野村証券、第一勧業銀行の商法違反事件は、銀行・証券会社と総会屋との癒着(ゆちゃく)の構造をあからさまに示した。今回の摘発は、業界におけるこうした構造の氷山の一角にすぎないであろう。こうした構造は、金融界が「円滑」にボロもうけをするためのシステムとして長年活用されてきたといえる。
そもそも、どうして、金融機関と総会屋との癒着の関係が形成されてきたのか。
ある都市銀行幹部は「金のからむトラブルを解決するため、銀行は創業以来、総会屋を仲介役として使ってきた」と新聞社のインタビューに答えている。例えば、バブル期は典型的である。八〇年代末、金融機関は、バブル景気で含み資産を拡大させ、膨大な利益を上げた。この時期、銀行などは土地を担保に際限なく融資を行った。また地上げなどに手を染めた。証券会社も金余り現象にのって、「絶対損はさせない」などと顧客に、投資させ続けた。そうして今、多くのトラブルが発生している。
さらに野村、一勧を含む金融機関は大もうけの過程で、それに伴うさまざまな金融犯罪やスキャンダルも起こしている。それを、総会屋を活用して隠ぺいしようとしても不思議ではない。
前述の都銀幹部の証言にあるように、金融機関と総会屋との癒着は歴史的に形成された構造である。
金融機関がうさんくさい金もうけを円滑に行うためのいわば闇(やみ)の金融「システム」をつくったのである。
さらに、野村証券は新規店頭公開株を政治家、官僚、総会屋などに優先的にまわす「VIP口座」もつくった。スキャンダルや金融犯罪をおおい隠すための、かれらへのワイロとみられている。
一方、重大なことは、大蔵省は、こうした金融犯罪、スキャンダルを知っていて、放置していたことである。九一年、野村証券の田渕社長は、損失補てんを行い、引責辞任に追い込まれたが、株主総会で「大蔵官僚のアドバイスと奨励で行った」と暴露している。
戦後、日本経済は、大蔵省と日本銀行による金融一元支配のシステムで、国民に貯蓄を奨励し、その貯蓄を低金利政策によって、大企業に有利に貸し付けるなど戦略産業育成の資金にしてきた。大蔵省と金融機関は一蓮托生(いちれんたくしょう)で、今日の腐敗の構造をつくりあげたのである。
今回の事件後、マスコミは金融の規制緩和、ビッグバンの早期実行をいっせいに主張し始めた。
今回の野村、一勧事件の摘発は、ビッグバン推進に向けた荒療治ともみられなくはない。しかし、いずれにせよ大手金融機関が、国民の貴重な財産を使い、きたない手を駆使してでも、利潤追求する姿をばくろしたのである。
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