19960825

米軍基地の整理・縮小、日米地位協定の見直しを問う

歴史的な沖縄県民投票を成功させよう


 米軍基地の整理・縮小と日米地位協定の見直しの是非を問う、沖縄での県民投票が目前に迫った。
 現地では県や市町村、政党や様々な団体が、官民あげて県民投票の準備を進めている(詳細は五面)。九日には「新たな基地建設に反対し県民投票の成功をめざす中部地区住民総決起大会」、十日には県主催シンポジウム、十九日には那覇市主催の「県民投票推進大会」が開かれた。
 まさに沖縄は、九月八日の歴史的な県民投票の成功に向かって燃えている。

沖縄の将来を自ら切り開くチャンス
 県規模では全国初の沖縄の住民投票は、きわめて重要な意義がある。
 第一に、戦後五十年以上も米軍基地の重圧と負担を一身に背負わされてきた沖縄県民が自らの意思を初めて表明し、二十一世紀の平和な沖縄を自らの手で切り開く歴史的機会になる。
 沖縄戦以来の五十余年をとってみただけでも、沖縄は一方的に国策の犠牲にされてきた。沖縄戦では「本土防衛」の捨て石として、サンフランシスコ条約後は本土と切り離され米軍政下で米戦略の要石として。銃剣とブルトーザで土地は取り上げられ、米軍基地の重圧下で県民の生命、財産、人権は侵害されてきた。七二年の「祖国復帰」後は、安保体制に組み込まれ、支え続けさせられた。「祖国復帰」が県民の期待を裏切るものであったことは、米軍による犯罪が四千七百十六件も起きている事実をみるだけで明らかである。大田知事が述べているように「東京で、ほとんど沖縄にきたこともないような人たちが、現地に生きている人びとがどういう影響をこうむるかをなんら考慮することなく、国策と言って決めてしまう」、こうした歴史が強いられてきたのである。にもかかわらず、県民が意思表明する機会はなかった。
 戦後五十年の節目。もうこれ以上我慢ならない!二十一世紀まで基地を残すことはできない!
 昨年九月の少女暴行事件を契機として沖縄県民は積年の怒りを爆発させた。半世紀もの間沖縄を犠牲にしてきた国策、国政に対して、県民の意思を公然と突きつけた。大田知事の米軍基地強制使用の代理署名拒否は、県民の総意である。
 今回の住民投票は、こうした昨年来の県民の意思表明の仕上げであり、二十一世紀に基地のない平和な沖縄への橋頭ほを築くものである。親泊那覇市長が「『沖縄の将来は県民自らが決める』というかつてない歴史の大きな変わり目に立っている」と述べたが、その通りである。
 八月六日の『沖縄タイムス』社説も、新潟県巻町での住民投票で原発建反対派が勝利したのを受け「個人では太刀打ちできなくても、結束すれば自らの進路を切り開くことができる…次はわれわれの番だ」と述べている。県民投票で歴史を自ら切り開こうとの沖縄県民の自覚と意欲の高まりを示すものといえよう。
 第二に、日米安保共同宣言の道に踏み込み、沖縄基地を固定化、日米軍事協力強化を推進する橋本政権への痛烈な打撃となるにちがいない。
 県民投票の結果は、ひとり沖縄の将来に響くだけではない。まさに沖縄が米国の東アジア戦略、日米軍事協力の拠点であるが故に、その結果は直接、日・米政府への深刻な打撃となろう。
 昨年の沖縄県民の一撃は、日米安保がもはや国政の争点でなくなったかにみえた情勢を一変させ、日・米政府に衝撃を与えた。彼らは、普天間基地の返還の「譲歩」を示さざるを得なかった。言うまでもなく、それを含め日米特別行動委員会(SACO)中間報告での基地の整理・縮小は県内移設が前提で、県民の要求とはほど遠い。
 今回の県民投票で圧倒的多数が「米軍基地の縮小、日米地位協定の見直し」に○印をつけるなら、日米特別行動委員会の最終報告への影響は必至で、日米安保共同宣言のプログラムを大きく狂わせることになろう。その意味で県民投票は、わが国の将来にとっても重要な意義をもつ。

巻町の勝利の沖縄への波及恐れる
 橋本首相が県民投票条例の可決を受けて「影響ははかりしれない。非常に問題を難しくした」と危機感をあらわにしたのは、こうした県民投票の政治的影響を直感したからだ。
 政府や自民党、読売新聞などは、巻町での住民投票での勝利が沖縄に感染することを恐れて、いっせいに難癖をつけている。やれ「選挙で選ばれた議会や首長の機能と責任を無視、代議制の根幹を揺るがす」。やれ「原発の可否、基地や安全保障問題など国の基本政策を、一地方の住民の判断させてよいのか」、と。
 だが、こうした言い分には何の根拠も、道理もない。
 「代議制の否定」などというが、戦後五十余年、沖縄県民は代議制へ参加する権利すら奪われてきた。沖縄戦で捨て石にされ、サ条約では米軍の直接占領下で憲法の適用なし。
 復帰後は、安保体制への意思表明など許されないまま、最大の犠牲に供されてきた。米兵の犯罪、基地騒音、演習による自然破壊など県民生活が脅かされるたびに沖縄は叫びをあげたが、「代議制」は聞く耳を持たず、県民の意思を無視し続けた。
 こうして沖縄県民にとって「代議制」が奪われた下で、唯一の意思表明の手段は命がけの直接行動だけだった。昨年、ようやく沖縄の訴えが国政の重要な課題となったのも、「代議制」の機能の結果ではなく、沖縄県民の直接行動によってである。
 沖縄県民から五十年間も意思表示する機会を奪っておいて、「県民投票は代議制を否定する」などという者は、まさに二重三重に県民の意思を踏みにじる者である。
 ましてや今日、選挙での投票率が史上最低を記録し続けていることが示しているように、国民の「代議制」への不信は頂点に達している。こうした時、住民が自ら政策判断をしたいと思うのは当然であり、誰にも阻止する権利はない。
 「国の政策を地方で判断するのははおかしい」というのも、強弁だ。
 米軍基地問題はもちろん国の基本政策だが、同時に沖縄県の最大の問題である。全土のわずか〇・六%の沖縄県が、七五%の米軍基地を引き受けさせられている。県民の生活、営業が圧迫され、生存権すら脅かされている。日米安保共同宣言で、これを固定化しようとしている。
 県民がこれに意思表明するのは、当然だ。もし、国策だから地方は我慢しろというのであれば、どこに民主主義があるのか。沖縄県民が「安保が国策というなら、沖縄だけでなく全国が平等に負担すべきだ」というのは道理だ。自分の選挙区に米軍基地を引き受けて見るがよい。
 沖縄問題は、まさに秋の政局の「最大の波乱要因」となっている。
 敵は一方で知事の代理署名拒否の最高裁判決を県民投票の前に設定し、他方でさまざまな沖縄振興策をちらつかせ、沖縄の怒りの炎をもみ消すのにやっきとなっている。
 歴史的な県民投票の成功は、こうした策動を打ち破り、昨年来の闘いをいっそう大きな勝利に結び付ける意義をもつ。沖縄県民の意思と力量を示すことを心から期待する。
 闘いだけが事態を前進させる力である。日米安保共同宣言の道に踏み込んだ橋本政権に、いかなる意味でも幻想をもつことはできない。
 大田知事は「沖縄の未来は、本土の民主主義の力にかかっています」と述べている。問われているのは、労働者階級をはじめとするすべての国民の闘いである。演習移転地を先頭に、沖縄県民が切り開いている歴史的闘いに連帯し、全国で国民的闘いを発展させなければならない。

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