19960925(社説)

民主党は誰のための政党か


 鳩山由紀夫、菅直人の両氏を代表とする民主党が、九月二十二日、設立委員会の結成記念大会を開き旗揚げした。大会には社民党から日野市朗、赤松広隆氏ら二十九人、さきがけから鳩山、菅氏ら十四人、市民リーグから海江田万里氏ら五人、新進党から鳩山邦夫氏など、現職国会議員五十人が参加した。また、来る総選挙に向けた第一次公認候補七十九人を発表した。解散直後の二十八日に正式に結党することになっているが、社民党議員を中心に参加者はさらに増えるであろう。その結果としてさきがけ、社民党は分裂、とりわけ社民党の地方組織では混乱が生じている。
 マスコミは、鳩山新党の立ち上げから民主党の旗揚げに至るまで連日大々的に報道、異常なほどの肩入れぶりで、結党もしていないのに、新進党を上回る支持率である。
 注目しておくべきは、社民党系の労働組合が雪崩をうって「民主党支援」に転換したことである。自治労、全電通、全逓、電機連合などでつくる「民主・リベラル新党結成推進労組会議」、「社民党と連帯する労組会議」が、何の政策的合意もなしに民主党にすり寄った。記念大会にはこれら労組幹部がずらりと顔をそろえ、連合の鷲尾事務局長がエールを送った。
 「霞が関の解体と再生」、「未来に責任を持つ政治」、「市民が主役の政党」などと耳障りのよい、いかにも清新な装いのキャッチフレーズやスローガンを並べ立てているが、いったいこの党はどういう政治をやろうとしているか。誰のための政治をやろうとしているか。連合幹部は傘下の労働者を民主党に引き連れていこうとしているが、果たして労働者のために働く政党か。
 ここ数カ年、労働者は大臣ポストのためなら、選挙であがるためなら、どんな変節でも成し遂げる政党や政治家を見てきた。だから、総選挙を前に新たな装いで登場した民主党を、肝心なこの基準で点検し、労働者の利害でかぎわけてみなければならない。

「霞が関解体」は財界も望むところ

 民主党は十一日に発表した呼びかけで、総選挙後に「行政改革、財政再建、経済改革を断行するための強力な政権樹立をめざす」とぶちあげた。同時に発表された基本理念、基本政策では「明治以来の官僚主導の国家中心型社会の根本的転換」を唱え、これを「第一の使命として新しい政治集団の創設」に臨むと言っている。菅氏は「霞が関の解体と再生――質的行政改革」(文芸春秋十月号)という言い方で、自民党などの行革の違いを強調し、これを旗印にリベラル勢力を結集するという。これを大仰に「百年目の大転換」を担う政党だと売り込んでいる。
 では、行革の具体的中身は何か。中央省庁については、予算、歳入、危機管理などにかかわる機能を内閣直属の別組織にゆだね、いまある省庁は八つの分野に再編すると言っている。
 これは、自民党の「橋本行革ビジョン」と大して違わない。橋本首相も予算編成権を首相官邸に移し、政策分野ごとの再編によって省庁を半減させる改革案を明らかにした。新進党も細川元首相の行革ビジョンを掲げ、中央省庁の統廃合を提起している。
 そこで違いを強調するために、菅氏らは「質的行革」といったり、口先だけでなく、本当にやるかどうか、期限を区切ってなどといっているが、どうみても五十歩、百歩に過ぎない。
 そもそも行革が当面最大の政治課題になり、総選挙で各党が争って行革を唱えるようになってきたのには、いくつかの理由がある。薬害エイズ、住専など金融スキャンダルなど官僚機構の腐敗、ほころびが目立つようになり、官は国民の怨嗟(えんさ)の的になっている。先進国一の財政危機を抱え、増税、社会保障の切り捨てなど国民の負担で乗り切るにしても、その前提条件としてムダをなくす行革が必要になった、など。だが今日の行革フィーバーの真の震源地は、冷戦後の大競争時代にわが国多国籍企業が勝ち抜くために、それに適合した、効率的な行政への再編が必要になってきたという、多国籍企業・財界の直接の必要さである。
 経団連は今年、大競争時代に勝ち抜くための「活力あるグローバル国家」戦略を策定したが、その行動計画「新日本創造プログラム二〇一〇」の十項目の二番目に、「行政改革、税財政改革を推進し、透明で小さく効率的な政府を実現する」を掲げている。「『官から民へ』『国から地方へ』の理念のもとに、行政改革、歳出改革を行い、中央政府のスリム化、財政の健全化を図るとともに、縦割行政の弊害を排除して新しい時代の要請に的確に対応できるようにするため、中央政府について、大くくりな再編成を行う」、また「行政手続き、行政立法手続きの透明化、行政情報の開示などによる民主的な行政運営」。
 これを民主党の基本政策と比較してみると、まさに瓜二つ、言い回しまで似ているのに気づくはずである。「霞が関の解体」とか、「社会構造の大転換」とか、「過激な」ことを言っているようだが、何のことはない、財界の代弁なのだ。霞が関の現在の仕組みでは、大競争時代の大企業の要請に応えられなくなり、財界からみても「解体」、再編を必要としているのである。
 「橋本ビジョン」は、財界の党らしくあからさまに「大競争時代に適合した行政」と言っている。民主党は「市民」の名をかたって、財界の要求に応えている。
 もし違うというのであれば、「質的」違いなどと言わず、大企業のためではなく、国民大多数のための行革をと争うべきで、その具体例として自衛隊や警察の削減策など提起してしかるべきである。

弱肉強食の「規制緩和推進派」

 労働者と国民の大多数が今日、政治や行政に切実に求めているものは、決してそのような「行政改革」ではない。営業と生活にかかわる、もっと切実で具体的なものである。
 バブル崩壊から五年、いまだに日本経済には明るさが見えない。戦後の対米追随下での大企業中心の輸出主導型経済は、内外に不均衡をつくり出し、すっかりゆきづまった。大企業は海外に生産を移しているが、残された地域と国民は産業空洞化で深刻な事態に直面している。労働者は失業の不安に直面し、労働条件は悪化している。農民も、中小商工業者も、廃業、倒産の危機にさらされている。
 民主党は、こうした日本経済の現状をどう打開し、国民各層の要求にどう応えようとしているか。
 この点について「共生型市場経済の確立」という、新たなスローガンを掲げているが、これまた具体的には財界の「経済構造改革」と同じ、規制緩和の徹底である。「市場のメリットが十分に発揮できるよう、無駄と非効率をもたらす規制の撤廃を行い、自己責任原則の確立を基本に、創造的企業活動の自由を保障」する、「現在GDPの四〇%を占める経済的規制を整理し、二十一世紀初年にはこれを半分の二〇%以下に削減」する。「共生型」などという言葉を使っているが、要するに基本的には弱肉強食の市場経済万能を徹底することで、つまり中小企業、農民、労働者に犠牲を押しつけることで、日本経済の活性化を図ろうというのである。
 したがって、民主党の基本政策の中には、現に営業と生活の危機に直面し、政治に活路を求めている国民各層の要求に応えるものを見つけることはできない。「自己責任」で、倒産し、首を切られたら、飢えろということだろうか。
 「しなやかな市民社会」への最重要課題として、「市民活動の活性化を促し、市民事業を認め、これを保障するNPO(非営利活動法人)法の確立」をアピールしているが、これまた経団連のプログラムで九項目に掲げられているところである。「市民活動団体(NPO)が自立的に行動できる基盤を整備し、柔軟性とダイナミズムのある社会を構築する」。
 税制についても、「法人税の引き下げ」、「中堅所得層の重税感の解消」、「直間比率の是正」など、国民大多数の要求とはかけ離れている。選挙政策でどうするかは別として、民主党は消費税率の五%アップの確信犯である。
 民主党の国の進路、外交政策も、よくいって中途半端で、とても現状を打破できない。
 「歴史認識を明確にすること」を目玉にしているが、あくまでも「日米関係が基軸」だという。それでどうして「自立した外交政策」を確立できるのか。
 冷戦後、アジア経済は目を見張るような興隆をし、国際政治でも発言力を強めている。EAECへの態度に見られるように、すべからく米国に追随し、自主性のない日本は、アジアの不信を買っている。歴史認識を明確にすることと併せ、従属的な対米関係をきっぱり転換してこそ、アジアとの信頼、共生は可能である。
 アジアとの共生という場合、日中友好はその要(かなめ)だが、明確な政策は見当たらない。
 また、沖縄問題と関連して「常時駐留なき安保」などと言っているが、対米関係での転換なしには幻想であることは、明白である。民主党に参加した諸君が、昨年来の沖縄県民の闘いにどういう態度をとったかを見るのも、この党を判断する材料であろう。
 いずれにしても、民主党は支配層が踏み込んだ日米安保共同宣言の道と闘わないことだけははっきりしている。

財界の新たなパートナー
 
 以上の検討から明らかなように、民主党は決して労働者の味方ではない。労働者と国民の大多数は、この党の政治で「主役」にはなれず、困難な現状を打開することはできない。この党が成功するかどうかは別として、この党が「市民が主役」というイメージで代弁しているのは、労働運動の上層、都市の富裕層の利害である。菅氏は、いみじくもアメリカ民主党とヨーロッパの社民政党を合わせたものこそ民主党のイメージと語っている。
 この党はしたがって、自民、新進という二つの財界の党と国民多数の利害を代弁して争う党ではない。むしろ、「グローバル国家」をめざす財界の新たなパートナーの党である。大競争時代を勝ち抜くために大企業が、労働者と国民に犠牲をしわ寄せし、アメリカのような社会分裂が起こるようになったとき、「友愛」の旗を掲げて階級調和を説く党である。
 激動期には、次々と新たな装いで役者が登場する。三年前には、大前研一や細川護煕などが救世主のごとく現れた。今また、鳩山、菅などがよりスマートないでたちで労働者の不満、国民の不満をねじ曲げに現れている。甘言にだまされてはならない。
 幻想を捨て、労働者の利害を代弁する政治、大企業ではなく国民大多数に軸足をおいた国内政治、対米関係の根本的転換とアジアとの共生の外交、こうした政治を実現できる政党を自らの手で強大にしなければならない。

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