19960615

36回目の6・15

安保共同宣言の道に反対し、
独立・自主、アジアの共生の進路を切り開こう


 「六・一五」。三十六年前の一九六〇年六月十五日、わが国労働者階級と人民は、政治ストライキ、十万人規模の国会デモ、全国五十万人の行動にたちあがり、安保条約改定阻止のために闘った。闘いの中で学生・樺美智子さんが官憲に殺された。「六〇年安保闘争」は、わが国民が国の進路をめぐって政府・支配層と真正面から争い、力を発揮した闘いとして、戦後史に刻まれている。
 二十一世紀を目前にした今日、わが国の進路は、再び重大な歴史的岐路にたたされた。
 橋本政権は、四月の日米安保共同宣言に調印、米国の世界戦略に追随し日米軍事協力を強化して、アジア諸国と敵対する道に踏み込んだ。
 だが、この選択は早くも内外の批判に直面している。中国、韓国、朝鮮民主主義人民共和国は、いっせいにわが国への警戒を表明した。六月九日投票の沖縄県会議員選挙では、「普天間効果」を狙った橋本自民党が大敗、与野党が逆転し、「基地のない平和な沖縄」を掲げる大田知事を支える政治勢力が勝利した。
 冷戦終結後の多極化が急速に進む世界の中で、わが国はいかなる進路をとるべきか。衰退する米国に追随し、興隆する中国、アジアと敵対するのか、それとも独立・自主を確立し、中国、アジアと友好・共存・共生の中で生きていくのか。
 二十一世紀のわが国の進路をめぐる闘いは、まさにこれからである。われわれは労働者階級と国民が偉大な力を発揮して、政府・支配層の亡国の選択を阻止し、歴史のすう勢にそった、自主的で平和な、アジア諸国と世界から信頼される進路を切り開くために、ともに奮闘されるよう訴える。

内外の批判に直面する安保宣言の道
 今回の日米安保共同宣言は、米国の「東アジア戦略」に追随し、従来の範囲を超えてアジア太平洋全域でわが国が新たな軍事的な役割を果たすことを約束した点で、事実上の日米安保条約の大改訂を意味する。すでに政府、また保守党間では先を競うように「極東有事」への対応策が議論され、マスコミの伴奏付きで集団的自衛権容認が高まっている。
 だが、いま深刻かつ真剣に議論されるべきは、そこではない。日米安保宣言で橋本政権が踏み込んだ国の進路そのもの、外交戦略がはたして国益にかなっているのかどうか。経済大国となった日本が、国としての自主性を放棄し、米国の東アジア戦略に追随して、興隆する中国、アジアと軍事的にも敵対する道を歩むことが、わが国の繁栄と安全を守り、国民大多数の利益を守る道かどうか。それは本当に「アジアの平和と安定」に貢献する道かどうか。この点こそ第一に国民的論議にゆだねられ、争われるべき肝心な点である。
 われわれがみたところ、橋本政権の選択は冷戦後の多極化する世界のすう勢に逆らい、アジア諸国のさらなる不信を買い、わが国の繁栄と安全、真の国益をだいなしにする愚かな選択であって、前途はない。
 安保共同宣言に対するアジア諸国のいっせいの反発は、端的に「アジア太平洋地域の平和と安定のため」という政府の言い分が、いかに手前勝手な、日米軍事協力強化の口実であるかを暴露している。中国政府は「二国間の範囲を超えれば当該地域の情勢に複雑な要素をもたらす」「自衛隊が装備を増強し防衛の範囲を拡大したら、必ずアジア諸国の重大な関心と警戒を引き起こす」と批判した。韓国も「日本の軍事大国化を憂慮している」と警戒を表明した。これまで政府が安保正当化の口実に使っていたASEAN諸国の態度も「安保の対象がアジア太平洋全域に広げられた」(シンガポール)「中国を脅威ととらえるべきではない」(タイ)と批判に転じた。
 要するにアジア諸国は、安保共同宣言が「アジアの平和と安定」をもたらすどころか、アジアに新たな緊張、不安定をもたらす疫病神と警戒を高めたのである。
 二十一世紀に世界の成長センターとして発展するアジア、すでにわが国経済が深くかかわっているアジアに不信をもたらす選択が、国益にかなうものでないことは明白である。
 では橋本政権の選択は、国内では支持を得ているのか。マスコミは盛んに親米派の軍事・外交評論家、学者、政治家を動員して「安保共同宣言の意義」をあおっているが、必ずしも国益という観点から納得のいく説明をしたものは見いだせない。自民党の安全保障調査会がクリントン来日を前に急ごしらえした「日米安保体制の今日的意義」なる文書も、「自由と民主主義という価値観と枢要な国益を共有する米国との同盟関係」を強調するだけで、説得力ある中身はまったくない。安保共同宣言発表直後、中国を訪問した自民党の代表団がまるで米第七艦隊の「虎の衣を借るキツネ」のように「中国脅威論」をぶったが、日経新聞の社説は「中国をいたずらに刺激したり追い込んだりする」態度をいさめた。中国にどう対処するか、米国に無条件に従うべきかどうか、支配層、保守層内部にも対立があるのだ。
 それだけではない。安保共同宣言発表の翌日、「自主防衛」派の保守層の学者らが「日米安保でわが国の安全を守れるか」という本を出版した。さらには、日米二国間だけでなく、「多国間」のアジア安保機構づくりを重視する提言も出た。
 要するに、保守層の中でさえ橋本政権の選択に対する確固たる支持、合意は形成されておらず、一枚岩ではない。ましてや、国民的合意にはほど遠い。沖縄県議選の結果が示しているように、国民の中にいっそうの不安、不満が高まっている。
 こうした内外の批判は、安保宣言の道に代わるもう一つの国の進路の提起を求めている証左である。
 われわれは今こそ橋本政権の亡国の選択に対抗する新たな道を提起して争わなければならない。安保を破棄し、対米追随を脱却し国としての独立・自主を確立、戦争責任を明確にして、興隆するアジア、中国と友好・共存・共生の中で生きていく道である。この道を歩いてこそアジア諸国の信頼を回復し、アジアの平和と繁栄をともに築けようし、わが国の真の国益にかなうであろう。

多極化する世界はわが方に有利
 橋本政権の選択に対抗して、そのような国の進路を実現することができるのか。条件があるのだろうか。 われわれは第一に、冷戦後の多極化する世界の中で日米間の矛盾が激化するであろうことに着目しておくべきである。ますます経済的重みをますアジア、中国市場をめぐって日、米の多国籍企業の利害が長期に一致するとは考えられない。早晩、国益の対立がめだってこよう。米国にとって安保共同宣言の狙いは、強大化する中国の取り込みと並んで、日本のアジアでの主導権を阻み、米国の権益を確保するところにある。とすれば、安保共同宣言の命運は、そう長くないということである。
 第二に、関連してわが国内部の支持も決して確固としたものではない。橋本政権の選択はひとにぎりの多国籍企業の支持は得られようが、国民多数の利益に反する。先に見たように保守層内部にさえ深刻な意見の相違がある。この点では、これほど重大な「安保共同宣言」の選択に当たって、国民的論議にかけず国民的合意の努力をしなかったことが、かえって致命的弱点となっている。
 第三に、アジアは決して第二次大戦前のアジアではない。経済的力をつけ、国際的発言力は増大している。先にみたようにアジアの批判は、強まることがあっても弱まらない。  これらは、わが方の国の進路を切り開く上で有利な条件である。
 決定的なのはそれを実現する主体的力量、国民的政治戦線をつくれるかどうかである。この瞬間、「六〇年安保」時のような条件はない。
 だが、昨年来の沖縄県民の総決起は、わが国民の中に時代を切り開く偉大なエネルギーがあることを示した。全国の労働者階級と国民の中に共感を広げ、先進分子に変革の確信を呼び覚ました。沖縄県民の国際都市構想、基地返還アクションプログラムを支持し、基地移転反対、縮小・撤去の闘いが発展している。断固たる大衆行動、国民運動こそが事態を切り開く力である。こうした昨年来の経験を基礎に、意識的に広範な国民的戦線を形成することが大切である。労働者階級の先進分子、進歩的政党の責任は重大となっている。

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