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 国民の生命と暮らしをおびやかす

「社会保障制度改革」を阻止しよう


  国民の生命と暮らしに直結する、社会保障制度の抜本的な解体が、「財政再建」を旗印に急速に進められようとしている。

 政府は、この六月中旬にも「財政再建法」の骨子をまとめ、秋の国会への提出を予定しているが、歳出削減の最大のターゲットにされるのは社会保障費である。

国民の命を削る社会保障制度改革

 五月二十二日、公的介護保険法案が、自民、社民、さきがけ、民主、太陽党などの賛成多数で衆院を通過し、参院へ送られた。また、それに先行して医療保険制度改悪法案も、五月八日に衆院を通過し、参院での審議が始まっている。

 高齢化社会に備えるとか「財政再建」のためとして、政府にとって最も金のかかる、医療、福祉、年金などの社会保障関係費を切り捨て、国民への負担増加を押しつけようというのが両法案のねらいである。

 医療保険制度改悪法案によれば、社会保険に加入する本人の負担は、現行の一割から二割に増額。高齢者の外来は現行月千二十円が、月四回まで毎回五百円に、入院は一日七百十円が千円に増額される。薬代は新たに自己負担が設けられ、定額で二〜三種類は四百円、四〜五種類は七百円、六種類以上で千円となっている。また、中小の事業所が加入する政府管掌健康保険(政管健保)の保険料率も八・二%から八・五%へと引き上げが提案されている。

 試算では、大企業などの自社健保や国民健康保険が政管健保にあわせて保険料を引き上げることを見込むと、保険料負担は被保険者にとって年間二千四百億円の増額となる。また患者負担は全体で約一兆二百億円の増で、一人年間で五万円をこえる負担増となり、現行の二倍以上の負担が家族や患者本人の肩にのしかかることになる。国民一人当りに換算すると、新たな負担は年間一万円強、一世帯当り二万八千円余である。

 また、薬代にしても、諸外国に比べ割高な薬価制度の根幹にある製薬メーカーと厚生省との癒着による、価格決定方式には全くメスをいれず、一方的に患者に定額負担を押しつけた形である。

 一方、介護保険制度はどうか。

 これまで税でまかなってきた福祉サービスを、新たに保険料を国民から徴収して行おうとするこの制度も、財源論から出発していることに変わりはない。

 制度の概要をみてみよう。

 介護保険は、その運営主体を市区町村とし、二〇〇〇年度からの施行を予定している。四十歳以上の国民が加入し、毎月保険料を支払うが、保険料は自治体によって異なり、平均二千五百円程度となるという。介護サービスの対象となるのは六十五歳以上の高齢者と四十歳以上六十四歳以下の介護が必要な人とされる。サービスにあたっては利用者が一割負担で、残りは公費と保険料で各半分づつまかなう。公費は国が五〇%、都道府県と市区町村が各二五%づつを分担するという内容である。

福祉の現場から高まる介護保険導入反対の声

 厚生省はこれまで、法案の全容を明らかにしないまま、各自治体や医療、福祉団体などへ法案成立への協力を画策してきたが、その全体像があらわになるにつれ、保険料の設定や徴収方法、サービスの量や質の確保、対象者の枠や認定のあり方など、さまざまな問題点が浮き彫りとなり、医療福祉機関や施設の現場、地方自治体、議会などから反対の声が高まっている。

 老人福祉施設の施設長などでつくる「現場から公的介護保障を考える会」は、去る四月五日にシンポジュームを開き、反対声明を出した。「現在の福祉を混乱させ、後退させるだけ」「介護を必要とするおとしよりの生活を保障してきた特養ホームは、この保険制度に組み込まれ、行き場を失う人びとが出る」と声明は切実な声を上げている。「医療費の財政破たんに福祉を巻き込まないで下さい」との訴えは、まさに本質をついたものといえる。

 一方、運営主体となる市区町村は、財政上の懸念を表明している。第一号被保険者(六十五歳以上)からの保険料徴収は年金からの天引きが約七割、残る低年金者からは市区町村が直接徴収するという徴収システムに加え、第二号被保険者(四十歳以上六十五歳未満)のうち、国民健康保険加入者の保険料は、実際に徴収できようができまいが一括して市区町村が全員分を納入するという制度は、市区町村の保険会計の破たんと、ひいては一般会計からの限りないつぎ込みを招く。徴税にかかわる膨大な事務量と人件費もある。

 モデル自治体の試算では、財政負担は十五年で約十倍となり、現在のサービスは維持できず、さらなる保険料引き上げは火を見るより明らかである。

 東京、武蔵野市の土屋市長は、全国の市長にあてて「『市町村長は鬼になれ』というのだろうか」という手紙を発信し、未納者に罰則まで科し、その責任を市区町村長に転嫁する制度を批判した。これは地方自治体の率直な気持ちを代弁したものといえるだろう。

 介護保険制度導入は、財政再建を目的に福祉を切り捨てる最悪の選択である。見切り発車の法案可決を許してはならない。

社会保障制度の解体ねらう「改革」を阻止しよう

 両法案は「社会保障制度改革の第一歩」(「社会保障制度改革の方向―中間まとめ」)と位置づけられているが、四月二十三日に開かれた政府・与党の財政構造改革会議企画委員会では、社会保障給付の増大を抑えるためとして、医療保健制度のさらなる「抜本改革案」を年内にとりまとめ、九十八年から二〇〇〇年度に前倒し実施することを決定した。

「財政危機」を理由に急速に進められようとしている「社会保障制度改革」によって、国民の自己負担はきりなく増大させられる。

 この先、医療や福祉サービスは金持ちだけの特権となり、多くの国民は病気を重症化させ、死の直前に病院に運び込まれるということになりかねない。つまるところ、今日進められている「社会保障制度改革」は貧乏人が医療を受けられなかった時代への逆行である。

 戦後、国民の要求と闘いを背景に形成されてきた社会保障制度を根本的に解体し、自己負担と市場原理に置き換えようというのが、この「改革」の正体である。

 増え続ける医療費を抑制するなどというが、わが国国民医療費は、GDP比でアメリカの約半分、先進国(OECD加盟諸国)中でも二十一位と、決して高くはないのである。国民はすでに重い税負担を負っている。本来、社会保障こそ、国家が責務を負うべき最大の仕事である。

 財政危機などというが、それでわが国国民経済が破たんするわけではない。多国籍大企業は、円安の下で史上最高の収益を上げ、対外経済摩擦の再燃さえ引き起こすほどである。政府支配層は、危機の深まりの中での対応能力が財政面から制約されることを恐れ、また、国際競争のため、企業のコストを軽減させようと、意図的に「危機」をあおり立て、国民への負担押しつけと福祉切り捨てを合理化しようとしているのである。「財政構造改革」の真のねらいはそこにある。

 社会保障の財源を問題とするのならば、まず、税負担軽減措置などで守られた、大企業に負担を求めるべきである。アジアの脅威となるほどに拡大した、軍事費の削減こそ必要である。

 財政危機のかけ声に動揺し「改革」の土俵に上がって、国民の暮らしと命をおびやかす法案成立に手を貸してきた国会各党の堕落と無力さは目をおおうばかりである。与野党共に責任は重大である。

 しかも、「部分連合」など政治再編をめぐる思惑、党利党略からこうした法案が政治的な取引の材料に使われていることに対する国民の怒りは大きい。

 事態を国会の中だけで見なければ、医療、福祉諸団体、さらに地方自治体の中からも激しい抵抗の火の手が上がっていることを見ることができる。

 憲法でも保障された、国民の権利としての社会保障制度の解体を許さない闘いを、国民的運動として組織し、強めなけばならない。

 闘いは、これからである。


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