19960915(社説)

米帝のイラク軍事攻撃を糾弾する


 米国は九月三日から三度にわたり、イラクの首都バグダッド近郊と南部地域に巡航ミサイルによる攻撃を行った。同時に、北緯三十二度以南に設定していたイラクの飛行禁止区域を三十三度まで「拡大」した。イラク政府軍の北部クルド人居住区への「進入」に対する「制裁」などと理由づけしているが、それは全くの国内問題である。米国の攻撃は、まさに大国の論理を振りかざした露骨な主権侵害、武力干渉以外のなにものでもない。しかも、米中央情報局(CIA)がイラク国内で反フセイン勢力をそそのかして、政権転覆を画策した事実も明るみに出た。
 米国は六年前の冷戦崩壊直後の湾岸危機以来、サダム・フセインのイラクを朝鮮民主主義人民共和国と並べて「ならずもの国家」と呼び、これを叩き潰すのだといって世界軍事覇権を正当化してきた。だが今回の事件は、かくいう米国こそ正真正銘、世界一のならずもの国家であることを世界に自己暴露する結果となった。石油という戦略資源の要衝(ようしょう)はなんとしても押さえておきたいとの米国支配層の欲望が背景にある。
 ところが、わが橋本政権やマスコミの態度はどうだ。まるで大本営発表をう呑みしたような、驚くべき米国支持、追随ぶりである。
 われわれは、利己的な利害のためなら平気で国際法さえ無視し、他国にミサイルを打ち込み、武力で主権を侵害する、ならず者・クリントン米大統領の蛮行を厳しく糾弾する。併せて、こうした国際的蛮行さえ支持する橋本政権の愚かな対米追随外交に断固反対する。
 米国の蛮行は、当然にも世界各国から厳しい批判を受けている。
 中東和平プロセスの貴重なパートナーであるエジプトは、米国の軍事行動に直ちに「重大な懸念」を表明、「イラクの主権、領土保全、内政不介入の原則を尊重する」と強調した。アラブ連盟も「米国の攻撃はいかなる国際的正当性にも基づいておらず、国際法にも矛盾する」と強い調子で非難した。アラブ首長国連邦(UAE)の半官紙アルイッテイハードは「イラクは自国領に主権を確立しようとした」とイラクの行動に理解を示し、当局も米国大使に「不支持」の意向を表明した。また、パレスチナ解放機構(PLO)幹部も「トルコもイランもイラクに越境して自国のクルド人ゲリラを攻撃しているのに、なぜイラクが自国領土を守るために介入すると爆撃されるのか」と米国の二重基準を批判した。さらに、米空軍機に基地を提供している親米国ヨルダンも、イラク攻撃のための米軍機の基地使用を許可しない旨を米国に通告。トルコも国連に対して、イラクの原油輸出再開が「無期限に」延期されないよう要請した。
 アラブ諸国だけではない。ASEAN(東南アジア諸国連合)各国も、米国を強く批判している。マレーシアのイブラヒム副首相は「正義の原則に反する」と非難。ベトナム外務省スポークスマンも「主権国家への武力行使は、国際法に反し、容認できない」と批判した。インドネシアのアラタス外相は「国家の主権と体制は尊重すべき」と強調、議会からは米政府への抗議要請が出ている。米国に友好的なタイの外相も「タイは今回の問題でイラクも米国も支持できない」と冷ややかな姿勢である。
 いわゆる「西側同盟国」でも、米国を支持したのは、イギリス、ドイツなど一握りである。フランスは、明確に「懸念を表明」した。EU外相会議でも、批判が続出した。
 ロシア、中国の批判はより鮮明で、「一つの主権国に対してむやみに武力を振るうことは国際法に違反する」(中国)と、フランスと共に米国が画策した国連決議を断固拒否した。
 わが国の橋本政権は、こうした世界の常識、大勢と極めて対照的に明確に米国支持を表明した。それは、モンデール米大使が、「日本は自信を深め、以前より積極的に発言しようとしている」と絶賛したほどである。イラク攻撃の艦船、飛行機は、横須賀、沖縄を拠点としたものだ。そして、今回の橋本首相の異常な態度表明は、日米安保共同宣言に忠実に、世界的範囲で米国の戦略を支えようとする証しであろう。
 だが、こうした国際世論と逆行する対米追随外交(自民党内部からさえ批判が出た)ほど愚かしく、「国益」にそむくものはない。最近、わが国の中東石油への依存度は、八割にも高まっているのに、アラブ諸国、湾岸諸国とあえて対立しようというのである。アジアと対立しようというのである。
 かつてキッシンジャーは、湾岸戦争での米国の勝利を「落日の輝き」にたとえた。あれから五年、世界の力関係はさらに変わった。フセインは生き延びた。アジア、中国は興隆し、発言力は大きくなった。今回の米国のミサイル攻撃は、湾岸戦争時に形成された「反イラク同盟」に致命的な打撃を与え、米国は孤立した。超大国・米国の「落日の輝き」も気息えんえん、ついに西山に没する姿を暗示している。
 これに追随してどんな意味で前途があるのか。対米従属からの脱却、自主外交の確立は、まさに日本が二十一世紀の世界に生存するための、待ったなしの課題である。

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