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社会保障制度の解体ねらう

医療保険制度抜本改革案を打ち破ろう


 厚生省は八月七日、「二十一世紀の医療保険制度・厚生省案―医療保険及び医療提供体制の抜本的改革の方向」を発表した。

 現在、自・社・さの連立与党の医療保険制度改革協議会が、この「抜本改革案」をもとに、月末にむけ来年度からの「改革」の具体案の策定を急いでいる。政府は財政構造改革方針の下、来年度予算の社会保障関係費を、高齢者数の増加に伴う自然増八千五百億円を三千億円に抑えるという枠を決めている。従って、その差額の五千五百億円を削り込むことが当面の予算編成の至上命題となっており、政府は、この「抜本改革」を進め、しゃにむに予算の削り込みを実現しようというのである。

 省庁再編や内閣機能強化を打ち出した最近の行政改革会議の集中討議にみられるように、橋本首相が掲げた六つの「改革」は、その一つひとつの姿が次第に明らかになっている。政府や財界、そして全マスコミを挙げて、「改革」の大合唱が奏でられている。しかし「改革」は、多国籍化した大企業の利益のための、国内再編の政策で、多くの国民にとっては、耐えがたい犠牲の押しつけ以外の何物でもない。今回の医療保険制度の抜本改革案は、まさにその典型であり、「改革」の本質を最も雄弁に物語る、許し難いしろものである。

驚くべき抜本改革の内容

 今回の、厚生省の医療保険制度改革案の柱は次のようになっている。

 (1)現行の薬価基準制度を廃止。保険から病院などに支払う医薬品の価格に上限を設け、上回る分は患者負担とする(参照価格制度)、(2)診療報酬体系で、慢性期医療を「定額払い制」にする。これも上回る分は患者負担である、(3)高齢者だけを対象とした独立保険制度を創設する、(4)独立制度創設に伴い、高齢者からの保険料徴収の対象範囲を大幅に拡大する、(5)高齢者の負担の定率化(一〜二割)の導入、(6)サラリーマン本人の負担増(三割程度)、(7)高額療養費制度で月六万三千六百円の自己負担限度額を引き上げる、などである。さらに、中小企業などで働く労働者が多く加入している政府管掌健保への国庫負担金(九七年度予算で約九千二百億円)の廃止など、国の責任を大幅に投げ出すことも提案されている。

 厚生省の抜本改革案を一目見て、あぜんとした国民は多いはずである。まさに一目瞭然で、どれもみな患者や国民の医療費の負担増をもたらすものばかりがズラリと並んでいる。

 一方、この九月一日より、先の国会で成立した医療保険制度の改定が一足先に実施される。国民の強い反発を招いたこの改定も、今度の厚生省の抜本案に比べればまだ「序ノ口」のようなものであることがわかる。にもかかわらず国民の負担はこの段階でも耐え難いものとなる。

 例えば、サラリーマン本人の医療負担はこれまでの一割から二割にはね上がり、高齢者の外来はこれまでの月千二十円が、月四回まで毎回五百円に、入院は一日七百十円が千円に増額される。これらの結果、患者の負担は全体で約一兆二百億円増え、これまでの二倍以上の負担が家族や患者本人の肩にのしかかることになった。新たな負担は一世帯当り約二万八千円余に上ると計算されている。

 連立与党で論議されている「厚生省案」は、こうした国民負担を「抜本的」に、きりなく、増加させようというものに外ならない。

金持ち優先の薬価制度改革

 日本の医療費約二十七兆円の中で、三割、八兆円を占める薬剤費は、医療保険財政悪化の要因となっているといわれてきた。「諸外国に比べ割高」と指摘される薬価制度の改革は、今回の抜本改革の一つの目玉として宣伝されている。確かに従来の「薬価基準制度」は、薬剤価格決定をめぐって、厚生省と製薬メーカーの談合・癒着の温床となってきた。HIV感染の惨劇を招いた輸入血液製剤問題での製薬資本と厚生省の悪質な癒着が暴露されたことはまだ記憶に新しいことである。

 だが厚生省は、これまでの薬価基準制度という価格決定方式に全く反省も示さず、今度は参照価格制度を導入するという。参照価格制度とは、薬を成分や効能ごとにグループ分けし、医療保険から病院への支払価格を設定し、この価格を上回る分は患者負担とするシステムである。

 確かにこうすれば、患者負担の増加を恐れる医療現場では治療効果より割安な薬剤を使用することが優先され、保険料は圧縮されると予測されている。

 しかし肝心なのは「上回る分は患者負担」にするという仕組みである。新薬や効き目のある医薬品での治療を受けようとすれば保険負担分以上の差額をたっぷり取られるという具合で、とどのつまり患者の負担が増大するだけなのである。

 今回の厚生省案について、「それにしても『過激』な改革案が出されたものである」「どれも、一歩間違えば、『地獄の沙汰(さた)も金次第』に道を開く内容だ」(八月八日付け、朝日新聞社説)との厳しい評価が商業紙にさえ登場している。まさにその通りで、このままでは、医療サービスは金持ちだけの特権となり、多くの国民は病気になっても病院にもかかれない、効果のある薬は金持ちしか使えないなどという事態が生まれかねないのである。

命、健康守るための国民的闘いを

 国民の生命、健康を守ることは、憲法でも規定された国の最低限の責任である。バブル崩壊後の数次にわたる景気刺激策など、大企業の発展に奉仕することで作り出された財政危機を理由に、国民の健康と生命を犠牲にすることなどおよそ許されることではない。

 もし医療保険の赤字や社会保障の財源を問題とするなら、まず、税負担軽減措置などで厚く守られ、円安の下で史上最高の収益を上げている大企業に負担に求めるべきである。アジアの脅威となるほどに拡大した軍事費の削減によって、財政を作るべきである。その余裕は十分にある。

 「改革」の理由に、財政危機とか高齢化社会の到来などとまことしやかな理屈を政府支配層は宣伝している。しかし、それは多国籍化した大企業が大競争時代といわれる国際競争に勝ち抜くために、国内でのコストを最小限に抑えたいという「小さな政府」の要求に応えるためのものに過ぎない。これは徹頭徹尾大企業のための「改革」である。

 最近、自民党の山崎拓政調会長は「薬価は一九九八年、診療報酬は九九年、高齢者医療は二〇〇〇年」と医療保険制度改革の段階的なスケジュールを明らかにし、抜本改革を急ぐ姿勢を再度明らかにした。

 戦後、国民の要求と闘いを背景に形成されてきた社会保障制度としての医療保険制度を根本的に解体し、自己負担と市場原理に置き換えようというのが、この「改革」の正体である。

 一方、与党の医療保険制度改革協議会に参加する社民党からは、あまりの国民犠牲に「弱者のための政治」の否定につながると深刻な動揺も生まれている。しかし、財政構造改革を推進してきたこの党に、改革政策に反対を貫くことを期待することができるだろうか。すでに土井委員長は「野党になるとか政権離脱だとか、決めてかかるわけではないけど…」などとあいまいな態度を見せている。社民党を取り込むことで、労働組合を押さえ込み、国民の反発を幻惑しつつ、抵抗の強い社会保障制度の全面改悪を果たそうとしている支配層の策動を見抜かなければならない。

 幻想を捨て闘おうとすれば条件は各所に広がっている。既に述べたように製薬業界や医師会のような、自民党の歴史的支持基盤が存亡の危機にたたされ、反対の動きを強めている。自民党内部にも今回の厚生省案に対する反発と動揺は拡大している。すでに五月の医療制度改悪では保険医協会、各種患者団体、地域老人会などが奮闘した。制度改革で、医院や病院も経営を揺るがされる。規制緩和には薬剤士会や看護協会が反対している。九月臨時国会に向けて公的介護保険に反対する地域ぐるみの闘いも発展している。

 「改革」は政府支配層にとって深刻な内部矛盾を生み出し、新たな敵をつくり出している。まさに支配層は薄氷を踏む思いである。

 闘う側に今問われているのは、従来のいきさつや団体の枠を超え、医療制度改悪反対で広く連携し力を生み出すことである。国民運動と世論の喚起をこそ急がなければならない。

 わが党は犠牲を受ける各界、各層の団結を呼びかける。連携を強め、改革政策を挫折させるために闘いを一層強めよう。


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