アジアとの真の友好の道を踏み出そう
橋本政権と財界、マスコミあげての「改革」大キャンペーンに取り込まれているせいだけではあるまい。昨年来、わが国の外交、国際社会での生き方が、特に近隣のアジア諸国から問われ続けているのに、どの政党にもこれに真剣に応えようとする態度や、まして国民的論議を提起するような雰囲気は感じられない。一国のかじ取りを担うべき政党の責任放棄というか、堕落というべきか、実に憂うべき状況である。
しかし、各政党の現状がどうであろうが、九七年、わが国外交は否応なしに深刻に問われ、その如何は日本の平和と安全、国民生活に重大な影響を及ぼす。政治の焦点に浮かび上がるのは、不可避である。
なぜか。二十一世紀へ向けますます再編成が進む世界、とりわけ興隆するアジアを前に、わが国政府は昨年踏み込んだ日米安保再定義の道に沿って、本格的具体化が迫られるからである。昨年四月の橋本・クリントン日米首脳による安保再定義、「日米安保共同宣言」は、二十一世紀をにらんだわが国支配層の重大な選択であった。多国籍企業を中心とする支配層は、米国の世界戦略に沿って十万米軍の前方展開を認め、アジア太平洋地域に日米安保体制を拡大、集団的自衛権に基本的に踏み切り、中国をはじめアジア諸国と敵対する方向に踏み込んだ。この選択は昨一年すでに、日中関係悪化、アジア諸国の警戒の高まりなど大きな波紋を引き起こしている。今年はいよいよ本格的な具体化が迫られる年となる。ますます興隆し、独自性と政治的発言力を強めるアジア、中国の反発、対立は火を見るより明らかであろう。
今年ほどわが国外交について、真剣な論戦、国民的論議が求められている時はない。
われわれは今年、「改革」問題と併せ、外交問題を最重要課題として位置づけ、政府の選択に真正面から論戦を挑み、戦線を形成し、行動を起こす決意である。党派を超えて国民各界の真剣な論議を呼びかけたい。
だが、それは見事に失敗に終わった。橋本首相は、経済関係だけでなく、政治分野まで広げた関係構築こそ重要と、日本・ASEAN間の定期首脳会議を目玉の提案として持っていったが、必ずしも受け入れられなかった。「内容に期待していたがあまり新味はなかった」(シンガポール「聯合早報」紙)、「提案する以上セールスポイントを考えよ」(シンガポール「ストレーツ・タイムス」紙)という期待はずれの論評だけでなく、マレーシアのマハティール首相のように「即答できない」と態度を明確にしなかったところも出た。「もし日本が首脳対話を日本・ASEAN首脳対話と呼ぶならば、中国も韓国も同じことを言い出しかねない。なぜ皆で一緒にやらないのかという疑問が持ち上がるだろう」(マレーシア戦略国際問題研究所リョン所長)、「なぜASEAN地域フォーラム(ARF)と別にやる必要があるのか」と東アジア経済協議体(EAEC)構想提唱に煮え切らない態度をとってきた日本への不満も重なっての批判もある。
公然と口に出してこそ言わないが、橋本提案の背後に安保再定義に踏み込んだ日本の「アジア重視外交」なる突出を見、それへの追随は自分たちの利益にそぐわないと警戒感を高めたに違いない。橋本首相は、シンガポールでの演説で日本・ASEAN関係強化の「最も重要な前提条件」として、「アジアにおける米国のプレゼンス」を述べ、「日米安保体制は米国のプレゼンスを確保していくための必要な枠組みであり、日米安保体制はこの地域の安定及び経済的繁栄の維持のための一種の公共財の役割を果たす」と言い切った。この「安保公共財論」に対しては、「日本は中国の影響力と均衡をとり、アジアでの指導的地位を打ち立てようとしている」「橋本提案の狙いは中国政策を有利に進めることにあり、日本だけとの関係強化はまずい」とさらに厳しい批判が出ている。
今年、ASEANは結成三十周年、七月には十カ国体制となり、国際社会の中でさらに存在感を高める。そことの連携を狙っての橋本首相の歴訪であったが、中国をターゲットにした日米安保再定義路線、その下での「アジア重視外交」は、ASEAN諸国には通用せず、かえって警戒をかき立て信頼を損なう結果になることを示した。
まず安保再定義の必要さは、昨年三月の米空母出動による台湾海峡での緊迫した情勢と結びつけられて提起された。橋本首相は、公然と「中国の自制」を口にした。中国の核実験問題を口実に一挙に「中国脅威論」が流布され、中国への経済援助が凍結された。七月には、橋本首相が十一年来のタブーを破り、現職首相として靖国神社を参拝した。夏、領有権問題を棚上げにしている尖閣諸島に右翼が「灯台」を建てる挑発を働いたが、政府は放任の態度をとり続けた。
また、こうした流れの中で、「台湾問題は国際問題」という世論が形成され、「台湾は中国の不可分の一部」との日中国交回復時の原則を台無しにしようとする策動が強まった。今年二月五日には、自民、新進両党に分かれていた日台関係議員連盟が、合流し、太陽、さきがけの議員も加え、総勢三百人の「日華関係議員懇談会」が発足した。
安保再定義を前後して、わが国に「中国脅威論」がさらに高まり、政府レベルでも、民間レベルでも、反中国的動きが強まっていることは、歴然たる事実である。その結果として、中国は警戒と批判を強め、日中関係は国交正常化以来最悪といわれる状況になった。
また、安保再定義以降、梶山官房長官の妄言などが意図的に繰り返され、「北朝鮮脅威論」、「朝鮮半島の危機」があおられ、対米追随、韓国第一の北朝鮮敵視政策が継続されている。
さらに注視すべきは、安保再定義以降、先の動きと関連していわゆる歴史認識問題で、日本の侵略戦争を否定、美化する論調が強まり、公然たる政治勢力としても登場してきたことである。民間レベルでは、「自由主義史観」を唱える右翼学者、文化人ら一部マスコミも加わって世論づくりに狂奔し、国会では自民、新進が議員連盟をつくり、共闘して教科書から従軍慰安婦の記述削除を要求している。
こうした安保再定義以降の一連の動きは、中国、朝鮮民主主義人民共和国、アジアの反発を一段と激しいものにしている。この事実を軽視してはならない。軽視するか、あなどれば、必ずや取り返しのつかない事態を招くことになろう。
わが国政府は今年、安保再定義の本格的な具体化に踏み出す。日米防衛協力指針(ガイドライン)の見直しを進め、十一月には集団的自衛権にまで踏み込み、アジア有事の際は直接戦闘に加わる以外のいっさいの軍事協力を可能にしようとしている。そのための国内法の整備も計画に入っている。このガイドラインの見直しが不信を高めるアジア諸国をさらに刺激し、反発を招くことは必至である。
安保再定義の道は本格化すればするほど、興隆するアジア諸国、中国の反発を呼び、不信を広げ、緊張を高める。アジアの中での日本の孤立は、必然である。これはアジアの時代といわれる二十一世紀へのすう勢に逆行する選択であり、亡国の道である。
われわれは、安保再定義の道を挫折させる闘いを通じて、「日米安保条約を破棄、日本各地から米軍基地を完全に一掃し、独立・自主の外交を樹立して、アジアの中での平和友好の道を踏み出さなければならない」(旗開きでの大隈議長あいさつ)。そのために、党派を超えて政党、政治勢力、政治家が広く連携し、国民各層が戦線を形成するよう訴える。
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