揶揄(やゆ)する声が上がっている。

 こうした閣外協力解消にいささかの幻想も許されない。

窮地に立った財界を救った連立政権

 連立政権が始まったのは、一九九三年の細川政権からで、以後、羽田、村山、橋本とつづいている。

 この連立政権時代をもたらした直接の背景は、八〇年代後半からの産業構造調整の結果として高まった、国民の自民党政治への怒りであった。九三年総選挙で、自民党は大敗し過半数を失った。だが、それでも比較第一党だった。議会政治の常道からすれば、自民党中心の連立政権となって当然だったが、そうはならなかった。

 もう一つの背景、力が働いた。財界の画策があった。財界は、冷戦終焉(えん)後に激化した列強間の闘争へのわが国の立ち遅れに危機感を強め、それに対応するための「改革」を求めた。財界は政治に直接介入し、九三年の総選挙とその結果としての組閣問題でも露骨に介入した。このもとで小沢一郎らが動き回って、第二党以下の連立政権が「改革」推進政権として成立した。

 社会党はこの選挙で議席を後退させ、主導性もないまま「非自民党政権」ということで細川連立政権に加わった。その後、九四年四月の羽田政権でいったん政権離脱したものの、六月、自民党の誘いにのって村山委員長を首相に連立政権を発足させた。九六年一月、村山首相は政権を投げ出し、橋本連立政権が成立した。社会党は一月の党大会で社民党に名前を変更したが、それでも同年秋の総選挙で大敗し、第二次橋本政権では閣外協力の連立となった。そして、今回連立を一応解消した。

 連立政権で村山首相は、「日米安保条約堅持」「自衛隊合憲」に踏み切った。米軍用地使用をめぐって沖縄県太田知事を提訴した。コメ市場開放も、消費税の五%への引き上げも、「住専」への公的資金投入も、村山首相の手によってであった。橋本連立政権では、日米安保共同宣言が取り決められ、米軍用地特措法改悪が強行された。「改革」政治ということで医療改悪、公的介護保険制度導入、あいつぐ規制緩和・大店法廃止など、また、大銀行救済に三十兆円の血税投入も強行した。

 社会党委員長が首相であるとか、連立政権だとかいっても、この政権が基本的に財界のコントロール下にあることを考えればこうした結果は当然すぎることであった。米国追随でひとにぎりの大企業・財界のための政治、反国民的悪政の数々に、社会党・社民党は協力し、あるいは率先してきた。特措法には反対したが、それでも与党から離脱せず、財界のための政権を支えつづけた。

 こうした連立について、「多くの成果」などというのは、まさに黒を白と言いくるめるペテンである。「自民党の驕(おご)りを抑え」たなどという言い草は、国民感情からまったく遊離した戯言(ざれごと)である。また、「小沢一郎的保保政治を許さなかった」などとも強弁しているが、それは、この連立が自民党を政権に復帰させたこと、それが財界のための政権であるという事実を正当化することにはならない。

 彼我の闘争の全体のなかでこの問題を見なければならない。政党の評価は、客観的にどのような役割を果たしているかである。

 連立政権成立をもたらした状況の全体は、今日ますます労働者階級と国民の側に有利に変化している。危機がいちだんと深まって、自民党政治への国民の不満と怒りは日々激化し、支配層は深刻な困難に陥っている。財界が政治の全体をコントロールしているにしても、その政権、橋本政権はまさに窮地に追い込まれている。闘って橋本政権を倒す、闘争を前進させるチャンスである。

 ところが社民党は閣外協力を解消したとはいえ、窮地にあえぐ財界の政権を、支えている。社民党が果たしている客観的役割はこうしたことである。

労働運動を懐柔し抑え込む政治戦略

 連立政権のもとで、すでに述べた数々の悪政が行われ、労働者の権利を奪う攻撃がつぎつぎと行われたが、労働組合運動はこれに反撃を組織できなかった。なぜか。

 社会党・社民党が、政権の与党だったからである。連合内の相対的左派とでもいうべき旧総評系労働組合指導部、とくに官公労系労働組合は、社会党・社民党が与党であるということで、労働者の要求がいくらかでも実現するかのような幻想を広め、政府に対する本格的闘いをさしひかえ、むしろ政権をもり立てる側に回った。

 財界、自民党は、労働者階級に深刻な影響を与える「改革」が労働者階級の反撃を呼び起こさないよう、社会党を与党という形で「人質」にとったのである。それを通じて労働組合指導部を懐柔し取り込む策動を、細心の注意を払って進めてきた。加藤紘一・自民党幹事長らは、社民党を政権の一角につなぎ止めておくために並々ならぬ努力を払い、「自社さ」連携をなによりも重視してきた。眠り込んだ労働運動を目覚めさせないこと、これが支配層のもっとも重要な政治戦略であった。

 この点にこそ、支配層と自民党が社会党・社民党を連立政権に引き入れた最大の階級的狙いがある。

 社会党・社民党中央は、こうした戦略にのって与党の甘い汁を吸い、その地位を維持することに汲々として、支配層が労働者階級に犠牲を強いるのを手助けした。彼らは「票も金も」労働組合に依存しながら、労働者階級を裏切ってきたのである。

 今日、社民党はますます色あせ、労働者の中で信用を失墜し、支配層にとってあまり役に立たなくなってきた。与党離脱は、社民党が支配層からお払い箱になった結果としての「決断」にほかならない。反国民的政治を反省したわけでもなんでもない。参院選を「野党」として争って、少しお色直しをしたいということであろう。

 だから自民党の加藤らは、参院選の結果を見てもう一度、と社民党に連立を持ちかけている。土井委員長も「選挙の結果次第」と政権復帰も視野に入れていることを隠さない。

 一方、支配層は、破局の接近と労働運動の高揚、国民の憤激を予感しながら、社民党に代わる新たな助けを必要としている。加藤紘一らが、社民党を引きつけながら、一方で、最近さかんに「自共対決」と誇大に共産党を「賞賛」しているのはその布石である。共産党の不破も、もしかしたら社民党の後がまに入れるかもしれないと、支配層に尻尾をふりはじめている。

 こういう状況下での社民党の閣外協力解消である。もしも労働運動の活動家たちが、自民党に対抗する手段としてこの閣外協力解消の社民党をいくらかでも評価しているとすれば、真剣に考え直す必要がある。労働者階級の立場に立ちながら、地方や現場でまだ社民党支持にとどまっている多くの良心派に、幻想を捨てるよう促さないわけにはいかない。

 全体的な力関係を変えようとすれば、この問題は決定的に重要なことである。

 深刻な危機のたびに、世界の資本家たちは、労働者が押し上げた政党や政治家をこうした連立政権で懐柔して労働者の反撃を抑え込み、労働者階級を犠牲にする政治を進めてきた。最近もフランスやイタリアなどで繰り返えされ、労働者は苦渋をなめさせられた。

 幻想を捨て、行動に立ちあがらなければならない。労働者階級のストライキ、大衆行動だけが唯一、確かな力である。改革政治の犠牲となっている、中小商工業者や農民と労働者の連合した力が財界・支配層との力関係を変える。そこにこそ展望が存在する。


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