980515 社説


26回目の「五・一五」

安保揺さぶる沖縄の闘い、断固発展させよう


 二十六回目の「五・一五」がやってきた。一九七二年五月十五日、米軍に戦後二十七年間支配されてきた沖縄が日本に復帰した日である。

 しかし、日本国土のわずか〇・六%の沖縄に、全国の七五%の米軍基地が押しつけられている過酷な現実は、基本的に変わらない。復帰前、県民は沖縄の「即時・無条件・全面返還」「基地のない平和な島」を求め、数度のゼネストを含め断固として闘い続けてきた。しかし、当時の佐藤自民党政権は沖縄の願いを踏みにじって、ニクソン米大統領との間で「本土並み、七二年返還」合意を強行したのであった。

 こんにちもなお、沖縄県民は普天間基地の無条件全面返還、米軍基地撤去などを掲げて闘いを発展させている。沖縄の闘いは、現在のわが国の国民的闘いの中で最も力強い部分の一つであり、日米安保体制に基づく新たな日米政治戦略同盟の足下を揺さぶり続けている。

 引き続き、沖縄に連帯する闘いを全国に広げることは、独立・自主のわが国の進路を切り開くうえで重大な課題である。同時に、今国会に提出された日米防衛協力の指針(ガイドライン)関連法案など安保再定義の具体化に反対し、全国で広範な国民的運動を発展させなければならない。

進まぬ普天間返還と県民の怒り

 当面焦点となっている普天間基地返還をめぐって、沖縄県民は橋本政権と真っ向から対決している。

 昨年十二月、移転候補地の名護市民は、住民投票によって海上ヘリポート基地建設拒否の意思を明確に表示。その結果を受けて本年二月、大田沖縄県知事も海上ヘリ基地反対を正式に表明するに至った。

 こうした沖縄の動きに対し、日米両政府はあくまで県内移設を狙って、さまざまな圧力を強めている。

 まず橋本政権は、沖縄側から何ら譲歩を引き出せないとして、四月中旬以降に予定されていた大田知事・橋本首相会談をキャンセル。

 宮平・沖縄県副知事が古川官房副長官との会談で、「普天間飛行場のグアム、ハワイなどへの移設」などを要請すると、「このままの(対立)状況が続いて、普天間返還が凍結されてもよいのか」と脅すありさまである(五月八日)。さらに政府首脳は、政府への服従程度に応じて「地域振興策」で差をつけると、露骨なアメの政策を示した。またこの期間、自民党幹部などから、海上基地に代わる民間空港併設案やキャンプ・シュワブ内併設案、海上埋め立て案など、さまざまなぎまん的提案が打ち出されている。

 しかし四月下旬、来日したオルブライト米国務長官は、小渕外相に対し「海上ヘリ基地が最良の選択」とクギをさした。

 そもそも普天間返還案は、日米安保再定義の直前の九六年四月、米兵暴行事件以来高まる沖縄県民の憤激をかわす狙いで打ち出されたものである。それが、普天間を含む県内十一施設の返還という日米特別行動委員会(SACO)報告に引き継がれた(九六年十二月)。

 しかし、SACO合意なるものは、「米軍事機能維持」を前提に県内海上施設建設という条件付きの代物である。県民は、基地のたらい回しであるぎまん的なSACO合意をすぐに見破り、それを許さない闘いを堅持している。日米両政府の姑息(こそく)な策動は、新たな怒りを呼び、政府がますます窮地に立たされるばかりである。

ガイドラインで過重な負担

 加えて問題なのは、ガイドラインとその関連法案による、米軍に対する協力強化の問題である。

 戦後の沖縄にとっては、朝鮮戦争やベトナム戦争で同県の基地が出撃基地になった苦い教訓がある。こんにちも、中東も含む広範囲な海外への公然たる出撃基地になっている。この二月、イラク攻撃準備ため米空軍戦闘機が嘉手納基地から中東へ向かった。今月も、嘉手納のF戦闘機十八機と隊員三百人がイラク監視に向かうことが明らかになった。

 さらに、ガイドラインでは米軍に対する後方支援活動で、港湾、空港、病院の活用や地方自治体、民間の協力などが想定されている。すでに昨年、本土での実弾砲撃演習に向かう米軍部隊輸送に一時期、沖縄から民間機を使用。さらにこの一月、米軍が関西空港まで弾薬、小火器など約六十キロの輸送を日航旅客機に依頼し、乗員組合の点検で結果的に輸送されなかった事案が発覚した。いわばガイドライン関連法案の先取りの事態は進んでいるのである。

 こうしたガイドラインの具体化と、国会に提出された関連法案に対し、大田知事や親泊・那覇市長らは、米軍事協力の強化、基地の固定化・強化と受け止め、直ちに警戒感と反対を表明した。大田知事は戦時中の「沖縄戦」に触れて警戒感を表し、親泊市長は「那覇港の軍事利用によって平和な市民生活が脅かされることは容認できない」と断言した。こうした、過去の苦い教訓から自治体の反発は当然である。

 普天間も返還されず、ただでさえ基地の重圧に苦しむ県民は、ガイドラインによってさらに負担と危険が加重されることに、憤りを倍加させている。

情勢は有利、広範な国民的闘いの発展を

 九五年九月以来の高揚、「沖縄の一撃」は、当時の村山内閣成立によって「安保は国内の争点でなくなった」という政治状況を一変させた。クリントン米大統領も訪日の延期を余儀なくされた。

 一連の沖縄の闘いは、五〇年代の土地闘争、七〇年代の祖国復帰闘争などに次いで、大きなうねりとなった。米兵少女暴行に憤激して基地の整理・縮小などを求めた約九万人の県民大会、大田知事の米軍用地使用の代理署名拒否、県民投票による「基地の整理縮小と日米地位協定見直し」要求(九六年九月)、軍用地特別措置法反対の闘い(九七年四月成立)、海上ヘリ基地建設を拒否した名護市住民投票(九七月十二月)などと、闘いを堅持している。

 沖縄の闘いは本土に広く波及、連帯の闘いを呼び起こした。また沖縄の実弾砲撃演習移転に反対して、移転候補先の大分、北海道、宮城などでも大規模な大衆闘争が繰り広げられた。

 今後も沖縄の闘いは、紆余(うよ)曲折はあろうが、米軍基地と政府の圧力がある限り、各界各層からなる県民運動として発展することは疑いない。現に、橋本政権の態度に怒り心頭だ。市の中心部に普天間基地を抱える宜野湾市の比嘉市長は五月上旬、普天間返還の凍結論などに対して、「そうなれば市民は黙っていない。市民ぐるみの返還運動に取り組む」と重大な決意を表明している。五月十五日からの平和行進に続き、十七日には二万人規模の普天間包囲行動が予定されている。

 沖縄の闘いを発展させるうえで何よりも重要なことは、沖縄以外での地域で、連帯行動や安保破棄、米軍基地撤去の運動をつくり上げることにある。

 ガイドライン関連法案に対しては、地方自治体から強い警戒と反対が示されている。基地を抱える二百六十一市町村と東京都からなる全国基地協議会は反発して、政府に「緊急要望書」を提出した。

 全国の各県で、沖縄の闘いに見習い、各界からなる県レベルの運動を発展させる必要がある。その客観的条件は整いつつある。

 そういう状況のなかで、共産党はわが国を「基地国家」などと称してぎまん的な闘うポーズを見せている。しかし、「政治が変わるのは選挙の節目、節目だ」(不破委員長発言)などといって、選挙を通じて政治を変えるという主張は、選挙を通じないで政治状況を一変させた九五年九月以来の沖縄の大衆的闘いを否定するに等しいではないか。かれらに何ら期待できないことを見ておく必要がある。

 支配層にとって最も恐ろしいのは、あれこれの政権構想や取引材料でコントロール可能な議会での抵抗ではない。人心がかれらから離れ、決定的な国民の反撃が始まることである。

 橋本政権は、諸方面で完全に窮地に立っている。長期にみるならば、力関係の全体は支配層に不利に、沖縄県民と闘う国民の側に有利に変化している。断固、闘いを発展させよう。


Copyright(C) The Workers' Press 1996, 1997,1998