980523 中央委員会声明


インド核実験に対するわが党の態度


 インド政府は五月十一日と十三日、計五回の核実験を行い、バジパイ首相が「インドはすでに核保有国となった」とのべて、公式に核武装化を宣言した。

 これに対して、米国は「インド核実験はより安全な二十一世紀を追求する妨げ」(クリントン大統領)とインド非難キャンペーンをくり広げ、経済制裁を実施し、「国際社会」に同調を強要している。

 バーミンガムでの主要国首脳会議(G8)は、「世界的な不拡散体制を強化しようとする努力に逆行し、また、地域的及び国際的な平和と安全を増進しようとする措置に逆行するもの」と、インド非難を決議した。

 中国政府も「国際的な流れに反し、南アジアの平和と安定に不利になる」「国際社会は一致して、ただちに核兵器開発を停止するようインドに強く要求すべきだ」などと、インド非難を行った。

 わが国橋本政権は、米国に追随しお先棒をかついで、「核兵器のない世界をめざす国際社会全体の努力に対する挑戦」(村岡官房長官)と経済援助停止などでインド攻撃の先陣をきっている。

 国会は、与野党全会一致でインド非難決議をいち早く採択した。共産党の不破委員長も「国際的にも核兵器廃絶の世論がかつてなく高まっているときに、世界の平和にとってきわめて憂慮すべき挑戦」といい、また、社民党の土井委員長も「核拡散を防止すべきであるとの国際世論に反する」などと、いつもながら支配層に追随している。

 わが党は、こうした流れにくみしない。

 わが党は核兵器の全面的廃絶をめざして闘ってきたし、今後もそのために闘う。

 だが、平和と核廃絶を願う国民が今回のインド核実験を憂慮していることは認めながらも、だからといって米帝国主義を先頭とするこのキャンペーンに同調することは絶対にできない。

 米帝国主義がつくりあげた核独占体制と世界支配こそ問題の核心だからである。現代世界の根本矛盾を鋭く反映したこの問題で、矛盾を塗りつぶし、ことをあいまいにすることはできない。

核兵器は誰の手によって生み出され、何のために使われてきたか

 核兵器の発生・発展の歴史は、問題の核心に迫る手がかりを示している。

 一九四五年七月十五日、米国のニューメキシコ州アラモゴードで人類史上最初の原爆実験が行われた。原子爆弾をつくった米帝国主義は、これを八月六日広島、九日長崎へ投下し、非武装の市民数十万人を一瞬にして殺りく、その災禍は五十有余年をへた今日まで人びとを苦しめている。

 米帝国主義によるこの広島、長崎への原爆投下が、強大化しつつあったソ連と国際社会主義勢力に対する核恫喝(どうかつ)であったことは今日明白となっている。だが、同時に他の資本主義諸国への米帝国主義の支配力の源泉でもあった。いうところの、冷戦と冷戦体制は、核兵器を背景として米帝国主義がつくりだしたものであった。

 以後、米帝国主義は、朝鮮戦争で朝鮮や中国に対して、ベトナム戦争でもベトナムと中国に対して、そして最近のイラクにいたるまで、帝国主義の支配、抑圧からの解放をめざす国々、米帝国主義の世界支配に反対する国々に対して核兵器使用の恫喝をくり返してきた。

 世界通貨としてのドルは、米帝国主義の世界経済支配の最大の手段となったが、同様に、巨大な核軍事力は、国際政治での米帝国主義の絶対的な発言力・支配力の源となった。

 当然ながら米帝国主義の核恫喝に対抗して、いくつかの国が核兵器を開発し、核武装することとなった。

 まずソ連が一九四九年に原爆実験に成功し、核武装した。これに対抗する形で一九五二年にイギリスも核武装した。

 一九六〇年にはフランスが、米国・ソ連中心の世界に反発して独自の核兵器を開発し、第三の道をめざした。

 中国も一九六四年に核兵器の開発に成功した。

 こうして一九六〇年代後半には、五カ国が核保有国となっていた。

 一九七〇年代後半から、とくに米国でレーガン大統領が登場して米ソ両超大国の核軍拡競争は激しさをまし、世界は、全人類を何十回殺りくしてもあり余る数万発の核兵器で満ちあふれることになった。これを仕掛けたのもまた、米帝国主義の側であった。核戦争の危険はいちじるしく高まった。

 こうした中で、広島、長崎の人びとを先頭に始まった核兵器禁止・廃絶の闘いは全世界に広がり、発展した。

 一九八〇年代後半になると、米ソ両国とも核軍拡競争に疲れ、経済力は衰えた。そしてソ連はやがて崩壊した。だが、世界経済での米国の地位も弱まった。一九九〇年代はじめに冷戦に勝利した米帝国主義は、体制再建を迫られた。

 いま、米帝国主義は、唯一の核超大国という強大な核戦力を最大限に駆使して、経済再建と世界支配の再確立をめざしている。核超大国としての地位を手放そうとはしていない。

 だが、現実にある他の核保有国を容認せざるを得ないのである。全世界での核廃絶の声の高まり中での、核支配の体制こそ核拡散防止条約(NPT)無期限延長、包括的核実験禁止条約(CTBT)である。NPT、CTBT体制へのこうした見方は、特異な観点ではなく常識であって、他の核保有国がなにがしかの発言力で満足し、弱小国家が恐れて異を唱えないだけである。

 米帝国主義は、朝鮮民主主義人民共和国やイラクが核兵器を持とうとしたか、その準備をした疑いがあるというだけで、核独占体制を破壊するものとして恐れ、軍事攻撃をふくむ厳しい「制裁」を課した。

 こうした状況下で、今回インドが核実験を行い、核保有を宣言した。

 また、パキスタンは「(核実験を)実施するかどうかではなく、いつ実施するかだ。(実施は)内閣で決定済みだ」(カーン外相)と、核武装の準備を急いでいる。

 これが核兵器をめぐる国際政治の現局面である。

核廃絶をめざして、非難されるべきは誰か

NPT、CTBTについて

 米帝国主義やそのお先棒を担いだ日本政府などは声高にインドを非難した。その批判の論拠は、「核実験は、今日の世界における不拡散、核廃絶の流れに逆行する危険なもの」であるという点につきる。

 世界の流れは核廃絶に向かっていただろうか。

 核問題の国際状況がいくらかでも「安定」したかのような根拠となっているのは、NPT無期限延長と「あらゆる核兵器の爆発実験やその他の核爆発」を禁止するというCTBTの国連での採択である。

 だが、NPTは米国を中心とする五大国の核保有を合法化しながら、非保有国には核兵器を厳禁するきわめて差別的な条約であり、その無期限延長は核独占体制の無期限固定化である。

 CTBTも米国の核開発にとっては、何の障害にもならない。米国はのべ千三十回にのぼった地下核実験のデータをもとに、臨界前核実験とコンピュータ・シミュレーションによって核兵器の開発・強化を進めることができるからである。米国は一九九六年九月十日にCTBTが採択された後も、一九九七年七月と九月に臨界前核実験をくり返した。

 フランスも中国も、核兵器の開発・強化を米帝国主義に独占させないために、CTBTが採択される直前に、あいついで核実験を行い、米国と同様の手法で核開発・強化を進める体制整備を急いだ。

 今日なお、世界には、米国に一万五千発、ロシアに二万四千発、フランスに五百発、中国に四百発、イギリスに三百発(いずれも推定)の核弾頭が蓄えられ、不断に核兵器の開発・強化が進められている。

 これが世界の現実である。

 「核廃絶は世界の流れ」という主張は、インド非難の口実にすぎないのである。

核恫喝による国際政治の現実

 現実の国際社会は矛盾に満ち、階級対立、国家間の利害対立が現実に存在している。そうした国際社会にあって、核兵器は巨大な発言力、時によっては国際問題での決定的な手段ともなっている。この手段を手に米帝国主義は核恫喝をくり返し、世界支配を維持してきた。

 国際政治は、核軍事力に裏づけられてそれぞれの国の発言力があるという事実に立脚しているのである。例えば、三流四流ともいえる経済実態しかないロシアが、サミット参加国になれたのも、旧ソ連を継承した膨大な核軍事力が背景にあることは否定できない。

 こうした現実がある以上、核軍事力をもって自国の安全を確保し、また、国際的な発言力を強めようとする国が登場してくるのは避けがたいことである。米帝国主義の核恫喝にさらされた国は、屈服するか、核を持つかの選択を迫られることになるのは必然である。

 中国の軍縮大使は一九九六年、CTBT採択前の中国核実験に関連して「一部の国は、覇権を求める野心、内政干渉の行為を改めず、核優位を求める計画にも変更はない。核威嚇政策もまったく弱まっていない」と米帝国主義を非難し、独立自主外交を保障し、対等な対米関係をめざして核開発を続けることを明言した。当時、フランス外相も「われわれは核軍縮を望む。だが実際問題として、われわれの国防は核抑止力に大きく依存している。日本の防衛も、米国との安保関係を通じ、核抑止力に依存している」と発言した。これは両国にとっては道理である。

 いま、同じ道理をインドが主張しているにすぎない。中国やフランスには正しくて、インドにはその同じ言い分が通らないということはあり得ない。

 バジパイ首相が、「先進国は核兵器を製造し続けてきた。核兵器が何度でも世界を破壊しうるというインドの警告を無視してきた。彼らが核兵器を持つのはいいが、インドはだめだという。なぜだ。われわれがどんな罪を犯したというのか」というとき、核保有国がどうしてこれを非難できるのか。

 核をもたなければ真の独立国になれない世界政治の現実が変わらない限り、誰もインドの核保有を止めることはできないし、他の国がこれに続いていくことも止められない。

 現に、米帝国主義に「核疑惑」の攻撃を受けているイラクはインド核実験について、「南アジアの大国は、核保有五大国と同様に核兵器を所有する権利がある」と声明した。イラン政府は、「インドが実施したいま、パキスタンもこれに続くときだ」「米国の制裁など恐れるに足りない」と公然とパキスタンの核実験・武装支持を表明している。

 大国の核独占体制は崩れた。インドに続いて、さらにパキスタン、その次の国と、核武装国は地球上に増えるであろう。核に裏づけられてしか、真の主権行使が容易でない国際社会の現実がある以上、こうした選択には根拠があるといわなければならない。

非難されるべきは誰か

 だから世界の核の脅威は、新たな高まり、危機的状況を迎えることになる。

 この最大の責任は、最初に核兵器を開発し、そして唯一実戦に使用し、いまも核武装力による世界支配をたくらみ、中小国の国家主権を制約し、内政干渉をほしいままにしている米帝国主義が負わなければならない。本当に核兵器を廃絶に向かわせようとするならば、米国の核をまず廃絶する以外にない。米帝国主義にインドの核実験を非難する資格などまったくないのである。

 ロシア、イギリス、フランス、それに中国などの核保有国は、核独占体制の一角を占めることで、米帝国主義が主導する国際政治の上で、あるいは米国との二国間関係で、非保有国に比べて何かと有利な地位を占め、利益を享受している。仮に、核廃絶を望んでいるとしても、あるいはやむなき妥協だとしても、なにがしかの責任の一端は、これらの国々にもあるといわなければならない。新たな核保有国の登場だけを非難するのは道理に反する。

 独自の核武装はしていないにしても、わが国も同様である。戦後一貫して、今日もなお米国の核の傘の下にあり、米軍の核持ち込み、核貯蔵・通過を許してきた。特にいま、九六年四月の日米安保共同宣言、それにそってのガイドライン、周辺事態法案と、いちだんと米帝国主義の核兵器を中心とする戦略体制に組み込まれ、中国、朝鮮など周辺諸国の大きな脅威となっている。こうしたわが国政府にも責任の一端があることは明白である。わが国政府には、自らの政策で脅威を与えている国々の核武装についてあれこれいう権利はない。

 だから非難されるべきはインドでないことは確かである。

 インド政府は、「中国の脅威」とか、また、パキスタンなど近隣諸国との関係をもちだして、これに対抗するための核実験・核武装という主張もしたが、これには賛成できない。こうした主張は、インドの独立・国家主権確立といった範囲を超えて、地域の不安定化をもたらすものだからである。

 同時に、これに過剰に反応することにも反対である。当面はともかく、この対立は米帝国主義によって必ず利用されるであろう。

どのようにして核兵器廃絶は可能となるか

 核兵器廃絶は緊急の全世界的な課題である。

 核兵器廃絶の要求は、人類として当然の要求であり、とくに被爆国の国民として片時もゆるがせにできない課題である。こうした要求を支持し発展させ、国際世論を高め核兵器廃絶を実現しなければならない。

 しかし、軍事や武装力の問題は政治の延長である。客観世界の利害対立を基礎に激化した矛盾を、特殊な手段、すなわち武力をもってする解決こそ、軍事であり戦争である。核兵器は危険きわまりない特殊な武器ではあるが武器に違いはなく、使うのは特定の人間(集団)であり、その政治(目的)である。武器だけを、そうした諸関係から孤立させてなくすことは不可能である。

 米帝国主義は、その開発と使用の歴史でも明らかだが、社会体制を異にしたソ連や中国など、また中小国家はもちろんのこと、フランス・イギリスなどの帝国主義国をも抑え込む政治目的のために核兵器を最大限に使ってきた。核恫喝、核威嚇政策である。核兵器は、二十世紀後半の帝国主義政治の他国、他民族への抑圧手段としてまさに存在してきた。

帝国主義と核兵器は今日不可分である。

 だから、帝国主義を追いつめ、うち破る闘いと結びつける以外に、核廃絶に向かわせることは困難である。米帝国主義がその世界支配維持の根幹であり、不可欠の要素と見なしている核兵器を自ら捨てることはあり得ないからである。

 核兵器の廃絶は、超大国が支配抑圧する世界を変えて、国家主権が尊重される、すべての国が平等な世界を実現する闘いでもある。核兵器廃絶と帝国主義打倒の闘いとは不可分である。

 NPTやCTBTによる核独占体制が万が一機能したとしても、核の脅威は去らないし、核廃絶にはまったくつながらない。それは幻想にすぎない。

 核独占体制によって、米帝国主義だけでなく、ほかの少数の核保有国も何らかの利益を享受しているうちは、これらの国が真に核軍縮・廃絶に取り組まないのは一定の根拠あることだからである。また、米帝国主義は、これらの核保有大国と非核保有の大多数の中小国を切り離し、差別して核廃絶の国際世論をかわしてきた。

 核独占体制がうち破られ、さらに多くの国々が核兵器を所有するようになれば、この利益享受の関係は成り立たなくなる。核保有国としてのインドの登場と予測される事態は、強国の核政策を本質的に破たんさせた。

 逆説的ではあるが、核拡散の現実と米帝国主義の核独占政策の破たんは、核廃絶の緊急性だけでなく、またその廃絶の可能性の高まりも意味する。

国際政治状況の変化は、核兵器廃絶と全世界の抑圧された国家、人民にとって悪いわけではない

 インドの核武装は、米帝国主義中心の核独占体制に風穴をあけた。インドにとっては、核武装は帝国主義に反対し民族の完全独立、国家主権の完全な実現を闘いとるための手段であった。インドが、国際政治での発言権を強めることは間違いない。

 核恫喝の政治が続く限り国際社会での発言力が弱く、帝国主義、覇権主義に主権を脅かされ、不満を高めている国々が、核兵器保有に踏み切ることは止めようがない。

 これは悲しむべきことだが、同時に、核独占、核威嚇政策で世界支配をたくらんできた帝国主義には非常に不利な事態である。帝国主義の核恫喝・威嚇政策を無力化させるからである。

 米国の元大統領補佐官ブレジンスキーもこの新たな現実を認めざるを得ない。「(インドの核実験は)米国の核拡散防止政策の破たんを顕著に示している。米国は、真に普遍的であり、差別的でない拡散防止政策を追求したことなど一度もない。(核保有国とイスラエルなど)これ以外の国が自分たちの固有の定義に基づく国益を追求する道徳的、政治的権利を有していると感じたとしても驚きに値するだろうか」と。米帝国主義の有力な戦略家が、帝国主義による核独占政策の破たんを宣言したのである。

 国際政治は新たな状況に移った。中小国家、帝国主義に抑圧された民族、国家が、国家主権の確立、平等な国際社会を主張して米帝国主義と堂々とわたりあう時代が始まる。

 同時に世界人民は、世界中に広がる核兵器という現実に直面することになる。深刻な核恐怖である。

 もちろんNPTやCTBTのもとでの、「管理された核」などという幻想もインドの爆風に吹き飛ばされた。

 全世界人民にとって、核兵器廃絶はますます緊急の課題となって、真剣な闘いが求められる局面となった。

 核保有の各国政府は、これまでと違った対応が可能であり、それを迫られるであろう。

 帝国主義の核独占政策が破たんした結果、核廃絶の闘いは新たな局面を迎える。

 米帝国主義の核独占による世界支配政策は破たんした。何らかの戦略的変更を迫られるであろう。米国はインド非難で、この流れを覆い隠すことはできない。

 他方で、米帝国主義の核支配体制とならぶ、もう一つの世界支配の手段であった国際通貨基金(IMF)・ドル体制もかつてのような力はなく、崩壊寸前である。

 米帝国主義はかつてない困難に直面し、全世界人民に有利な状況である。

 インドネシアで、韓国で、中東で、全世界各国で抑圧され、貧困に苦しむ人民が、帝国主義の支配、干渉、圧迫と闘い、その下での貧困からの脱出を求めて闘っている。

 帝国主義、資本主義国の労働者人民は、帝国主義の抑圧と闘うすべての国々、人民と団結して、米帝国主義との闘いを発展させなければならない。この闘争の前進、勝利の中で帝国主義の握る核兵器を廃絶に追い込むことが可能となる。

 世界は、そうした可能性の大きな局面に入った。

 帝国主義の打倒、核兵器廃絶の闘いの大前進のチャンスである。前進しよう!

(中・小見出しは労働新聞編集部)


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