19960905

大田知事の公告縦覧代行について


(1) 大田昌秀沖縄県知事は十日の橋本首相との会談をへて、十三日、米軍用地強制使用手続きの公告縦覧代行に踏み切った。橋本首相は十七日、沖縄を訪問、沖縄問題の解決に全力をあげると演出し、また、本土マスコミは「沖縄の基地問題は解決へ」といっせいにキャンペーンしはじめた。こうした中で橋本首相は、二十三日、日米首脳会談に向けて訪米の途についた。
 一方、政局は、衆議院の解散・総選挙一色となっている。
 しかし、この時点であらためて、沖縄のこの状況にふれないわけにはいかない。橋本は、これを成果に総選挙に臨もうとしているからである。また、沖縄現地のたたかいは新しい状況となったし、全国ではこの評価をめぐって議論があるからである。
 嘉手納基地をかかえる新川秀清・沖縄市長が、「沖縄の基地問題は終わっていないという事実がはっきりしている」と述べているように、現実の問題は何一つ変わっていない。むしろ、基地の集中、長期固定化の方向に進んでいる。先日の米軍イラク攻撃でも、嘉手納基地の空中給油部隊が東シナ海上空でB戦略爆撃機などに給油、イラク攻撃に加わったように、沖縄とすべての在日米軍はアメリカの戦争策動の最前線なのである。
 いま、沖縄県民は、戦線を再構築し、たたかいを発展させようとしている。この努力に応え、また、全国各地で発展しつつある米軍実弾射撃演習移転反対のたたかいを支持し、すべての米軍基地撤去、安保破棄のたたかいをいっそう発展させよう。

(2) 商業紙社説は「日米安保体制を揺るがしかねない事態は回避できた」(読売新聞)などと、「大田知事の決断」を歓迎した。昨年九月来の沖縄県民のたたかい、それに呼応した全国のたたかい、とくに四月の日米合意以後の、沖縄県下と全国での基地移設反対のたたかいは、自民・社民・さきがけの橋本連立政権と日米安保体制を窮地に追い込んだ。基地撤去・安保破棄をめざすたたかいに可能性の大きい情勢となった。この状況はさらに発展する趨勢(すうせい)にあるし、いまも基本的に変化していない。
 この一年をあらためて振りかえり、彼我の攻防の現局面を確認することは重要なことである。
 昨年九月、沖縄県民は立ち上がった。とりわけ・大会は文字どおりの超党派の県民総決起となった。大田知事は米軍用地強制使用の代理署名を拒否した。代理署名拒否とその裁判闘争は、国民の目を沖縄に向けさせ、知事の主張は多くの国民が共感するところとなった。「沖縄県民の一撃」は情勢を一変させた。
 こうした情勢は、数十年ぶりのことである。とくに自民党やわが国支配層にすればこの予期せざる事態は衝撃だった。社会党(当時)が村山首相実現とひき替えに「安保体制強化」に変質し、日米安保体制はこれまでになく安定した、と勝利を祝った直後のことであったからである。
 年を越せば事態は沈静化しよう、との自民党・支配層の淡い期待は見事に砕かれた。沖縄県は、国際都市構想とその具体化のための米軍基地撤去のアクション・プログラムを策定、地元財界、保守層をふくむ広範な支持を実現した。こうして、県民のますます広い基盤のうえに、たたかいは発展した。また、連帯するたたかいは全国にひろがった。
 四月一日には、「ゾウのオリ(米軍楚辺通信所)」は政府の不法占拠となった。知事は、楚辺通信所、さらに来年五月期限切れを迎える反戦地主の土地の強制使用のための公告縦覧の手続きも拒否した。わが国政府はいっそう苦境に立たされた。日米関係と安保体制は揺らぎはじめた。
 追いつめられたクリントン大統領と橋本首相は、四月の日米首脳会談で、一部米軍基地の「返還・移転」合意を演出、「普天間基地が帰ってくる」とキャンペーンした。沖縄県民の基地撤去のたたかいを懐柔・分断し、また、沖縄と本土を切り離そうとする策動だった。しかし、県民はいち早く敵の策謀を見抜いた。
 橋本の策動はまったく裏目に出た。県内自治体と住民の基地移転・固定化反対の運動は急速に発展した。また、本土への「基地ころがし」は、九州日出生台をはじめ、全国に「実弾演習移転反対」の世論の火をつけ、自治体ぐるみの運動を広げた。
 日米会談で日米安保再定義・強化に踏み込んだ政府だが、いよいよ追い込まれた。来年五月の使用期限切れが迫った。強制使用のための特別立法で乗り切ろうとすれば、国民の反発は不可避で、連立の基盤が揺らぎ、橋本政権は吹っ飛びかねない。
 このように、この一年の沖縄県民のたたかい、それに連帯する全国のたたかい、さらに各地での実弾演習移転反対のたたかいは、大きく発展した。橋本首相はまさに窮地に立たされた。基地と安保をめぐるたたかいは歴史的な局面を迎えた。経済摩擦、台湾問題などアジア問題もからんで、このままでは日米安保同盟関係は動揺が避けられないところとなった。
 だからこそ、政府は内閣官房を中心に、さまざまな手だてで、沖縄県側に政府との「和解」を画策した。
 こうした彼我の攻防の中で、大田知事は橋本首相との会談をへて、代行応諾に踏み切った。

(3) この一年の、沖縄県民の歴史に期すべき前進と成果、米軍基地問題と日米安保問題での攻防の局面を見るとき、今回の大田知事の選択とその評価はおのずと明らかである。
 たたかいの先頭に立ってきた違憲共闘(沖縄軍用地違憲訴訟支援県民共闘会議)と反戦地主会、同弁護団は、「県民投票で示された基地撤去を求める圧倒的な県民の声に逆らうものであり、沖縄に思いを馳(は)せる全国の仲間の期待を裏切るもの」と「厳しく抗議」した。基地をかかえた市町村長も、最大限の批判的意思表示をしている。嘉手納基地をかかえる新川・沖縄市長は「県民投票の重みを忘れている」と批判、普天間基地をかかえる桃原正賢・宜野湾市長は「米軍基地がこのままの形で永久化される恐れ」を表明した。
 政党では、自民、新進は別にして、社民党が「知事の決断を最大限に尊重」と評価したが、社会大衆党も共産党も異論、反対を表明している。県議会「公明」なども態度を保留した。 
 大田知事は、この一年、一貫して県民の先頭に立ち、この成果、前進に少なくない貢献をした。これは事実である。それだけに「苦渋の選択」だったことは理解できる。また、知事が記者会見で述べた「沖縄一県の行政には限界がある。仕事とはいえ意に反する決定をしなければならなかった」というような、行政の長としての難しさも理解できないわけではない。
  八月二十八日の最高裁判決に関連して知事は「本土の民主主義の成熟度を示すもの」と述べた。安保体制の負担と犠牲を沖縄に押しつけながら平然としてきた日本政府を追いつめる、全国民的なたたかいの不十分さについて、われわれの責任を回避するものではない。全国的なたたかいだけが、この沖縄の苦悩を真に打開する力であることはいうまでもないからである。
 それにしても疑問が残るのは、県民が県民投票という直接民主主義で基地撤去・地位協定見直しの圧倒的な意思表示した、その直後の知事の選択だったことである。県民投票での県民の意思を無にしかねない選択は、民主主義からしても問題である。
 大田知事は、(1)最高裁判決は「行政の長として重く受けとめざるを得ない」 (2)県の「目に見える形で基地問題の解決を図る」要請に対して、政府の「積極的姿勢」は評価できる (3)橋本談話での基地問題への取り組みと経済開発への支援、そのための五十億円の特別調整費計上や「協議会設置」などは前進と評価できる、と述べた。
 しかし、こうした知事の説明は県民に十分な説得力を持たなかった。具体的なのは五十億円の特別調整費だけだからである。「橋本首相と大田知事の会談でも、基地の整理・縮小の具体的方向は一言も語られていない。基地の整理縮小という県民の共通認識とは逆に、嘉手納基地は長期固定化の方向に進みつつある」(宮城篤実・嘉手納町長)との批判が当たっているのではないだろうか。また、経済振興策にしても、「沖縄は長い間、異民族支配にあって本土から切り離されていた。基地あるがゆえに地域振興が遅れている面があるが、国の振興策は基地があろうがなかろうと行政分離の穴埋めとして行われるべきもの。政府が発表した五十億円という特別調整費も微々たるものだ。なぜ、それで惑わされたのだろうか」(桃原・宜野湾市長)との批判が正論であろう。
 知事の「決断」が、窮地に陥った日米両政府、橋本首相と自民、社会、さきがけの連立政権を救っただけにならなければよいのだが。
 橋本首相は沖縄での講演で、「米軍施設・区域の安定的な使用を今後とも確保することが必要」と迫った。政府のねらいは、県と県民を分断し、また県民運動を分断し、本土と沖縄を分断し、昨年九月来の県民を先頭とする全国の運動に終止符をうって、最大の政治問題となって揺らいだ日米安保体制の基盤を立て直すことだからである。

(4) 昨年来の県民運動と知事・行政とがタイアップした基地撤去、地位協定見直しのたたかいは、知事サイドの方向転換によって新しい局面に入った。県民は新しい状況でのたたかいの再構築をすでにはじめている。変わらぬ基地の現実がたたかいを迫っているのである。
 普天間基地ヘリポートの統合移転の有力候補地の嘉手納基地をかかえる沖縄市、嘉手納町、北谷町の三市町首長と議会議長は共同で、「嘉手納飛行場へのヘリポート移設反対 連絡協議会」(三連協、代表世話人・新川秀清沖縄市長)を発足させた。「基地の県内移設、機能強化、固定化に断固として反対し、行動を展開する。私たちは、基地の段階的な整理・縮小を促進し、平和で豊かな国際都市・沖縄県を実現する」と共同宣言をだした。
 「あらゆる状況を捉えて反対運動を展開する」と、さらに近隣市町村に参加を働きかけている。さしあたってあてにできない県にかわって、市町村が「同盟」をむすび、結束して政府とたたかう戦線を構築しようとしている。
 一坪反戦地主会は、橋本首相の沖縄訪問に抗議行動を組織した。反戦地主会は、「運動体には限界はない」と来年五月にむけてたたかいを堅持する方向を鮮明にしている。
 沖縄県民は、米軍直接統治の時代以来、つぎつぎと困難を乗り越えてたたかいを堅持し、前進してきた。今回もまた戦線を再構築し、前進するであろう。われわれはそれを確信する。
 もとより、この大田知事の苦渋に満ちた選択それ自体が、本土での政府に対するたたかいの弱さの結果でもあることをわれわれは肝に銘じている。われわれは全力で沖縄県民の努力を支持し、呼応し、また、全国各地での実弾演習移転反対のたたかいを支持し、すべての米軍基地の撤去、日米安保条約破棄のために全国でたたかう。
 わが国の将来もまた、アジアの平和、共生の中にある。米軍基地を撤去し、国際都市を築く沖縄県の構想は、わが国の発展方向の突破口となるものである。沖縄のたたかいは、わが国の将来を切り開くたたかいそのものである。
 わが国支配層、橋本はひと息ついたに過ぎない。情勢の全体は、ひきつづきたたかう側に有利である。沖縄に連帯するたたかいの強化を重ねて呼びかける。

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