971115 社説
米軍基地の賛否問う名護市民投票
政府の分断、懐柔策打ち破れ
米軍の海上ヘリポート基地建設の是非を問う名護市の市民投票が十二月十一日告示、二十一日投票と決まった。政府、自民党はこれに対抗して自由貿易地域の指定、税制での優遇など様々な地域振興策をふりまいて、賛成票の獲得にやっきである。しかし、卑劣な懐柔策にもかかわらず、海上ヘリポート建設に反対する名護市民の闘いは前進している。
この市民投票は窮地の橋本政権を追いつめる重大な闘いとなるであろう。もし市民投票の結果、圧倒的な反対の意思が示され、ヘリポート建設計画が挫折することになれば、沖縄問題の日米特別行動委員会(SACO)合意で橋本政権が進めてきた、普天間基地返還と抱き合わせの県内移設、本土を含む基地ころがしの策動などのぎまん的な沖縄政策は、深刻な壁に突き当たることになる。
これは、橋本政権が米国に約束した沖縄の米軍基地機能維持のための様々な画策の失敗を意味し、日米軍事協力の指針(ガイドライン)の見直し、さらに有事法制整備など、安保再定義にもとづき進められてきた日米両政府の危険な選択を根底から立ち往生させかねないものである。
従って、これはアジアに敵対する安保再定義の道に反対する、全国民にとっても重大な、注目すべき闘いである。
島ぐるみ闘争を恐れる橋本政権
一九九五年九月の米兵による少女暴行事件を契機に沖縄県民の米軍基地撤去、地位協定見直しの声は大きく高まり、沖縄のすべての階層を巻き込んだ島ぐるみ闘争に発展した。そして、この闘いは、日米安保体制そのものの廃棄を要求し、自主的な国の進路を求める全国的な闘いとなって日米両政府を震え上がらせた。
また、この闘いは米国の新たな「東アジア戦略」にそって進められようとしていた安保再定義への重大な障害となって立ちふさがったのである。
追いつめられた橋本政権は、日米安保共同宣言(安保再定義)の直前の九六年四月十二日、米国と妥協し「日米両政府が普天間飛行場の全面返還で合意した」と発表した。あたかも沖縄問題の解決に、真剣に取り組んでいるかのようなポーズをつくろい、闘争の鎮静化をはかろうとした。
しかし、沖縄県民は「普天間飛行場返還」の合意が条件付き返還、つまり県内移設であることを直ちに見抜き、さらなる反撃の闘いに立ち上がった。嘉手納弾薬庫など新たな基地の候補地とされた地元では移設反対の運動が高まった。また、沖縄県民はこの怒りを九六年九月八日に行われた沖縄県民投票という直接民主主義によって見事に示した。投票の九割が「基地の整理縮小と日米地位協定見直し」に「賛成」の意思を表明したのである。
しかし、直後の九月十三日、橋本首相との会談後、大田知事は米軍用地強制使用の公告縦覧代行に応じることを表明、闘争の局面は変化した。これを契機に橋本政権は「沖縄問題は解決した」と世論誘導し、十月総選挙を乗り切ったのである。
九月十七日、沖縄を訪問した橋本首相が普天間の代替施設として「撤去可能な海上施設」案を公表。つづいて十一月十六日、防衛庁長官が海上施設について「キャンプ・シュワブ(名護市)が有力候補地」と表明。十二月二日のSACO最終報告で、普天間飛行場の返還と沖縄本島東岸沖での海上施設建設を日米両政府が合意することとなったのである。
橋本政権の狙いは明確である。沖縄問題の解決に真剣に取り組んでいるかのように振る舞い、世論の反発を弱めながら、実態は、基地機能と兵力の維持を戦略課題として居直る米国に全面協力し、沖縄県内の基地移設と統合強化を財政面からも支援し、はては本土での米軍実弾演習にまで道を開いた。さらに、沖縄県民の怒りと闘いを抑え込むことを狙って、さまざまな地域振興策などを打ち出し、県民運動の分断に血道をあげてきたのである。
これはまさに、アメリカの手先となり、県民、国民の願いを裏切り、踏みにじる、売国奴の行いである。
振興策をエサとした姑息な分断策
ヘリポート建設の候補地とされた名護市では、当初、比嘉・名護市長を実行委員長とする「ヘリポート基地移設反対」の市民総決起大会を二度開催、また名護市議会でも「ヘリポート基地移設反対」の決議が全会一致で二度可決されるなど、全市をあげての反対運動が取り組まれた。 しかし政府は、卑劣にも立ち遅れた沖縄東部地域の開発をエサとして地元自治体、保守派への懐柔策を強めた。市長への工作と圧力が強められ、地元経済界を通じた「地域振興を条件とする」「賛成派」の形成が画策された。
住民投票はこのような中で、市民から提起された闘いであった。
十二月二十一日投票の住民投票は、市民が求めていたヘリポート基地建設の是非を問うという主旨(「賛成」か「反対」か)からすれば、ねじ曲げられたものとなった。市長の意向で、投票は四者択一形式となり、地域振興への国の支援という条件つきで賛成か反対かを問うという、新たな選択肢が加えられた。なんとしても反対票を過半数以下に抑えようという姑息(こそく)な手段である。しかし、住民投票の実施は、すでにそれ自身で市長・市議会と県の理解(建設容認)でヘリポート建設を進めようとしていた政府をあわてさせ、なりふり構わぬ策動を引き出し、橋本政府の卑劣で、売国的な実態を満天下にさらすものとなったのである。
アジアとの共生こそ沖縄の未来切り開く
十一月七日、国会内で大田知事と会談した橋本首相は、ヘリポート建設が破産し「普天間返還が実らないと、次の基地整理・縮小・統合が困難になる」と、あたかも沖縄県民の闘いが基地の整理縮小を妨害しているかのように言い、「県側の協力が十分でない」と脅しをかけ、知事の動揺を引き出した。市民投票の前に知事に基地容認の発言をさせ、市民投票を有利に導こうという策動である。
地元名護市民はじめ沖縄県民に「沖縄の振興策か、基地受け入れか」の二者択一を迫る、この橋本の発言は、きわめて許しがたいものである。
本来、沖縄県経済が戦後の本土の経済発展に遅れ、その恩恵に浴せなかった最大の根拠は在日米軍基地の七五%を押し付けられてきたという歴史的事実によっている。唯一の地上戦であった沖縄戦の惨禍の上に、本島主要地域を米軍基地に占拠されるなど沖縄経済の自律的発展は大きく阻害されてきた。その苦難を戦後五十年も一方的に押しつけ続けた責任も忘れ、沖縄県民に痛苦な選択を迫るなど、わが国政府にできることではない。
九五年秋からの沖縄県民の島ぐるみの闘いは、基地のない平和で豊かな自立した沖縄を求めた闘いであった。「国際都市形成構想」と「基地撤去のアクションプログラム」が県民各層の幅広い支持の下で、闘いの結集軸になったこと、またこの構想がアジアとの共生を願う全国民の熱い注目を集めたことは、その表れであった。
いま改めて想起すべきは、「米軍基地の島沖縄」と、「アジアとの共生と交流の拠点沖縄」とは両立しないということである。
一昨年の台湾海峡危機に際して沖縄の基地はまさに臨戦体制となり、自衛隊も米軍基地や沿岸警備の体制を検討したことが報じられた。ガイドラインの見直しは、中国を始めアジア諸国の警戒感を拡大させている。市当局、推進派の人びとは、深くこの根本問題を思い起こさなければなるまい。
あわせて、明記しなければならないのは、沖縄を孤立させない本土での闘いの発展こそ重要だということである。
問われている最大の課題は、米軍基地撤去、安保条約破棄の闘いを、わが国進路をめぐる最大の課題として、いっそう幅広く国民的戦線を形成して発展させることである。とりわけ、安保再定義のもとで進められている、新ガイドライン、有事法制整備の策動を打ち破る闘いは当面の焦点である。アジアとの共生で、独立、自主の国の進路をかち取る闘いの発展こそ、沖縄と真に連帯する道である。
沖縄と本土、沖縄県民同士の分断を許さず、全国民は名護市民の闘いを支持し闘おう。 頑張れ、名護市民!
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