970205


 橋本政権の「改革」攻撃と闘い、

勝利をめざす元年に


  橋本政権による「改革」という名の国民への本格的攻撃が始まった。

 一月二十日に開会した第百四十通常国会は、政府、支配層にとって日本の構造改革に具体的に着手し、改革への道筋を明確に示し、断固たる決意を内外に鮮明にできるかどうか、まさに正念場である。

 橋本首相はまなじりを決して施政方針を述べた。「行政、財政、社会保障、経済、金融システムに教育を加えた六つの改革を一体的に断行しなければならない」、改革は「かなりの痛みを伴うもの」であるが、その実現のために「困難を乗り越えるリーダーシップを発揮することは政治の使命」、「そのためにすべてをささげる」と。

 財界もこれに呼応し、「今年こそが『構造改革元年』」(豊田経団連会長新年メッセージ)として「政治の強いリーダーシップ」を要求し、「全面的支援」を約束して叱咤(しった)激励している。マスコミも、「明治維新、第二次大戦の敗戦に次ぐ、日本にとって三度目の大変革への挑戦」「渾身(こんしん)の力でやり遂げなければならない」(読売新聞元旦社説)と「改革」大キャンペーンに拍車をかけている。

 だが、この「改革」はなんと言おうと、労働者にとってはもちろん、農民にも、これまで保守政治を支持してきた中小業者その他にも、国民大多数にとって苦難の道である。犠牲に甘んじておれるはずはなく、闘いは本格化せざるをえない。「徹底的に闘って彼ら流儀の改革を失敗させる」、「この闘いを通じて国民の多数を結集し、政権を奪い取る。そしてわれわれの理想にあう国の運営と国際社会での生きる道を選ぶ」(日本労働党新年旗開きでの大隈議長あいさつ)ことこそ、唯一の展望である。わが党は、この闘いを新年の最重要課題と位置づけ、可能なすべての団体、政党・派、人びとと共同して広範な連携、戦線の形成に全力をあげ、闘うものである。

見えてきた「改革」スケジュール

 ここにきて「六つの改革」のスケジュールが明らかになってきた。

 「財政構造改革」については、九七年度を財政構造改革元年と位置付け、歳入面では消費税率の五%への引き上げ、特別減税中止、歳出面では伸び率の一・五%抑制。これを第一歩に「二〇〇五年度までに国、地方の財政赤字の対国内総生産(GDP)比率を三%以下とし、一般会計の公債依存からの脱却と公債依存度の引き下げを図ることを目標」に掲げた。中曽根ら自民党の元首相に社民党の村山、さきがけの武村まで加えた「財政構造改革会議」が設置され、(1)歳出の上限の設定、(2)公共事業、社会保障など個別の歳出削減目標の明示、(3)社会保障や教育では社会保障費の給付水準などの細かな目標設定などを検討、通常国会会期末までに「財政再建法」の骨格をまとめ、九八年度予算の概算要求基準に反映させる、秋の臨時国会に法案を提出する。旧国鉄債務は九八年度から処理を実施するという。

 「社会保障構造改革」では、今国会にサラリーマン、高齢者を中心に医療費の負担増の医療保険改革法案、国民負担による介護保険制度導入法案が提出されることになる。

 「経済構造改革」は、昨年末に決定した「プログラム」にそって物流、エネルギー、情報通信など十五分野で規制緩和を徹底し、コストを削減して二〇〇一年には国際水準にもっていく、さらなる規制撤廃に向け規制緩和推進計画を三月末までに再改定する。持ち株会社の解禁、企業減税などがもくろまれている。

 「金融システム改革」についても、二〇〇一年「日本版ビッグバン」を目標に、今国会に金融検査監督庁設置法案などが提出される。

 「行政改革」では、今国会中に地方分権推進計画をまとめ、十一月末までに中央省庁の再編について成案をとりまとめる。

 「教育改革」についても、二〇〇三年度を目標に学校週五日制、中高一貫教育の制度改革、さらには現在の教育行政の見直しなどのプログラムが発表された。

「改革」の前途はバラ色か

 橋本首相は、「改革」は「かなりの痛みを伴うもの」と認めつつ、「痛みを恐れて改革の歩みをゆるめたり、先延ばしにすることは許されない」と公然と言い放っている。「活力ある明日の日本の再構築」のためには、血の流れる大手術が必要だというのである。自民党だけではない。まだ与党にいる社民党、さきがけも、さらには野党のはずの新進党、民主党も、この点では何ら違いはない。

 本当にそうなのか。「改革」に伴う痛みに耐え辛抱すれば、国民多数は豊かな未来が約束されているのか。

 われわれは、橋本政権の「改革」によって明日を手にするのはごく一握りの人びとだけで、国民の大多数にとってそれは地獄だと率直に答える。

 支配層が進めようとしている「改革」が、国民に豊かな未来を約束するというのは、まったくの幻想、人だましの大ウソである。試しに八五年のプラザ合意後の規制緩和、すなわち「経済構造改革」の結果一つでも、ありていに見てみたらよい。規制緩和の結果が、国民各層に一様に幸せをもたらしていないことに誰でも気づくはずである。「成果をあげた」といわれる大店法の規制緩和は、確かにイトーヨーカドーやダイエーなど大手には福音をもたらしたが、零細商店には地獄だった。九一年から九四年のわずか三年間に、四人以下規模の商店は、十二万八千店も廃業、そこで働く二十九万人が街頭に放り出された。

 この期間の農家の多くも同様に悲惨な運命をたどった。大企業の海外移転で、下請けの中小も倒産の憂き目に会うものが増えた。労働者は、公式の統計でも八十万人もが新たに街頭に放り出された。これが真実だ!

 これから先は違うというのか。しばし我慢すれば、幸せな未来がくるのか。とんでもない。「改革」の前途に幸せが約束されているのは、今日この不況、産業空洞化の中でも巨大な収益をあげている一握りの大企業、多国籍企業だけだ。圧倒的に多くの国民には、今よりもっと厳しい現実が待っている。

 「規制緩和」などの「改革」を先行して進めた米国の、国民の大多数の現実がそれを教えている。『資本主義の未来』を書いたレスター・サローは、この二十年間(まさに規制緩和が進んだ)に米国社会内部に深刻に広がった不平等の拡大の実情をあとづけ、「まさに『勝者総取り』の社会と呼ぶにふさわしい」と指摘している。「八〇年代には、男性で勤労所得が増えたのはすべて、所得上位二〇%の人たちで、所得増の六四%が上位一%に集中した。勤労所得だけでなく、所得全体で見ると、所得増の九〇%が上位一%に集中している。フォーチューン五百社のCEO(最高経営役員)の平均報酬は、工員平均賃金の三十五倍から百五十七倍まではねあがった」。資産格差の拡大も甚だしくなった。「九〇年代初めになると、純資産上位一%が全体に占める比率は四〇%を突破した」。

 要するに、規制緩和は国民のわずか一%にだけは巨大な利益をもたらしたが、九九%は没落と苦難をなめさせられたということである。

 わが国の場合には、あるいはこれほどでないにしても、「改革」の前途が国民の大多数にとって地獄への道であることは、大方見当がつく。

 だとするなら、国民の大多数にとって生きていく真っ当な道は、支配層の「改革」に断固として反対することである。一握りの多国籍企業が、他国の大企業との大競争に勝ち残るために進めようとしている「改革」攻撃、これを失敗させ、この大闘争を通じて国民大多数の手に政権を奪い取り、自分たちの運命をその手に握ることである。

 新年は、そうした新たな道を踏み出す第一年にしなければならない。

 彼我の力関係の現状は厳しいが、大局的には決して不利ではない。支配層は、国際情勢の急展開についていけず受け身で「改革」に踏み切らざるを得なかった。その政権基盤は不安定なままでの突撃である。橋本首相もいうごとく、「改革」の対象は「戦後五十年間に極めて精緻かつ強固になったシステム」であり、彼らにとってはかつての仲間うちを新たに敵に回しての大いくさである。

 われわれが闘う側の認識を整頓し、ばらばらに分裂させられているが故に現状があることに気づいて弱点を克服し、国民大多数を広範な統一戦線に結集できるなら、勝利は可能である。


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