970405


 大企業のために国民負担を強要する

財政構造改革に反対する


  消費税が四月一日から五%へ引き上げられた。勤労国民にとって、年間五兆円にのぼる増税の負担はズシリと重い。売り場や、レジで戸惑うお客、対応に追われる店員、売り手も買い手も腹立たしい限りで、国民の反発は強い。

 こうした折、先月十八日に開かれた「財政構造改革会議」で、橋本首相は「財政改革の五原則」と「歳出の改革と縮減の具体的方策のための基本的考え」を打ち出した。同会議は五月中旬までに報告を作成、それを基に六月中に政府は『財政再建法案』の大要を固め、秋の臨時国会に法案を提出する予定となっている。

 「財政危機」のキャンペーンを暴露し「改革」を打ち破って、国民のための財政再建を目指さなければならない。

「聖域なく」切り捨てられる国民生活

 財政構造会議の席上、橋本首相は、「政治主導で、一切の聖域を設けず検討を進めていく」などと大見えを切った。そして打ち出した「五つの原則」なるものでは、(1)財政構造改革の当面の目標(国と地方の財政赤字の額を国内総生産の三%以下にする)の実現を二〇〇三年に前倒しする、(2)今世紀中の三年間を「集中改革期間」とし、この期間中、主要な経費について具体的な量的縮減目標を定める、(3)九八年度予算においては、一般歳出を九七年度比でマイナスとする、(4)あらゆる長期計画(公共投資計画など)について縮減し、新たな計画は作成しない、(5)国民負担率が五〇%を超えない財政運営を行う、などをあげている。

 続いて「基本的考え」では、各分野の改革と財政削減の項目と指針を提起している。

 例えば、国民生活に多大な影響を与える社会保障の分野においては――「今国会で医療保険制度改革法案、児童福祉法改正法案、介護保険法案の成立(改悪!)」を期すとともに、(1)年金については、給付の抑制、世代間の負担の公平化、企業年金、個人年金についての自助努力を促す、(2)医療については、薬価の適正化・薬価基準制度の抜本的見直し、医療費・医療提供体制の見直し、そして患者負担の見直し(値上げ!)、(3)福祉・社会保障分野における民間事業者の積極的な導入によるコストの引下げ、(4)一定の収入以上の高齢者への公的年金、医療等の給付の見直し――などを進めるとしている。また文教予算についても、教育サービスの受益者の負担、国と地方の役割分担および費用負担を見直すとし、さらに地方財政については、各地方公共団体が自ら強い自覚をもって事務事業の合理化、組織、機構の見直し、定数や給与の適正化など徹底した行財政改革を行えと述べている。

 これが実現されれば国民生活はどうなるか。年金受給水準の引き下げで、試算では、二〇一五年前後の年金受給者は、基礎年金の上乗せ部分の大半をもらえないことになり、一般的サラリーマンなら、今より三割近く減ることになる。医療費の患者負担は増大し、長期通院もままならない。教職員定数は削減され、交付税など地方財政の削減で、身近な住民サービスが一層悪化する。さらに、財政赤字を含む国民負担率五〇%以内の実現には、再度の消費税率値上げが不可避ともいわれている。

 まさに「聖域のない」、過酷な財政削減案である。

 ところが公共投資、防衛費、ODA(政府開発援助)の分野になると橋本のトーンはがらりと変わる。

 公共投資基本計画について、縮減または期間の延長、公共投資の配分について国と地方の役割分担について見直す。防衛力については、節度ある整備を行うことが必要で、SACO(沖縄米軍基地の整理・統合・縮小に関する日米特別行動委員会)関連事業を着実に実施するとともに、中期防衛力整備計画について縮減または期間を延長する。ODAについては当面の予算の抑制などについて検討する、などとなっているが、「削減または期間の延長」とか「検討」が乱発され、具体的中身はきわめて曖昧(あいまい)である。

 このように見ると、橋本首相の財政削減の「基本的考え」は明瞭に浮かび上がってくる。その特徴は三つある。第一は、福祉、年金、医療、文教、中小企業など国民生活に深くかかわる分野では具体的で大幅に削減を実施する。第二は、防衛や公共投資など大企業の利益に関係する分野ではなるべく削減せず、またSACOなど対米関係は着実に実施する。第三は政府負担を軽減し地方へ負担を転嫁するということである。

大企業の利益は引き続き温存

 橋本首相は、急速な高齢化社会で、年金受給者が毎年約百万人増加し、社会保障だけで一兆円近い自然増が見込まれると悲鳴を上げ、財政赤字の主な要因が社会保障関係費にあるかのごとく描き出している。だが、今までも国民が国家財政を浪費してぜいたくな生活を送り、国家の借金を積み上げたのでは決してない。

 政府の長期債務は九一年以降急速に膨れ上がった。九〇年度末の国債発行残高は百六十六兆円だったが、九七年度末はそれが二百五十四兆円にのぼる。わずか八年で八十八兆円も増えた。バブル経済崩壊後の深刻な不況に対する「景気対策」のための公共事業にこれらが投入された。バブル後不況克服には無力であったことは別にして、それが大企業の『事業と利益』を生み出すためのものであったのは周知のごとくである。さらに大手銀行がスポンサーの住専の処理に、六千八百五十億円の税金を投入した事実も記憶に新しい。

 大企業のために税金が使われ、借金を重ね、その結果、国の債務が膨れ上がったのである。「財政危機」の要因は、あげて、こうした政府の政策の結果に外ならない。その責任も、反省も明らかにせず、そのツケだけを国民生活に押し付けるなど、断じて許されるものではない。

 その上、自動車など多国籍化した大企業は、このさなかにも史上最大規模の収益をあげ、対外摩擦などで処理に困るほどの黒字を稼ぎだしている。大企業には有り余る蓄積があるのである。「危機」だというならここに吐き出させるのが筋であろう。

「財政改革」の真のねらいを暴露し闘おう

 橋本首相は、「財政危機」を騒ぎ立て、「国民生活が破たんする」と脅しをかける。しかし、国家財政には、借金残高が何パーセントになったから国が滅びるという客観的基準があるわけではない。インフレが進み、貨幣価値が下がれば借金が目減りするのは自明のことである。

 事実、政府はオイルショック後、そうして財政赤字対策を先伸ばししてくることができた。

 今日、あえて「危機」をあおるのは別のところに理由がある。それは、(1)冷戦後の激しい国際競争に勝ち抜くために、国内でのコストを最小限に抑えたいという多国籍化した大企業の「小さな政府」の要求に応えるためのものであり、(2)借金を減らして身軽になることで、「改革」政策の推進の中で、予想される様々な社会的危機に対する、政府の財政面での対処能力をつけておこうとするもので、いずれにせよ徹頭徹尾大企業のための「改革」である。

 「財政危機」の宣伝はこれを合理化するものである。国民生活が破たんするなどの脅しに屈することはない。

 わが国の経済が直面している危機は、わが党が繰り返し指摘してきたように、経済大国へと成長した戦後の米国従属、大企業中心の輸出主導型の経済、社会システムの全体的な行き詰まりにある。したがって、日本の活路は、これまでの経済のあり方を根本的に転換する以外にはなく、輸出主導・大企業優先の経済から国民大多数の利益を重視し、国民生活を豊かにする経済政策への転換が求められている。財政再建も、大企業の富を国民に分配し、国民生活を豊かにする真の内需拡大策の下で初めて、その方途が開かれるのである。

 橋本首相のように国民生活に犠牲を強い、破たんをもたらす財政再建の道か、国民生活の水準を引き上げるための財政を実現するか、わが国は今、大きな岐路に直面している。

 国民はこれ以上の負担と犠牲に、いつまでも甘んじてはいない。すでに国民各層の中に不満と怒りが渦巻き始めており、政府・財界が「財政改革」に本格的に踏み込むなら、反撃の火が燃え盛るのは疑いない。

 財政構造改悪を断固阻止しよう。


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